話を聞く。
疑問を感じ、さらに聞く。
聞いたら聞いたで、さらに
疑問が出るので、聞いてく。
「ほんまですか?それ。」
この事実の検証が必要やけど、
自分の予想との乖離に気づき、
衝撃を受ける、ってことがある。
自分の常識が全てではない。
それは、認識しているつもり。
それでも、
「こうなんやろうな」はあって、
それが、足枷となり囚われて、
自分常識を越えたイメージを
持つことができない、ってこと。
だから、
話を聞いて、相手の常識を知る。
相手の分野、領域の常識を知る。
そして、気付く。「差」を感じる。
でもって、闇の中に光を見つける。
なるほど。これは、おもしろい。
自分の常識は、相手の常識でなく、
相手の常識は、自分の常識でない。
こんな、ごくごく当たり前のことを、
忘れかけていた自分自身を恥じた。
このことは、ラッキーだった。
何故ならば、聞く側だったから。
聞く側に立てば、気付けるけど、
聞かせる側、説明する側だと、
このことになかなか気付けない。
疑問を聞いてくれるならいいけど、
そうではないケースもあるわけで、
「差」が埋まることなく、場が終わる。
ってことが、往々にして存在する。
共通言語は、いったい何なのか。
自分の常識を押し付けていないか。
自分の枠の中で、解釈してないか。
今さらながら、再確認した。
このことは、ラッキーだった。
コミュニケーションってのは、
投げて、投げ返してもらって、
それを繰り返すキャッチボール。
そんな基本的なことですら、
割愛するほど横柄になってた。
あかんあかん。
気を付けやんとな。