職場のかたからお借りした辻村深月『ツナグ』を、気持ちがざわついていたこともありかなり放置していたのですが、いま読んでいます。


……「親友の心得」の章、えぐられる。


来週、幼なじみMちゃんの命日、もう9年が経ったなんてちょっと数えまちがいじゃないかと思うけれど、なんというかふと見た窓の外みたいに近く、鮮明に苦かった痛かった感じが戻ってきました。


作品後半については辻村さんですから、執着と軽蔑とどうしようもなさが容赦なく描かれており、私がセンチメンタルに悼むのを拒むかのような展開でしたが(とはいえそこで感傷を受け入れてしまったら吉本ばなな『ムーンライト・シャドウ』のコピーでしかなかったはずで、私はいま辻村さんを非情だとか無情だとか言いたいわけではありません)。


えぐられて虚空に放心しているので、一気読みはあきらめ。ただ、この人の筆力というか凄まじさはいったい何なのだろうと呆然と思っています。こないだ『太陽の坐る場所』をあんまり褒めませんでしたが、ムラというより他であまりに圧倒されていた私の「受け手としての事情」も影響しているのでしょう。期待するハードルが勝手に上がってしまう。



会いたいや、会いたいや……会いたいや。会いたいや。

会いたいや。会いたいや。会いたいや……会いたい……

(Cocco「陽の照りながら雨の降る」より=タイトル同様)