今年の秋は暖かくて、いつもは10月はじめに初雪なんだけど、一ヶ月くらい遅かった感じがする。でも急にマイナス10度になった。
子供たちは、その日からスキー服を着て登園、いつものように普通に外遊びをする。誰かが焚き火ごっこを始めた。木切れを積んで、火を点けるふり。それから火が起って暖かくなったふり。その想像の焚き火に手をかざして、暖かいねというふり。みんなが集まってきた。
なんだか本当に暖かくなってくるから不思議。私も焚き火にあたった。ありがとうね。
先週はカンファレンス、個別懇談会。一人一人の子供についてご両親と話し合う。
まず思うのは、親御さんへの感謝だ。私たちプリムローズ保育園を信頼してくれて、大切な子供を預けてくれた。ありがたい。
スタッフの質がいいこと、子供が保育園が好きで喜んでいることなどで、感謝してくれる親もいて、「ここはうちから遠くて送り迎えが大変なんだけど、価値があるわ」と言われた。保育園は、来てくれる子どもたち、それを支える家庭、スタッフの一人一人で作るものなので、皆さんのおかげだと思う。開園して7年、がむしゃらにやってきた時期から、次のステージに入った感じがする。信頼を基礎にした、楽しいコミュニティが生まれている。
シュタイナー教育の、人間の発達7年周期は、保育園や学校にも当てはまるんだね。
プリムローズ保育園で3歳から見てきた子供たちは、小学校へ入っても学童保育でプリムローズにやってくる。その子たち との関係は、保育園時代と変わらない。私は、トントンと背中を叩いて寝かしつけてきた子たちの背中をふと触りたくなる。それで私の手のひらから、「いつも見ているからね。いつでも帰ってきなさい。話を聞くからね。一緒にパンを作ろうね」というメッセージが、その子たちの体に伝わる気がする。
小鬼と訳したけど、Goblin(ゴブリン)とは ヨーロッパの民話に出てくる、凶悪ではないけれども、ちょっと悪ふざけをする、マジカルな生き物だ。その原型は、ケルト神話やキリスト教以前まで遡るのだろう。
このハロウィーンのお話を語り終わった時、5歳の子が 真剣な顔で「小鬼って信じないっ」ってまず言ったけど、語っている間は、実に神妙に聞いていた。その年齢の子たちにとって、妖精や小人や小鬼などが存在するかどうかは大問題で、自分の信じてきた世界が崩れるような、それとも自分で崩すような、アイデンティティに関わることなんだと思う。
それはともかく、作者のナンシー・フォスターは、三十年間ニューヨーク州のエイコンヒル・キンダーガーテンというシュタイナー幼稚園の現場にいた人で、今のアメリカのシュタイナー幼児教育を作ってきた人だ。ナンシーの詩、歌、お話はアメリカ中のシュタイナー幼稚園で使われている。
このお話を語ってみて、ああ、これはヒーリングストーリーなんだと気がついた。森の奥深くの岩場に住んでいる小鬼は多分ひとりで、寂しい。ゴツゴツとした自分の住処より、森の向こうにある農場や街の家の方が温かくって楽しそうで、羨ましいと思っている。
寂しくって人が羨ましい、そういう子って沢山いる。そのうち何人かは悪いことをしてしまう。おもちゃを取ってみたり、人を叩いてみたり、ものを隠してみたり、なんでも自分が一番でないと気が済まないとばかりに叫んでみたり。楽しく遊ぶ工夫とか、よかったねと共感する方へ心が動かない。心が満たされていないから、人に意地悪をしてしまう。
この小鬼はそういう寂しさを紛らわすために、それから、ここに自分がいるんだよっ、ていうことを知らせるために、月夜には森を抜けて人の住んでいるところまで行く。Deep woodsだから、深く大きな森なので、小鬼は結構長い距離を歩くのだと思うと、そこまでして行くなんて、そんなに寂しいの?となんだかいじらしくなる。だから月を道連れにできる、月夜だけ出て行くことになるんだね。月を見て本能がムラムラと来るのだろうけど。
農場の人も街の人もほとほと疲れるほど、この小鬼のいたずらはエスカレートしてゆく。牛の尻尾を他の牛の尻尾と繋ぐという、このユーモア溢れる行為も、朝から仕事モードの農場主には迷惑でしかない。隠された卵はどんどん古くなってゆくし、何より子供達が仕事をしていないと叱られるかもしれない。ピンポンダッシュも、度重なると頭に来る。
寂しいよお、寂しいよお、僕はここにいるんだよおって、小鬼はメッセージを送っている。
このお話の大事なところは、このジャックオーランタンが、笑顔ということだ。怒った顔で脅かしたのではない。何かを交換条件にイタズラをしないことを契約したのではない。小鬼は自主的に自分でイタズラをやめたというか、自分の行動に気をつけるようになったいう結末になるのは、自分は誰かに笑顔で見られている、という安心感があるからだと思う。自分がいることを主張しなくても、自分をわかってくれる人がいるということだ。
もし怒った顔のジャックオーランタンだとしたら、小鬼も怒るだろうし、その勢いでジャックオーランタンを蹴飛ばすかもしれない。そしてイタズラは続くだろう。アメをもらってイタズラしないと契約したら、小鬼はもっと有利な契約を提案することだろう。
笑顔で、いつも見ているよという、温かいメッセージは小鬼の心に届き、小鬼を内側から変えてしまった。この小鬼に自分を見ている子供は少なくないと思う。
ストーリーテリングはセラピーであり、ヒーリングの場だ。子供達の心に温かさが届きますように。
昔々、森の奥深くの岩場に小鬼が住んでいました。一番好きなことは、農夫たちと農夫の子供達、街の住人とその子供達にいたずらをするという、ちょっと困った小鬼でした。
夜になってあたりが暗くなると、小鬼は岩場から外を眺めて、月が輝き、星々が覗いていたら森を抜け出し、農場の牛舎に忍び込みました。そこは牛が平和に干し草をムシャムシャと食べているところなのですが、そこでこの小鬼は何をすると思います?素早くそっと牛の尻尾を捕まえたかと思うと、別の牛の尻尾と結んでしまうのです。そして次の朝農家の人が牛を牧草地へ連れて行こうとすると、どれだけ時間がかかるか想像してみてください。
また次の日にはイタズラ小鬼は鶏小屋へ忍び込みました。茶色い卵を雌鶏の巣から取り出し、小屋の角の藁の下に隠しました。次の朝農場の子供達が卵を集めに行くと、そこには卵がありません。
それからこの小鬼は街の家へ行きました。もし子供のおもちゃが庭に置き去りにされていたら、それを素早く取って隠しました。それから玄関ポーチへ上がってベルを押し、うちの人が出てくる前に逃げて隠れました。
とうとう農夫たち、その子供達、街の人々、その子供達は、小鬼のイタズラにとても疲れてしまいました。そしてある日みんなで集まって、どうすればいいか話し合いました。長い間いろんなことを考えた後に、一人がこう言いました。「どうやって小鬼のイタヅラをやめさせるか知っているよ、みんなで畑へ繰り出して、一番大きな野菜を見つけて持って帰ろう」
そしてみんなで畑へ行き、大きな丸い黄色いカボチャを見つけました。皆それぞれ一つづつ持って帰りました。そして彼はこう言いました。「俺がすることを見て。」彼はカボチャの上のところを切って帽子を作りました。そしてタネと中子を全部掬いだしてから言いました。「さあ、これからが大事なところさ」そしてナイフを取り出し、カボチャに目を二つ、鼻を一つ切りました。そして大きな笑っている口を切りました。そしてみんなに大きな声で言いました。「皆のもの、このジャックオーランタンをこのように作らなきゃいけない。それからろうそくを中に入れるのさ、それから今夜ジャックオーランタンを家の前の窓か玄関ポーチに置き、ろうそくを灯す。あのイタズラ小鬼をからかおうぜ」そして皆はカボチャを家に持ち帰り、夜になってジャックオーランタンを窓や玄関ポーチに置き、ろうそくを灯しました。
その夜、イタズラ小鬼は自分の小さな岩場の外を眺めました。確かに月は明るく輝き、星々が覗いていました。そして森を抜け出して最初の農場に行きました。牛小屋に忍び込もうとした時に、急に大きな金色の顔が笑っているのを見ました。おおっ、彼は叫びました、「誰かがオイラをみているっ。ここに入らない方がいいぞ」そして走り去りました。そして鶏小屋へ行き、中に入ろうとした時、大きな金色の顔が笑っているのを見ました。おおっ、彼は叫びました。「この中にも入らない方がいいぞ、誰かが僕を見ているっ」そして街へ走り去りました。でも、ドアベルを押そうと最初の家の玄関ポーチへ上がろうとした時、立ち止りました。おおっ、彼は叫びました。「ここに上がらない方がいいぞ。誰かが僕を見ている」それはもうひとつの、大きな金色の笑い顔でした。
そして、イタズラ小鬼は走りに走り、彼の小さな岩場へ戻りました。それからその後はお行儀良くなったということです。
ジャックオーランタンさん、あなたは可笑しな顔よ
窓のそばに座って外を見ている時は。
以前は、しっかりとした蔓に繋がった、黄色いカボチャだったのよね
でも今はジャックオーランタンで、輝くロウソクの光を見てね
アメリカの伝統的な歌