たとえば、先ほどのような「友達におもちゃを譲ってあげられなくて」という場面では、保育現場であれば、年齢や時期(入園・進級間もない4月か、もうすぐ年度の終わる2月以降かでも、言葉掛けは違うのです)にもよりますが、概ね「〇〇ちゃんもまだ使いたいという思いを受け止め、『使い終わったら交代しようか』とか、おもちゃを使いたがる子に『こっちのおもちゃもおもしろいよ』と別の遊具を提案する」というような対応が考えられるかと思います。


しかし、それはこの対応をする保育者が子どもたちにとって「中立」であり、園生活という「オフィシャル」の場であるという前提があって成り立つことでもあると思うのです。


一方、園生活の外で上記と同じような場面に出会った場合、保護者の方は「中立」でしょうか?


私は、このような場面で保護者が「お友達に譲ってあげたほうが良い」と思うのであれば、躊躇なく「譲ってあげなさい」と伝えたほうが良いと思うのです。


すると、子どもは駄々をこねたり泣いたりするかもしれません。でも、このように保護者の方の「私はこう思う」を伝えることが、家庭の教育力だと思うのです。


保育者も保護者も、同じような対応をすれば、子どもは一つの価値観にしか触れられません。


園生活と家庭で違う価値観に触れる矛盾も、子どもの発達にとって重要だと考えます。