$「氷雪の門`1945年夏’」監督村山三男

 

 

 

 

 

 

 

 

 

$『樺太1945年夏 氷雪の門』(からふとせんきゅうひゃくよんじゅうごねんなつ ひょうせつのもん)は、1974年公開の日本映画。株式会社JMPが製作。

1945年昭和20年)8月15日玉音放送後も継続された、ソ連軍樺太侵攻がもたらした、真岡郵便電信局の女性電話交換手9人の最期(真岡郵便電信局事件)を描いているが、生存者への配慮から意図的に事実と変えている部分もある(後述)。

あらすじ

 

樺太1945年夏 氷雪の門の位置(サハリン内)

 

劇中に登場する地(注:境界線はロシア側主張に基づく現代のもの)

戦後の日本人にとって馴染みが薄くなった、かつての日本領「樺太」(現サハリン)。稚内の氷雪の門(慰霊碑)からは、樺太島を望むことができ、その傍らには、9人の乙女を記念した碑も建てられている。

時は太平洋戦争末期の1945年昭和20年)8月8日、樺太の真岡。関根律子坂本綾子ら、電話交換手の女性職員たちは真岡郵便電信局で勤務に勤しみつつ、アメリカ潜水艦の目撃情報や広島の甚大な被害の噂を耳にする等、不穏な気配を感じていた。樺太の日本人住民たちは日ソ中立条約によってソビエト連邦軍からの攻撃は無いと期待し、中には空襲の激しい本土から疎開してきた者もいた。

律子には、向地視察隊日の丸監視哨で任務に就く婚約者久光忠夫が、正子には機関士の恋人中西清治がおり、戦時下生活の中で青春を過ごしていた。また、夏子の妹:秋子恵須取町大平で看護婦として勤務し、信枝の姉:房枝一家も同町に在住する等、電話交換手たちの家族は樺太各地に居住していた。その夜、ー格の律子や綾子が中心となり、貴重品の砂糖を持ち寄ったお汁粉をメインに、乙女たちは束の間の茶話会を開き、レコード(灰田勝彦の『新雪』)をかけ、またアコーディオンの演奏と共に合唱して楽しいひと時を過ごす。

8月9日豊原市第88師団本部では、ソ連に北方から侵攻された場合の防衛計画を再確認する。1個師団のみで九州と同程度の面積の南樺太を防衛[注釈 1]するのは、極めて困難であることが予想された。その日、日ソ国境では突如としてソ連兵の攻撃を受ける(ソ連対日宣戦布告)。

第88師団本部に下令された「積極的に攻撃するも、越境すべからず」の命に、鈴本参謀長は驚愕するが、やがて大局的な動きを察する。交換室も慌ただしくなり、電話交換手たちは逓信省樺太庁からの公式情報を各所に伝達したり、業務を通じて樺太各地の状況を知るようになる。忠夫は絶望的な状況の中で、律子を想い、死を覚悟する。

8月11日、師団本部には次々と玉砕の報告が入る。8月12日恵須取西柵丹村安別が激しい攻撃を受け、房枝は子供3人を連れて、徒歩で必死に恵須取から南へ避難を開始する。避難行の中、スパイだと互いを疑い、荷物や幼子が路上に放置され、またソ連の機銃掃射を受ける。清治は機関車をピストン輸送させながら住民の退避に全力を尽くす。

8月15日正午、玉音放送によって終戦の詔が告げられる。日本人は皆敗戦に驚き、戸惑う。その日、国境のソ連軍は静かであった。日本側は15歳以上の男子以外の婦女子、老人、病人を退避させようとする。植中郵便局長は、電話交換手たちに婦女子の退避が命じられたことと、残留する男子中学生たちを交換手に養成することになったと告げる。しかし、律子は自らの業務への使命感と誇りから、残留を申し出る。それに続いて、複数の女性交換手が賛同する。植中は、ソ連兵による辱めから女性交換手を守らねばならないこと、それぞれの家庭の事情があると説明し、上層部への上申を約束して、その場を解散させる。

律子や夏子のように率先して残る者だけでなく、靖子のようにソ連兵の暴虐を怖れる家族から残留に反対される者など様々であった。先に退避する知子は、退避の間際、涙ながらに交換所に電話し、残留者と互いに再会を約束する。律子は自分たちも23日までに疎開すると話す。

終戦の報が広まる中、突如、恵須取が爆撃を受け、軍人・民間人すべてに衝撃が走る。大平地区の炭鉱病院では、ソ連の襲撃の中で医師や看護婦らが治療を継続していた。第5方面軍からは第88師団に「自衛戦闘」継続の命が下る。8月17日、看護婦たちは重病人を、何とかトラックに載せて退避させる。ところが、看護婦たちは自らの退路を失ったところで、ソ連兵の暴虐を恐れて集団自決を図り、秋子も犠牲になった

8月19日武装解除の一環である軍旗奉焼式が行われる。しかしソ連の攻撃は止まず、引揚船も次々に撃沈される。また上敷香においで鈴木参謀長らがソ連と停戦交渉を行うが、ソ連側に一蹴される。

8月20日早朝、ソ連軍[注釈 3]は真岡町への激烈な艦砲射撃や空襲と共に上陸を開始した。歩兵第25連隊の将兵たちは、国際法に基づいて白旗を掲げてソ連兵と交渉しようとするが、その場で銃殺される。交換手の家族たちも、ある者はソ連兵に殺害され、ある者はかろうじて逃げ延びた。

夜を徹して業務にあたっていた律子は、激しい襲撃の中、年若い交換手たちに避難を勧める。みな一度は指示に従うが、律子がひとり持ち場を守る姿を垣間見て、交換室に戻ってきてしまう。9人の乙女たちは必死で交換業務を遂行するが、窓からはソ連兵が迫って来るのが見え、また植中局長も出勤できない。各地が襲撃を受け、かろうじて通信が繋がるのが泊居郵便局のみとなる。渡部郵便局長は白旗での降伏を勧めるが、「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉であった。

交換手たちは、以前綾子から分けてもらった青酸カリを手にする。死の間際、律子は最後まで守った誇りと共に「でも死にたくない」とつぶやき、平和な楽しい日々を回想する。ほどなく9人全員が死亡し、亡骸の傍らには美沙子が別れを惜しんで連れてきた白い兎たちが寄り添っていた。死に際して、両足を紐で固く結んでいる者もいた

エピローグで9人の乙女たちは「公務による殉職」が認められ、1970年代になって勲八等宝冠章が授与されたことが紹介され、生き延びていた忠夫や綾子が慰霊碑を参拝する。犠牲者たちの真の願いを問いかけて、映画は終わる。