明石家さんまさんの言葉、より。
「俺は、絶対落ち込まないのよ。
落ち込む人っていうのは、
自分のこと、
過大評価しすぎやねん。
過大評価しているから、
うまくいかなくて落ち込むのよ。
人間なんて。
今日できたこと、
やったことがすべてやねん。 」
確かに、そうやんねー、と思う。
勘違いしないで欲しいことは、
何があっても、全く落ち込まない。
ってのは、ちょっと違うとは思う。
それは、残念ながら、何にも
考えてない可能性があるから。
(さんまさんを除く)
なので、少しくらいは、
落ち込むことがあった方がいい。
ただ、
今まで生きてきて、多少なりとも、
自信がついたり、自負があったり、
頑張ってきた自分を認めたくて、
否定されたくなくて、結界を作る。
だけど、押し寄せる事実たちに
どうにもこうにもならなくなって、
自分の結界を守り切れなくて、
押し潰されそうになったり、
何もかもが嫌になったりして、
落ち込んでしまうことは、ある。
この結界は、過大評価と
つながらないように見えて、
根底では、心の奥底では、
つながっているように思える。
過大評価してるつもりはなくても、
心のどこかでは、強い自分がいて、
というか、強くありたい自分がいて、
自分はもっとできるはず。
自分は乗り越えていけるはず。
自分はなんにも悪くないし、
自分はガンバっているはず。
でもでも、全くうまくいかない。
だから、これらのことを全部、
受け入れたくなくなる。または、
無意識に、受け入れなくなる。
良いとか、悪いとかではなく、
そういうもんやな、ということ。
なので、
真理の教えは、最後の言葉。
【今日できたこと、
やったことがすべてやねん。】
これが、本質だと思う。
でもって、
これを心から受け入れること。
次に大事なのは、
自分で自分を諦めたりせずに、
夢物語でかまわないから
「どうありたいか」を描くこと。
(どうありたい?)
別に、そんなの、ないかもしれん。
でも、“高み”のことでなくてもいい、
社会通念的な常識でなくてもいい。
成長したい、とか、でなくてもいい。
本当に、なんでもいい。
なんでもいい、ってことならば、
なんか1つくらいは、思いつくはず。
「カッコよくありたい」
「カワイイ自分でいたい」
「今の自分でない自分がいい」
漠然でもいい。それでいい、と思う。
でもって、もしそれに
近づきたいって思えるのなら、
それが、自分の意志であり、
等身大の自分であると思う。
またもや、何が言いたいのか
よく分からんくなってきたけど、
ようするに、
今日できたことや
今日やったことが全てで、
それは、自分自身であり、
そんな自分が好きならば、
もっと好きになれるように
思いっきりやってけばいいし、
逆に、あんま好きじゃないなら、
自分のことが好きになるように
好きなことから始めればいい。
みんな大人なんだし、
もう分かっているはず。
“好き”という気持ちだけでは、
どうにもならないことくらい。
だから、諦めることを学んだ。
仕事を諦める。恋人を諦める。
趣味を諦める。夢を、諦める。
それは、それで、仕方がない。
これは、諦め、なのではなくて、
次への新しいスタートであって、
もう、そう考えるしかないと思う。
ただ、
自分を諦めるってのは、
話が少し違うと思ってる。
たまに、
仕事を諦めている、のではなく、
仕事ができない自分を諦めてる
っていうことがあるから、要注意。
自分で自分を諦めてしまうのは
自分がとても可哀想だと思うし、
可哀想な自分を創ってるのが
自分、っていうことだったらば、
自分で何とかしていけるはず。
別に
誰かに支えてもらってもいいし、
神様にすがってもかまわない。
自分は、自分で、変えられる。
今日できたこと、
やってきたことが全てならば、
昨日とは違う、好きな何かを
できたり、やればいいだけで、
そしたら、もしかしたら、
「ありたい自分」に近づける。
くらいの、気軽な感じで、
やっていけばいいと思う。
話が長すぎて、全然
気軽な感じじゃないけど、
深夜に書いたら、
やっぱり、こうなる。
改めて、もう少し、
文字を書くことが
うまくなりたいと思った。