この贅沢さ。


歌舞伎座御名残さよなら公演だからとはいえ、

幹部役者軒並みで、

当代では、これ以上を考えるのは難しい。と、思えるところ。

観に行ってはいないのだけれど、


海老蔵の前説口上。というのが、また贅沢さに拍車をかける。


普段ならば弟子内あたりがやる役も、

御曹司連中がひしめいて、にぎやか過ぎる気もしないではない。

未来に、いったい実のある役者になるのは、どのくらいいるだろう。

名の残る役者はどのくらいいるだろう。と、身勝手な想像をする。

どちらかといえば旧態然とした世界。主役の家は主役を継ぎ、脇の家は脇を全うする。

家をつないできた役者は、その家に落ち着いた役以上のものからは、なかなか飛び出ない。

いないわけではないが、その殻を、破る役者は数多くは無い。

無論、努力の差ではあろうが、



松也さんの女形は、久しぶりに観たかもしれない。不思議と安心感がある。

松助さんを考えれば、芸風を継いでいる訳ではないが、逆に自力で今の位置を築いているのだから、

これから先も楽しみなのではある。

巳之助さんは、存外悪くない。新悟さんは、ちょっと難しい時期に入ってしまったか。


演目自体は数回経験があるので、

そこから全然違うところに視点をもって鑑賞する。

あるいは、未来の歌舞伎公演の在りようを想像しながら、

あるいは、出てはいないが、この役者に、この役を当ててみたならば、とか。


そう、

意休を団十郎、助六を海老蔵。というのが、ない訳じゃない。面白そうな。と、

仁左衛門さんは、両方やっただろうか。


勘三郎さんには悪いけれど、通人は、映像でしか観たことが無いのではあるけれど、

松助さんのが一等。今のところ揺るがない。

いや、無論、いろいろな役者のいろいろな風情があるのだから、

何を一等かといえば語弊があるには違いない。


歌舞伎役者の中には、何人か、ごく稀に、

観たことも無い江戸というものを、そこはかとなく感じさせてくれる。

それがもう、伝えてきたものの結晶なのだろうけれど、


その舞台の上の架空の世界。

物語の主人公たちは、役者としてでなく、その人として活きている。

喜怒哀楽の折り重なりは、まったく別世界のこと。

この小屋あっての世界だろうか。と、少しばかり思う。


先日、起工式があったそうな。

新しい歌舞伎座の公演にも、通いたいものだが、

随分先のことではある。いや、すぐ来る明日であるかもしれない。


役者にとって居心地のいい芝居小屋に仕上がればいいな。と、思う。

そうすれば、観客も居心地が宜しかろう。


入口をくぐれば、空気が違う。

そんな劇場の完成を待ち望みながら、

筋を、ほとんど追いもせずに、