ヴェルディの歌劇《オテロ》。奸計をめぐらす悪役にもっとも惹かれたのがこのオペラです。その名もイアーゴ。
第2幕からイアーゴのアリア「俺は残忍な神を信じる(イアーゴのクレド)」。
オテロはマリオ・デル・モナコ(テノール)、オテロの妻デズデモーナはレナータ・テバルディ(ソプラノ)、そしてイアーゴはアルド・プロッティ(バリトン)。アルベルト・エレーデ指揮、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の演奏。1954年の録音です。
イアーゴ。徹頭徹尾、この男はあくどい。
ヴェネツィア共和国の将軍であるオテロに仕える旗手。オテロが自分の副官にカッシオを任命したことで、彼を恨んでいました。
舞台はキプロス島。第1幕からイアーゴの復讐のたくらみは始まります。
トルコ軍との戦いに勝った夜。勝利の宴の最中にカッシオを酔わせ、騒ぎを起こさせます。
騒ぎを聞きつけてやってきたオテロはカッシオの職を解いてしまいます。
第2幕。落ち込むカッシオに、イアーゴはオテロの妻デズデモーナにとりなしてくれるように頼めとそそのかします。
そして歌われるのがイアーゴのクレドです。
「クレド」とは、ミサ曲の典礼文のひとつで「私は信じる」の意。信者が信仰箇条を述べる文を、悪魔化して歌うのがこの歌なのです。
「俺は信じる、俺を創った残忍な神を」。
「俺は信じる、俺が考える悪、そして俺から生まれ出る悪を俺の使命として成就するのだ」。
「俺は信じる、正直者は嘲弄すべき道化役者であると」・・・etc。
どうです?このひねくれた考え方。
恐らくこの男は生まれながらにしてねじまがった性格を持っていたに違いありません。
副官の地位をカッシオに取られなくても、何かのきっかけで誰かを貶めることなど平気でやったでしょうし、もしかしたらすでにやってきたのかもしれません。
ですが、このオペラで一本筋が通っている男は彼だけなのです。「悪」という筋ではありますが。
主人公のオテロはふらふらとあっけないくらい容易く、イアーゴの奸計にはまります。
イアーゴは妻エミーリア(デズデモーナの侍女)から奪い取ったデズデモーナのハンカチで、彼女がカッシオと密通しているとオテロに信じ込ませるのです。
たったハンカチ1枚ですぞ!ちょろすぎるぞ、オテロ!!!
結局、嫉妬に荒れ狂ったオテロは妻に弁明する機会すら与えず、彼女を殺してしまいます。
その前に、オテロはキプロス島での職を解かれ、ヴェネツィアに召還される書簡を受け取っていたため(後任はカッシオ!)、二重の嫉妬心や黒人である彼のコンプレックスなど複雑な心情が垣間見えるのですが、それを差し引いても、愛する妻(第1幕のラストでラブラブの二重唱を歌っていたのに!!!)をあっさり殺してしまった彼の気持ちはさっぱり解りませんでした。
カッシオに復讐するほうがよっぽど理解できるというものです。
オテロがデズデモーナを絞め殺した(殺し方もイアーゴが指南する)あとで、イアーゴの悪事が発覚。オテロは自害します。
逃げ出すイアーゴをどうともせず、あっさり自死するのです。
オテロは最初から最後までイアーゴに踊らされて、妻のためにも自分のためにも何一つできずに死んだのです。
一方、イアーゴは?
最後に悪事は発覚しますが、「オテロの破滅」という当初の目的は果たしたのです。
悪者であっても己の信条は貫いた。この一点だけでイアーゴの存在感はオテロに勝ると、私は思うのです。
さてさて、CDですが、マリオ・デル・モナコ、情けない役ですがやっぱりステキ~。
テバルディのデズデモーナには驚きました。凛として澄み切った美しい声。第4幕、オテロに殺される直前に歌われる「柳の歌」は泣けますよ~。
プロッティのイアーゴはちょっと真面目で不満でした。もう少し、世の中なめきったような雰囲気が欲しかったです。
- デル・モナコ(マリオ), サンタ・チェチーリア国立アカデミー合唱団, サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団, エレーデ(アルベルト), ヴェルディ, テバルディ(レナータ), プロッティ(アルド), コレナ(フェルナンド), デ・パルマ(ピエロ), ラティヌッチ(ピエール・ルイジ)
- ヴェルディ:オテロ 全曲
★私が観た《オテロ》★
2002年7月 ワシントン・オペラ来日公演
指揮:ハインツ・フリッケ
オテロ:プラシド・ドミンゴ
デズデモーナ:ヴェロニカ・ヴィッラロエル
イアーゴ:セルゲイ・レイフェルクス