雑誌「ダ・ヴィンチ」の最新号に


「子どもたちのために」私は都条例改定に反対します


というタイトルで角川の社長のインタビュー記事が掲載されています。私は全面的にこの記事を支持します。というか、私がこの件についてずっと悔しいのは、賛成派の意見には必ずといっていいほど「子どもを守るために」が用いられるけれど、その使命感の矢印の太さが条例改定のはらむいくつかの問題を混同してしまっているにもかかわらず「子ども」を盾にされると反論があたかも不道徳であるかのような印象になってしまう「キーワードトリック(造語)」で、でもこのたび井上社長はそこをきちんと指摘し、冷静に「ゆでガエル」の例をひいて条例改定の何が危険なのか語って下さっています。


そうなのよ。ゆでガエル。この条例をお役人が少しずつ確実に治安維持法っぽく運用していったら、表現の場、フィクションどころか、この現実世界は煮え湯になる。


図書館戦争はファンタジーとして受けとるから面白いのであって、現実にそんなことがあっても嬉しくもなんともない。そもそも表現(発信)が受信者を安易に犯罪に走らせるとか、そういうデータって私の目にふれないだけでどこかに存在してるの? 犯罪抑止のために表現をどう解釈するか、読みかたの教育に力を入れるんじゃどうしていけないの? ちょっと理解できない。カエルゆでるより他にすることあるでしょうよ。


とはいえ、都民の署名に対してさえ「どうでもいい」と注意を払わなかったと聞いていますから。今回の改定に賛成した議員および都知事・副知事は私に理解できる思考回路をお持ちでないのかもしれません。社会的立場のあるかたであるにもかかわらず、漫画作品にかかわる人間への蔑視や偏見に満ちたコメントを平然と述べてしまえる感性の持ち主みたいですし(しかし都知事みたいな大切な役職の選挙がなぜ消去法で「だれにも投票できないよどうしよう」なんてお粗末なことになるのか、大丈夫なのか東京)。


本当は私のはらわたが煮えくり返っているのですが(でなきゃこのテーマでいくつも投稿しない)、ダ・ヴィンチが一定の鮮やかさで読者に警戒を促すことに成功していますようにと、ただそればかりを祈ります。



タイトル:ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』より

望みをかなえたもう金の瞳の君、またの名を幼ごころの君。裸足で傷つきながら縄梯子か何かをのぼっていく場面、今も思い出して少し泣きそうです。私も、守りたいのに。