――負けなかった馬の物語
昭和の終わりが見え始めた頃、日本競馬は静かに大きな転換点に差しかかっていた。イナリワンやオグリキャップといった「地方出身の英雄たち」が中央競馬の壁を越え、ファンの熱狂を呼び起こす時代。そんな頃、とある北海道の牧場で、一頭の仔馬が生を受けた。
北海道日高。牧場の空には鉛色の雲が垂れこめていた。朝霧が漂うなか、一頭の牝馬が激しい陣痛に苦しんでいた。牧場主の古川誠二は手袋を外し、じっとその様子を見守っていた。
「時間がかかりすぎてる……母体も子も、危険だ」
獣医の言葉に、緊張が走る。ようやく生まれてきた仔馬は、白い星を額にいただいた栗毛の牡馬だった。しかし、立ち上がろうとした瞬間、古川は異変に気づいた。
「後ろ脚……曲がってる」
右後肢がわずかに外を向いていた。典型的な外反膝。競走馬にとっては致命的な欠陥だった。
「申し訳ありませんが、育成対象からは……」
獣医が控えめに告げる。だが、古川はその馬の目を見て凍りついた。湿った瞳の奥に、燃えるような生気が宿っていた。
「この子は……あきらめん」
牧場の誰もが驚いた表情を浮かべた。血統も目立たず、欠陥持ちの仔馬に期待など抱く理由はない。それでも古川は、頑として決意を変えなかった。
「名前をつけよう。……“シルヴァースター”。泥の中に輝く星だ」
平成元年、競馬界は静かな変革期にあった。外国産馬の参入が加速し、地方競馬との交流も始まっていた。テレビ中継、女性ファン、ウインズの拡大。競馬は「ギャンブル」から「エンタメ」へと変貌しつつあった。
そんな中、シルヴァースターは牧場で特別な育成プログラムを受けていた。脚の負担を避け、坂路は使わず、プール調教を導入。左右バランスを整える独自の装蹄も施された。
古川は、ただひたすら信じた。
「こいつは、どこかで花開く馬だ」
デビューは遅れに遅れて、3歳の初夏。競馬場は札幌。重賞戦線ではすでにクラシックホースが生まれ、シルヴァースターのような遅咲きには注目も集まらなかった。
初戦は9着。2戦目も7着。スタートは悪くなく、道中も我慢できるのに、直線で止まる。ファンの間では「やはり脚のせいではないか」という声も聞かれた。
だが、調教師の田島孝雄だけは違った。
「違う。こいつは、まだ“競馬”を知らないんだ」
6戦目、真夏の福島。単勝オッズは12番人気。重馬場、外枠。条件は最悪だった。
だが、最後の直線、彼は突き抜けた。馬群を縫って、まるで沸騰するように弾けた。
「やっと……開いたか」
田島が呟く。シルヴァースター、ついに初勝利。牧場では古川がスタッフ全員に寿司をふるまい、祝杯をあげた。
「こいつは、ここから始まる」
そこからは、まさに加速の連続だった。
1勝クラスを快勝。2勝クラスでも直線一気で突き抜けた。連勝は3へと伸び、あっという間にオープンクラス入り。
世間の注目も集まり始めた。
「無名の牧場出身の馬が、重賞候補に浮上」
「地方の星、シルヴァースター」
メディアのインタビューで田島は語った。
「特別な馬ですよ。走るたびに“何か”を掴んでいく」
秋、G1「秋の天皇賞」への出走が決定した。夢の舞台。東京の府中競馬場には8万人を超える観衆が詰めかけていた。
人気は4番人気。勝ち負けを意識される位置だった。
レース当日。パドックに現れたシルヴァースターは、明らかに落ち着きがなかった。鼻をフンフンと鳴らし、尻尾を小刻みに揺らす。
スタートはまずまず。しかし、道中で他馬に絡まれ、リズムを崩す。直線では脚が止まり、13着に沈んだ。
古川は無言でテレビを見つめ、スタッフは肩を落とした。敗戦以上に衝撃だったのは、レース後の検査結果だった。
「右後肢屈腱炎。全治1年」
レース後、獣医から渡された診断書を見た瞬間、田島は目を伏せた。
「右後肢の浅屈腱炎。腱の繊維に部分的な断裂。全治、およそ1年。」
腱炎──競走馬にとっては致命傷とも言える負傷だ。再発の危険も高く、完治してもかつての走りを取り戻せる保証はない。
トレセンの空気が急に冷たくなったように思えた。
「……無理はさせたくなかったが、やはりG1は……」
田島の言葉に、古川は黙って首を振った。
「無理させたんじゃない。あいつが、自分から行ったんだ。悔いはねぇよ」
治療の第一歩は、「完全休養」だった。
屈腱炎は“使いながら治す”ことができない。腱の断裂部に血流が集まり、炎症が落ち着くまで、まずは最低3か月の放牧。運動は一切禁止。狭いパドックでの管理となった。
「動くな」という命令ほど、馬にとって酷なものはない。
自由を奪われたシルヴァースターは、最初のうちは激しく柵を蹴った。大きく嘶き、頭を振り、仲間の群れから離されたことに抗議した。
獣医は言った。
「精神面のケアが第一だ。腱だけでなく、心も壊してしまう」
古川は毎日、パドックの外に椅子を持ち出し、朝と夕に小一時間、黙って馬の傍に座った。声はかけない。ただ、そっとリンゴを置き、背中を撫でる。
「お前の脚が治るまで、俺が代わりに走るさ。心配すんな」
やがてシルヴァースターは落ち着きを取り戻し、穏やかに草を食むようになった。
4か月目。腱の炎症が引いたことが確認され、ウォーキングマシンでの歩行訓練が始まった。
一日30分、一定の速度で歩くこと。それだけでも脚への負荷はある。筋力の低下とバランスの崩れが予想されたため、装蹄師は左右の蹄鉄バランスを細かく調整した。
調教師の田島は週に一度牧場を訪れ、馬の動きを映像でチェックした。
「前のような力感はまだ戻らないが、着地の角度がいい。腱をかばってない」
半年後、**トレッドミル(水中ウォーキング)**が始まる。
水の浮力を利用して脚への負担を軽減しつつ、心肺機能と筋力を取り戻す方法だ。
「ジャブジャブジャブ……」
水の中を進むたび、シルヴァースターの顔に活気が戻っていく。
7か月目には、乗り運動が再開された。調教助手がまたがり、ダク(速歩)からハッキング(軽い駆け足)へと段階的に負荷を増していく。
「怖がるかと思ったが……いや、あいつは嬉しそうに走ってる」
助手の言葉に、田島は小さく笑った。
9か月目。坂路調教が解禁された。これは大きな意味を持つ。
脚に負担がかかるが、脚力を取り戻すには避けては通れないステージ。
坂路は朝の薄明かりの中、湿った土の香りが漂っていた。田島は、久しぶりに自ら鞍をつけ、彼の背に手を置いた。
「久しぶりだな……戻ってきたな」
坂を登るシルヴァースターの脚は、力強く、滑らかだった。腱の張りは正常、フォームも崩れていない。何より――馬体のバランスが劇的に良くなっていた。
「怪我する前より、良い体になってる」
栄養管理、リハビリ、精神ケア――全てがうまく噛み合い、1頭の馬を完全に生まれ変わらせていた。
10か月目、試験的なスピード調教。5ハロン65秒程度の時計を刻ませる。反応、呼吸、追ってからの動き――いずれも合格。
11か月目には、本格的な追い切り。美浦トレセンでの最終調整は、時計以上に関係者の心を打った。
「軽い……脚の回転が、まるで若駒みたいだ」
調教の後、田島はそっとつぶやいた。
「走る理由を、あいつは忘れてなかったんだな」
同じ舞台、同じレース。1年前、悔しさと痛みを抱えて沈んだあのG1・秋の天皇賞。
再び出走表に刻まれたシルヴァースターの名は、多くのファンの記憶を呼び覚ました。
だがそれは、ただの復帰ではなかった。**怪我を乗り越え、進化した姿での“帰還”**だった。
1年後、彼は帰ってきた。静かに、しかし確かに。
彼の動きはかつてないほど滑らかだった。走り方そのものが変わっていた。
「――怪我を越えて強くなった。信じられんが、本当だ」
田島は、秋の天皇賞への再挑戦を決意する。
再びG1の舞台。5歳という年齢。若い有力馬たちがひしめく中、彼は静かにゲートに入った。
スタート。中団のやや後ろ。じっと我慢。折り合いは完璧だった。
最終コーナー。内を突く。
「そこは狭い、抜けられない……!」
観客の多くがそう思った瞬間、彼は小さく、しかし鋭くステップを刻んだ。
道が、開いた。
全力で駆けた。1年前、敗れたあの直線。あの日の悔しさと、1年の鍛錬を乗せて。
ゴール板。1着。
場内にどよめきが広がる。田島は帽子を取って、天を仰いだ。
「……帰ってきた。いや、進化して帰ってきたんだ」
表彰式。騎手は、涙ながらにこう語った。
「この馬は、勝ったんじゃない。負けなかったんです。何度も立ち上がって、信じてくれた人たちのために走ったんです」
歓声と拍手が、中山の空に響き渡った。
牧場でそれをテレビ越しに見ていた古川は、黙って頷いた。
「あの日の脚が、ここまで来たか……」
目を閉じれば、生まれたばかりのあの小さな仔馬が、何度も立ち上がろうとしていた姿が思い出された。
泥の中に輝く、小さな星。
それは今、誰もが見上げる大きな星となった。
全力で駆けた。1年前、敗れたあの直線。あの日の悔しさと、1年の鍛錬を乗せて。
ゴール板。1着。
場内にどよめきが広がる。田島は帽子を取って、天を仰いだ。
「……帰ってきた。いや、進化して帰ってきたんだ」
表彰式。騎手は、涙ながらにこう語った。
「この馬は、勝ったんじゃない。負けなかったんです。何度も立ち上がって、信じてくれた人たちのために走ったんです」
歓声と拍手が、中山の空に響き渡った。
牧場でそれをテレビ越しに見ていた古川は、黙って頷いた。
「あの日の脚が、ここまで来たか……」
目を閉じれば、生まれたばかりのあの小さな仔馬が、何度も立ち上がろうとしていた姿が思い出された。
泥の中に輝く、小さな星。
それは今、誰もが見上げる大きな星となった。
昭和の終わりが見え始めた頃、日本競馬は静かに大きな転換点に差しかかっていた。イナリワンやオグリキャップといった「地方出身の英雄たち」が中央競馬の壁を越え、ファンの熱狂を呼び起こす時代。そんな頃、とある北海道の牧場で、一頭の仔馬が生を受けた。
北海道日高。牧場の空には鉛色の雲が垂れこめていた。朝霧が漂うなか、一頭の牝馬が激しい陣痛に苦しんでいた。牧場主の古川誠二は手袋を外し、じっとその様子を見守っていた。
「時間がかかりすぎてる……母体も子も、危険だ」
獣医の言葉に、緊張が走る。ようやく生まれてきた仔馬は、白い星を額にいただいた栗毛の牡馬だった。しかし、立ち上がろうとした瞬間、古川は異変に気づいた。
「後ろ脚……曲がってる」
右後肢がわずかに外を向いていた。典型的な外反膝。競走馬にとっては致命的な欠陥だった。
「申し訳ありませんが、育成対象からは……」
獣医が控えめに告げる。だが、古川はその馬の目を見て凍りついた。湿った瞳の奥に、燃えるような生気が宿っていた。
「この子は……あきらめん」
牧場の誰もが驚いた表情を浮かべた。血統も目立たず、欠陥持ちの仔馬に期待など抱く理由はない。それでも古川は、頑として決意を変えなかった。
「名前をつけよう。……“シルヴァースター”。泥の中に輝く星だ」
平成元年、競馬界は静かな変革期にあった。外国産馬の参入が加速し、地方競馬との交流も始まっていた。テレビ中継、女性ファン、ウインズの拡大。競馬は「ギャンブル」から「エンタメ」へと変貌しつつあった。
そんな中、シルヴァースターは牧場で特別な育成プログラムを受けていた。脚の負担を避け、坂路は使わず、プール調教を導入。左右バランスを整える独自の装蹄も施された。
古川は、ただひたすら信じた。
「こいつは、どこかで花開く馬だ」
デビューは遅れに遅れて、3歳の初夏。競馬場は札幌。重賞戦線ではすでにクラシックホースが生まれ、シルヴァースターのような遅咲きには注目も集まらなかった。
初戦は9着。2戦目も7着。スタートは悪くなく、道中も我慢できるのに、直線で止まる。ファンの間では「やはり脚のせいではないか」という声も聞かれた。
だが、調教師の田島孝雄だけは違った。
「違う。こいつは、まだ“競馬”を知らないんだ」
6戦目、真夏の福島。単勝オッズは12番人気。重馬場、外枠。条件は最悪だった。
だが、最後の直線、彼は突き抜けた。馬群を縫って、まるで沸騰するように弾けた。
「やっと……開いたか」
田島が呟く。シルヴァースター、ついに初勝利。牧場では古川がスタッフ全員に寿司をふるまい、祝杯をあげた。
「こいつは、ここから始まる」
そこからは、まさに加速の連続だった。
1勝クラスを快勝。2勝クラスでも直線一気で突き抜けた。連勝は3へと伸び、あっという間にオープンクラス入り。
世間の注目も集まり始めた。
「無名の牧場出身の馬が、重賞候補に浮上」
「地方の星、シルヴァースター」
メディアのインタビューで田島は語った。
「特別な馬ですよ。走るたびに“何か”を掴んでいく」
秋、G1「秋の天皇賞」への出走が決定した。夢の舞台。東京の府中競馬場には8万人を超える観衆が詰めかけていた。
人気は4番人気。勝ち負けを意識される位置だった。
レース当日。パドックに現れたシルヴァースターは、明らかに落ち着きがなかった。鼻をフンフンと鳴らし、尻尾を小刻みに揺らす。
スタートはまずまず。しかし、道中で他馬に絡まれ、リズムを崩す。直線では脚が止まり、13着に沈んだ。
古川は無言でテレビを見つめ、スタッフは肩を落とした。敗戦以上に衝撃だったのは、レース後の検査結果だった。
「右後肢屈腱炎。全治1年」
レース後、獣医から渡された診断書を見た瞬間、田島は目を伏せた。
「右後肢の浅屈腱炎。腱の繊維に部分的な断裂。全治、およそ1年。」
腱炎──競走馬にとっては致命傷とも言える負傷だ。再発の危険も高く、完治してもかつての走りを取り戻せる保証はない。
トレセンの空気が急に冷たくなったように思えた。
「……無理はさせたくなかったが、やはりG1は……」
田島の言葉に、古川は黙って首を振った。
「無理させたんじゃない。あいつが、自分から行ったんだ。悔いはねぇよ」
治療の第一歩は、「完全休養」だった。
屈腱炎は“使いながら治す”ことができない。腱の断裂部に血流が集まり、炎症が落ち着くまで、まずは最低3か月の放牧。運動は一切禁止。狭いパドックでの管理となった。
「動くな」という命令ほど、馬にとって酷なものはない。
自由を奪われたシルヴァースターは、最初のうちは激しく柵を蹴った。大きく嘶き、頭を振り、仲間の群れから離されたことに抗議した。
獣医は言った。
「精神面のケアが第一だ。腱だけでなく、心も壊してしまう」
古川は毎日、パドックの外に椅子を持ち出し、朝と夕に小一時間、黙って馬の傍に座った。声はかけない。ただ、そっとリンゴを置き、背中を撫でる。
「お前の脚が治るまで、俺が代わりに走るさ。心配すんな」
やがてシルヴァースターは落ち着きを取り戻し、穏やかに草を食むようになった。
4か月目。腱の炎症が引いたことが確認され、ウォーキングマシンでの歩行訓練が始まった。
一日30分、一定の速度で歩くこと。それだけでも脚への負荷はある。筋力の低下とバランスの崩れが予想されたため、装蹄師は左右の蹄鉄バランスを細かく調整した。
調教師の田島は週に一度牧場を訪れ、馬の動きを映像でチェックした。
「前のような力感はまだ戻らないが、着地の角度がいい。腱をかばってない」
半年後、**トレッドミル(水中ウォーキング)**が始まる。
水の浮力を利用して脚への負担を軽減しつつ、心肺機能と筋力を取り戻す方法だ。
「ジャブジャブジャブ……」
水の中を進むたび、シルヴァースターの顔に活気が戻っていく。
7か月目には、乗り運動が再開された。調教助手がまたがり、ダク(速歩)からハッキング(軽い駆け足)へと段階的に負荷を増していく。
「怖がるかと思ったが……いや、あいつは嬉しそうに走ってる」
助手の言葉に、田島は小さく笑った。
9か月目。坂路調教が解禁された。これは大きな意味を持つ。
脚に負担がかかるが、脚力を取り戻すには避けては通れないステージ。
坂路は朝の薄明かりの中、湿った土の香りが漂っていた。田島は、久しぶりに自ら鞍をつけ、彼の背に手を置いた。
「久しぶりだな……戻ってきたな」
坂を登るシルヴァースターの脚は、力強く、滑らかだった。腱の張りは正常、フォームも崩れていない。何より――馬体のバランスが劇的に良くなっていた。
「怪我する前より、良い体になってる」
栄養管理、リハビリ、精神ケア――全てがうまく噛み合い、1頭の馬を完全に生まれ変わらせていた。
10か月目、試験的なスピード調教。5ハロン65秒程度の時計を刻ませる。反応、呼吸、追ってからの動き――いずれも合格。
11か月目には、本格的な追い切り。美浦トレセンでの最終調整は、時計以上に関係者の心を打った。
「軽い……脚の回転が、まるで若駒みたいだ」
調教の後、田島はそっとつぶやいた。
「走る理由を、あいつは忘れてなかったんだな」
同じ舞台、同じレース。1年前、悔しさと痛みを抱えて沈んだあのG1・秋の天皇賞。
再び出走表に刻まれたシルヴァースターの名は、多くのファンの記憶を呼び覚ました。
だがそれは、ただの復帰ではなかった。**怪我を乗り越え、進化した姿での“帰還”**だった。
1年後、彼は帰ってきた。静かに、しかし確かに。
彼の動きはかつてないほど滑らかだった。走り方そのものが変わっていた。
「――怪我を越えて強くなった。信じられんが、本当だ」
田島は、秋の天皇賞への再挑戦を決意する。
再びG1の舞台。5歳という年齢。若い有力馬たちがひしめく中、彼は静かにゲートに入った。
スタート。中団のやや後ろ。じっと我慢。折り合いは完璧だった。
最終コーナー。内を突く。
「そこは狭い、抜けられない……!」
観客の多くがそう思った瞬間、彼は小さく、しかし鋭くステップを刻んだ。
道が、開いた。
全力で駆けた。1年前、敗れたあの直線。あの日の悔しさと、1年の鍛錬を乗せて。
ゴール板。1着。
場内にどよめきが広がる。田島は帽子を取って、天を仰いだ。
「……帰ってきた。いや、進化して帰ってきたんだ」
表彰式。騎手は、涙ながらにこう語った。
「この馬は、勝ったんじゃない。負けなかったんです。何度も立ち上がって、信じてくれた人たちのために走ったんです」
歓声と拍手が、中山の空に響き渡った。
牧場でそれをテレビ越しに見ていた古川は、黙って頷いた。
「あの日の脚が、ここまで来たか……」
目を閉じれば、生まれたばかりのあの小さな仔馬が、何度も立ち上がろうとしていた姿が思い出された。
泥の中に輝く、小さな星。
それは今、誰もが見上げる大きな星となった。
全力で駆けた。1年前、敗れたあの直線。あの日の悔しさと、1年の鍛錬を乗せて。
ゴール板。1着。
場内にどよめきが広がる。田島は帽子を取って、天を仰いだ。
「……帰ってきた。いや、進化して帰ってきたんだ」
表彰式。騎手は、涙ながらにこう語った。
「この馬は、勝ったんじゃない。負けなかったんです。何度も立ち上がって、信じてくれた人たちのために走ったんです」
歓声と拍手が、中山の空に響き渡った。
牧場でそれをテレビ越しに見ていた古川は、黙って頷いた。
「あの日の脚が、ここまで来たか……」
目を閉じれば、生まれたばかりのあの小さな仔馬が、何度も立ち上がろうとしていた姿が思い出された。
泥の中に輝く、小さな星。
それは今、誰もが見上げる大きな星となった。