フェアリースターに特別な蹄鉄が装着されたのは確かに大きな一歩だったが、それですべてが解決したわけではなかった。蹄鉄が合っていないのか、フェアリースターは時折ぎこちない動きを見せることがあった。
「まだ調整が必要だな」
川原はそう呟きながら蹄鉄を外し、細部を確認した。カーボンファイバーの軽量な構造は馬の負担を大きく減らしていたが、フェアリースターの蹄は普通の馬よりも小ぶりで、形状もわずかに歪んでいる。そのため、いくら計算して作られた蹄鉄でも完全にフィットさせるのは難しい。
川原は牧場の作業小屋を借りて、すぐに調整に取りかかった。蹄鉄の形状をフェアリースターの蹄に合わせて削る作業は、細心の注意を要した。削りすぎれば強度が落ち、逆に少なすぎればフィットしない。
「ほんの0.1ミリの差でも、あの子の脚には大きな影響を与える」
川原の手はまるで精密な機械のように正確だった。時折田島が様子を見に来ると、彼は「もう少し時間をくれ」とだけ言って作業を続けた。
次に川原が取り組んだのは、衝撃吸収材の改良だった。最初に使ったシリコン製クッションは柔らかさに優れていたが、フェアリースターの走りに合わせた弾力性が必要だと感じていた。
「走る時、あの子の脚は想像以上の衝撃を受けている。少し硬めにしてみよう」
川原は新しい素材を取り寄せ、実験を繰り返した。シリコンにラバーを混ぜて硬度を調整し、最適な弾力性を見つけ出す。作業を見守っていた田島が驚いた表情で言った。
「そんな細かいことまで考えてくれているんですね」
「細かいことこそ、大事なんですよ」
川原は笑いながら答えた。その目には、自分が支えてきた馬たちへの深い愛情が宿っていた。
ようやく調整が終わり、川原はフェアリースターに新たな蹄鉄を装着した。蹄鉄をつけた彼女は、以前よりも軽やかな足取りを見せたが、走らせることで本当に効果があるかを確かめる必要があった。
「田島さん、坂道で少し走らせてみてください」
田島は騎乗スタッフに指示を出し、フェアリースターを坂路へと向かわせた。最初は慎重に歩かせ、次に軽い駆け足、そして最後に全力で駆け上がらせる。
フェアリースターは、地面を蹴るたびに小さく「コツン」という音を響かせながら、坂を駆け上がっていった。その走りは、以前よりも確実にスムーズで、力強さが増していた。
「どうだ?」
田島が息を飲んで見守る中、川原は頷いて言った。
「いい感じだ。これならあの子も安心して走れる」
その夜、牧場のスタッフが集まり、フェアリースターの新たな蹄鉄について話し合った。獣医の穂坂も加わり、今後の調教計画について意見を交わした。
「ここまで調整してくれた川原さんには、本当に頭が上がりませんね」
穂坂がそう言うと、川原は照れたように笑いながら答えた。
「いやいや、僕はただの職人です。最後に勝利を掴むのは、この子自身と、あなたたちの努力ですよ」
田島は川原の言葉に感謝の意を込めて頷き、心の中で誓った。どんな困難が待ち受けていようとも、この蹄鉄を履いたフェアリースターを必ず競馬場で輝かせる、と。
こうして完成した特別な蹄鉄は、フェアリースターを支えるための小さな翼となった。調整を重ねたその一対の蹄鉄には、関係者たちの知恵と情熱が詰まっていた。それは、競走馬として新たな未来を切り開くための確かな一歩だった。
~試練の道のり~
フェアリースターが競走馬として本格的な調教を始めたのは2歳の春だった。栗毛の馬体が陽光を浴びて輝くたびに、牧場主の田島はその美しさに目を奪われたが、同時に不安も抱いていた。彼女は他の馬たちと比べて体力が劣り、脚も繊細だった。特別な蹄鉄の助けを借りたとはいえ、調教の進み具合は遅く、競走馬としての資質を疑う声が少しずつ聞こえ始めていた。
最初の試練は坂路でのトレーニングだった。他の馬たちが軽やかに駆け上がる中、フェアリースターは途中で足を止めることが多かった。騎乗スタッフの吉井も苛立ちを隠せない。
「この調子じゃ、デビューなんて夢のまた夢ですよ」
吉井の言葉に田島は苦い顔をしたが、フェアリースターの目を見て思った。この馬は諦めていない、と。彼女の目には、少しの焦りとたくさんのやる気が宿っていた。
「急ぎすぎる必要はない。あの子のペースでやればいいんだ」
田島の言葉に吉井は不満そうな顔をしたが、それでも少しずつトレーニングメニューを調整することにした。坂路の距離を短くし、彼女が止まらずに走れる範囲から始める。小さな成功を積み重ねていくことが、彼女にとって必要だった。
しかし、順調とは程遠かった。雨が続いたある日、ぬかるんだ坂路でフェアリースターは滑って転倒した。脚を引きずりながら立ち上がろうとする彼女の姿に、田島は胸が締め付けられる思いだった。すぐに獣医の穂坂が駆け寄り、脚を診察する。幸い大きな怪我ではなかったが、その日は調教を中断せざるを得なかった。
「フェアリースターが走れる日なんて来るんですかね」
吉井が呟いた言葉は、田島の心に深く刺さった。それでも彼は答えた。
「来るさ。あの子がどんなに頑張っているか、見ていればわかる」
その日から、田島はフェアリースターと一緒に走るようになった。もちろん彼は馬には乗らず、坂路の脇を並走するだけだったが、それがフェアリースターを励ます一つの方法だった。
「ほら、もう少しだ。俺もいるぞ、一緒に頑張ろう」
田島の声に応えるように、フェアリースターは少しずつ脚を前に進めた。たとえ何度転んでも、彼女はまた立ち上がり、走り始めた。
ある日、いつもの坂路でのトレーニングが終わる頃、吉井が興奮した様子で言った。
「見ましたか? 今日は一度も止まらずに走り切りましたよ!」
田島は頷き、フェアリースターの元へ駆け寄った。彼女の体は汗で輝き、その目は達成感に満ちていた。
「やったな、フェアリースター。お前ならやれると思っていた」
フェアリースターは大きく鼻を鳴らし、田島を見上げた。その瞬間、田島の心にある確信が生まれた。彼女は、必ず競走馬としての道を切り開いていく、と。
こうしてフェアリースターの調教の日々は続いた。小さな成功を積み重ねながら、彼女は一歩ずつ夢に近づいていく。その道は決して平坦ではなかったが、彼女と田島の心はどこかで強く結びついていた。それこそが、彼女の走りを支える最大の力だったのだ。