第14回目の『メッセージリレー』は、LYSTA代表・鈴木理絵さんの第3弾です。
代表の鈴木です。
ハナ咲カプロジェクト、
目標金額まで伸び悩んではおりますが、30%
のこり40日間、よろしくお願いいたします。
さて、
今日は震災のときのお話です。
2011年3月11日14時46分
マグニチュード9.0という巨大地震が発生しました。
当時、私は特急列車の車内販売の仕事をしており、
家の中のあらゆる物が散乱し、
私の自宅は海から300mほどです。
スマトラ沖地震の光景が脳裏に浮かび、
体中が震え、
今思えば、みんなのぶんのキャリーがあって良かったな、
私たち家族は避難所の駐車場で一夜を明かし、
福島第一原発事故の水素爆発をみたときは、
感情は「無」でした。
地震がおきたとき、水素爆発した映像をみたとき、
自宅はライフラインが完全にストップし、
避難先を点々とし、
福島第一原発の周辺に犬猫がとりのこされていることをニュースや
私には守るべき、人間の家族とわんこの家族がいます。
それまで保護犬活動をしていた自分でも「
約2か月の避難生活から自宅に戻ったとき、
支援物資の仕分け作業です。
それが落ち着き、ここに私はもう必要ないな、と感じ、
当時福島県内にできた仮設のペット保護シェルターに手伝いに行く
仕事の休み希望をめいっぱいだしながらわんこのボランティアに通
しかし、
どうして自分は震災で生き残ることができたのか、
警戒区域までは自宅から20kmほどです。
こんなに近くに居るのに、
車内販売の仕事が好きでした。
放射能が高い場所に行くな、と言ってくれている彼がいました。
悩んで悩んで悩んで、この時が私の人生の分かれ道になります。
被災ペットの保護シェルターにしてしまったら、
最初は貯金を崩すにしても、物資や資金はどうしていくのか、
不安、責任、助けたい気持ち、
好きだった自分の居場所を捨てて、
最終的に決意しました。
震災から半年後の2011年9月11日、
次回は旧警戒区域(帰還困難区域)内でのレスキュー活動のお話です。
>>> 第4弾に続く...
READYFORにて、クラウドファウンディングに挑戦中です!
ご支援のほどお願い致します!
https://readyfor.jp/projects/iwaki-cat
facebookもご覧ください!
https://www.facebook.com/lystoanimals/