お金の本当の価値、、、

 “ 剰余価値 ” だと知った。

物々交換での余りものが

世のため、人のため、になり、

腐って無駄にならないように生まれたツールがお金だと知った。

元々お金に無断着で執着はなかったけど

お金が無い、足りないことへの執着があることに気づいた。

毎月中旬になると月末の支払いへの不安に身が縮こまる心配の繰り返し。
どうしよう……大丈夫かな……と心がぐぅーと縮こまる脅えるような焦燥感に襲われる。

脱出したい。


「 あなたの卓越性は何ですか?」

と問われても、正直よくわからない。

卓越したことの中にマネタイズできるものがある。
と言われて、いくつか思いついたものの、
母親に否定され続け、自分でも自己否定し続けてきたから、人より優れているところなんて…… 
“上には上がいる” と思ってしまう。

でも 自分の中の  “ 剰余価値 ” ……
自分には当たり前のこと。自分には必要ないもの。自分に余っているもの。

ならば、つい最近気づいたことがある。


それは、『 私の受けとめ方 』

56歳にして初めて本心を話せた従姉妹が
『 私とは真逆の受けとめ方 』だった。

私は30代の頃、子どもと死んでしまいたい、と思ったことがある。身勝手な話。
どうしたら苦しまずに死ねるか、、真剣に悩んだことがある。
でもテレビで、近所のマンションから飛び降りた母子の母親だけ亡くなって子供は助かった、というニュースを見て大号泣。
子供にそんなことはできない。

だから本当に心の底から一度だけ、
この人(夫)が死んでくれたらどれだけ楽になるだろう… 子どもにも正当な理由(言い訳)ができて生きていける… と。

その3日か4日後、
夜勤明けの彼が救急搬送されそのまま一週間の入院。疲労による腸のぜんもう運動の停止によるものだった。

2階のリビングにいた私と子供に知らせるため、1階の寝室の壁をドンドン、と叩き呼び、脂汗でうずくまり苦しそうに唸っている彼を見た瞬間
私が思ったこと、、、

「 (私に)バチが当たった…私があんなこと思ったから…間違った心根だと。私のせい。 」


でも従姉妹は違う、とキッパリ。
「バチが当たったのは彼。(私を)苦しめたから。命取られないでよかったね、って話だよ。
そのおかげで(私が)1週間離れていられたでしょ。」私なら瞬間的にそう思うと。

目からウロコ。
固まるカラダ。
目だけパチクリ。

自己否定の私と、自分がしっかり育っていた従姉妹。こんなにも受けとめ方が違うのか😳

超〜新鮮✨(笑)


私には当たり前の受けとめ方が、
どうも世の中とは違うらしい、、、。

私のような少数派?
というより、
自己否定型の誰かの気づきに役立つかも?!


これが『 私の剰余価値=自己価値 』?

人様に与えてあげられるもの。


巡り巡ってお金としてやってくるという。
ホントかな?(笑)

期待もしつつ、、、😁

私の受けとめ方をブログで続けてみようっと😊


         〜* 今日はここまで *〜