$ともぐい 河崎秋子(著)

 

 

$解説

第170回直木賞候補作! 己は人間のなりをした何ものか――人と獣の理屈なき命の応酬の果てには
明治後期の北海道の山で、猟師というより獣そのものの嗅覚で獲物と対峙する男、熊爪。図らずも我が領分を侵した穴持たずの熊、蠱惑的な盲目の少女、ロシアとの戦争に向かってきな臭さを漂わせる時代の変化……すべてが運命を狂わせてゆく。人間、そして獣たちの業と悲哀が心を揺さぶる、河﨑流動物文学の最高到達点!!

 

$読者レビューより引用・編集

2023年の、それも秋以降に世の中を騒がせている問題として熊の人里への侵入激増が挙げられると思うのだけどネット上では付随する問題として「人と熊の」というか「人と野生」の共生の問題が騒がれているかと。
やれ「熊を殺すな、人間のエゴイズムだ」だの「それなら熊と共存して見せろ」だのと党派性むき出しにして喧々諤々たるやり取りがネット上のあちこちで交わされている訳だけれども、当然の事ながら結論はさっぱり出ない。
そもそも「野生」というのがどんな物なのか現代社会に生きる我々には恐ろしく分かりづらい。人間だって野生動物から進化した存在の筈だが、現代人は社会に・世間に縛られて野生むき出しの状態で生きることなど叶わない存在である事に異論を示される方は少なかろう。
それぐらい人間と「野生」の間の距離感は遠く隔てられている。
少し前置きが長くなってしまったが、河崎秋子の最新作となる本作はこの「人と野生の間に横たわる距離」を描き出した作品として読まれるべきではないか。
物語の方は相変わらず試される大地を舞台にしてきた作者らしく北海道東部の白糠に近い山の中、人里離れて一人獲物を追い続ける猟師・熊爪を軸に動き始める。ロシアとの戦争の噂が町を騒がせる中、我関せずと鹿や鹿や熊などを仕留めてはその肉や皮、内臓を町へと売りに行く生活を送っていた熊爪だが、白糠の町では鼻つまみ者に等しい扱いを受けている。
そんな誰もかれもが熊爪を敬遠する、あるいはもっと露骨に毛嫌いする中で馴染みの「門矢商店」の主・良輔だけは何かと熊爪を面白がり、あれこれと話を聞き出そうとするが熊爪は良輔の屋敷で目が見えない少女・陽子と遭遇する。
春も近づいたある日、熊爪は山中で獲物を追っている最中に傷つき、倒れている猟師を見つける。「面倒くせえ」と毒づきながらも傷ついた猟師を助ける事になった熊爪だが、阿寒から三日も獲物を追ってきたというその男から相手が「穴持たず」だと聞かされ、厄介ごとを背負わされる羽目に……
とにかくこの作品は主人公の人物造形が全てと言っても良いかと。

主人公の熊爪、これが見事なまでに社会に馴染んでいない。しかしいわゆる「社会不適合者」というのとも違う。社会不適合者というのは社会に依存しなければ生きていけないのに社会に合わせる気が無い様な振る舞いをする手合いを指す事が殆どかと。
しかし熊爪は違う、何というか「個体で完結している」存在なのである。死ぬも生きるも自分一人で、というのが彼を支えている全てであり、またそう在らねばという思いに熊爪自身が縛られている。そんな彼にとっては白糠の町の住人など煩わしいだけの存在であり極力関わり合いになる事を避けたい連中として見ている事が冒頭から描かれ続ける。
無論、狩った獲物を金に換え、米や酒、弾に換えねばならない以上は熊爪も人間社会と最低限の関わり合いを持たねばならない訳だが「やむを得ず」の範疇を一歩も出ない。物語前半で追っていた筈の穴持たずに逆襲されて視力を失う大怪我を負った猟師・太一がメソメソと我が身の不運を嘆き、町へ連れ帰る事を熊爪に求め、挙句は良輔に職を斡旋してくれと縋りつく人間社会への依存を見せ付ける事で熊爪の特異さは更に際立っている。
同じ猟師を登場させて熊爪の異質さを印象付けた様にこの作品、登場人物の配置が「人と野生との距離」を描き出す事を目的として配置されている様にも思われる。熊爪を敬遠する町の住人たちが単なる「非野生」なのは当然なのだけど、ディレッタント臭を漂わせる良輔などは更に自然から遠い存在として描かれる。
物語の中盤で大怪我を負った熊爪を保護するくらいには力のある存在として描かれ続けていた良輔が、物語後半に入り戦争というより大きな社会の変化で全てを失う様などは社会への依存によって生み出される力と熊爪の「個で完結している」強さと奇妙なコントラストを描いていた様に思われた。
が、人の世を捨てるような形で生き、住んでいる小屋の近くで縄張りを主張するなど挑発的な態度を見せた穴持たずに対しては「許せねえ」とまさに同等の野生で怒りを見せる熊爪も、負傷により自分の野生を、個としての完結を傷付けられた事で変化を見せる。
自分がどれほど願っても「真の野生」としては生きられない存在=人間である事を突き付けられた熊爪はある事を目的に自分の獲物であった穴持たずを屠った赤毛を追い始めるのだが、その対決と生死を賭けた勝負の後に見せた熊爪の姿には人と野生との間に横たわるどうしようもない距離を見せ付けられ熊爪の絶望がひしひしと伝わってくる物があった。
これだけでも十分に読ませてくれる作品ではあるのだが、「人でも熊でもない半端もの」である事を突き付けられた熊爪のそれからが描かれる物語終盤は異様な迫力に満ち溢れていた。タイトルの「ともぐい」とは熊と熊のごとく生きる熊爪の事を指すのかと思いながら読み続けていたのだが……熊爪とは別の形で人間の世界に見切りをつけた人物の登場で物語は意外な方向へ。
「ともぐい」の意味する所が何であったのか、野生として生き、死ぬことを望んだ熊爪の願いが叶ったかどうかは読み終えた今でも把握しきれたとは言い難いかも知れない。だが、熊爪という「個で完結しよう」と願った男の生きざま・死にざまを読者に突き付けて人と野生の距離を思い知らせただけでも本作には意義があったのだと言いたい。
「自然にやさしく」という言葉の欺瞞性などはしばしば指摘される事ではあるけれども、知ったような言葉で他人を責めるよりは先に本作の様なむき出しの野生と人が向き合う物語を読んだほうが余程生産的であるし、何より楽しく有意義ではないかと思う?

 

 

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2023/11/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2023/11/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 304ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4103553413
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4103553410
  • 寸法 ‏ : ‎ 19.1 x 13.2 x 2 cm

著者について

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河崎秋子

 

$河﨑 秋子(かわさき あきこ、1979年- )は、日本小説家。元羊飼い

経歴・人物

北海道別海町生まれ2002年北海学園大学経済学部を卒業する。学生時代は文芸サークルに所属していた。大学卒業後、ニュージーランドで1年間、綿羊の飼育技術を学ぶその後、酪農を営む別海町の実家で酪農従業員の傍ら、綿羊を飼育・出荷した

2011年、「北夷風人」が第45回北海道新聞文学賞(創作・評論部門)で佳作に入選する。2012年、「東陬遺事」(とうすういじ)で第46回北海道新聞文学賞(創作・評論部門)を受賞する。2014年、「颶風の王」で三浦綾子文学賞を受賞する2016年、同作でJRA賞馬事文化賞を受賞する「作家では中島敦が好きで、憧れている」と語っている。2019年、『肉弾』で第21回大藪春彦賞受賞。同年末より、十勝管内の街に移住し専業作家となる。2020年、『土に贖う』で第39回新田次郎文学賞受賞、第33回三島由紀夫賞候補。2020年度釧新郷土芸術賞受賞。2022年、『絞め殺しの樹』で第167回直木賞候補。

動物と北海道の近現代史を題材とした作品が多い。動物を題材とするのは羊飼いの経験が影響しており、北海道史の知識は学生時代に制作会社で市町村史や歴史資料をアーカイブ化する手伝いのアルバイトをした経験が生かされているという

作品リスト

著作

  • 颶風の王』(2015年8月 KADOKAWA / 2018年8月 角川文庫)
  • 『肉弾』(2017年10月 KADOKAWA / 2020年6月 角川文庫)
  • 『土に贖う』(2019年9月 集英社 / 2022年11月 集英社文庫)
  • 『鳩護』(2020年10月 徳間書店 / 2023年7月 徳間文庫)
  • 『絞め殺しの樹』(2021年12月 小学館)
  • 『鯨の岬』(2022年6月 集英社文庫)
  • 『介護者D』(2022年9月 朝日新聞出版)
  • 『清浄島』(2022年10月 双葉社)