先日も紹介したこのドラマの中で↓

 

 

 

「親ガチャ」という言葉をたしなめるくだりがでてきて、ちょっとへこみました。

 

まあ、そうだよね。

 

普通の感覚で言ったら、醜い言葉と思う人が多いのだろうと思います。

 

 

じゃあ、もがいてももがいても這い出せない苦しい状況を

 

どのように受け止めたら、落ちていきそうになる心を保てるのだろうか。

 

どういう人生観を持てば、のしかかってくる親きょうだいの影響を受け入れ

 

普通になれない現実を受け入れ、前に進む力が湧いてくるのだろうか。

 

 

「前世の報い」…これほど生きる気力を奪う言葉はないと思う。

 

「与えられた使命」…崇高な神様を信じられる人にとっては、神様に褒められるために頑張ろうと思えるかもしれないけど、私には無理。「親のために生きるのがあなたの使命」などと言われたら、神様と世界を恨むと思います。

 

「不運」…悲壮感たっぷりで重苦しい。自己憐憫に浸っているようで嫌だ。

 

 

他に何があるかなあ。

 

「前世」だとか「使命」だとか「不運」だとか口に出して言ってみると、どんよりするけど

 

「ガチャ」と言ってみると、やっぱり、くすっと笑えて、気が軽くなるな。

 

 

ここまで書いて気付いたのですが、

 

私には、自分の意志で人生を決められる余地があると思える人生観が必要。

 

「神様、お救いください」としか言えないような人生観は嫌なのです。

 

何者かの意志によって私の人生が動かされている

 

その何者かに従わないと幸せになれないと考えるのが嫌なのです。

 

 

その点、「ガチャ」というのは「確率」であり、万人に適用される自然科学の法則です。

 

大いなる何かに認めてもらおうがそうでなかろうが、

 

サイコロを振るときと同様、万人に適用される法則なので、

 

その点では平等で、自分が特別に間違った存在ではないと思えて、力が湧きます。

 

誰もがそんな世界で生きている、じゃあ、私も頑張ろうと思える。

 

「確率」なのだから、ずっと生き続けていれば、つまり、ガチャを引き続けていれば

 

いつか当たることもあるかなーと思えたりする。

 

(実際、ラッキーだと思える出来事もある)

 

神様の顔色を窺わずとも、淡々と、いいことが起こる確率を上げる努力をすれば

 

なんとなく、人生がいい方向に向いていくのではないかと、希望が持てる。

 

 

↑上記のドラマの中では、「親も子もみんな一生懸命生きているのだから

 

“ガチャ”などと言う必要はない。その一生懸命さをわかればいい」みたいな話でしたが

 

そんなことでは到底、受け入れられない現実もあるのですよね。

 

 

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