↑↑↑今回のブログテ-マは、コレ(*^日^*)
今日はプロレス祭りだよ~わっしょいわっしょい! でも字が多し!
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初代タイガーマスクの大活躍は皆も知ってると思うけど、そのタイガーの一連のムーブ(メント)を今見ると、とても1980年代だとは思えないね、今でもビックリしちゃうよね? その運動能力の高さに驚いちゃうよー
初代タイガーマスク:佐山サトル。シューティング(現・修斗)創始者。
リンク~ウィキペディア 佐山 聡~
『 初代タイガーマスク(鬼身体能力)_tiger mask (super ability) 』 4分04秒
検:プロレス ケーフェイ UWF リアルジャパンプロレス スーパータイガージム 掣圏道 掣圏真陰流
佐山皇帝
不思議な品、「お屠蘇」。屠蘇散だったかなぁ? けど、実際なに? w
日本酒に生薬だよねぇ。おいらお酒呑めないしナー(笑)
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リンク~お笑い しょのイチッ!~
自分自身がラクに生きよう~そうしよう (=´ー`)
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【にゃんたが観た 昭和の巌流島決戦 お好きな方のみどうぞ】
力道山、説明するまでも無く、日本のプロレスの祖というべき人。ジャイアント馬場やアントニオ猪木の師匠。北朝鮮出身。
その力道山(大相撲出身、元関脇)が、柔道で敵無しと云われた“鬼の木村”こと木村政彦(柔道出身)の挑戦を受けることになった。
昔々の男の体育(運動)では、凄い人、豪の者というのは、柔道か相撲をするのが普通であったと聞く。百%ではなくとも、主流(メインストリーム)の道なんだろうね。
柔道で何年も敵無しで、“木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし”と謳われた、そんな木村を前に、力道山は警戒したにちがいない。それも“純”日本人の木村に。力道山が北朝鮮出身者と世間に広く知れたのは、わりと最近のことだ。
そして、プロレスの試合を興業だから…と認識していた木村は当日も酒に酔ってた(酒が残ってた)という。当日も笑顔を見せる木村。それに対して、ピリッとした力道山。
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力道山は、この試合に敗れる事の意味が解っていた、理解していたのだ。敗者としてリングを去り、人気も金銭も全て手放さねばならぬことを。
興業として“ブック”(或る種の取り決め)があると、したり顔で言う人も中には居る。例えばだが、戦後にお互いのメンツを守るために、最後にグダグダと引き分けにするなどだ。
だが、実際に試合を観てみると、全体的に、プロレス技に馴染んでいる力道山に対し木村のプロレス技慣れしていないところが多々見受けられる。
試合内容は、組み合って、技を決め、それを返して…というプロレスの淡々とした試合運びが続く。木村も攻めてはいるものの、終始力道山ペースで徐々に疲れていってるようにも見え、10分33秒に疑惑の金的蹴り(ローブロー)のような前蹴りを力道山に放っている
直後、力道山が右拳を木村に放ち、続いて前進しつつ、張り手のようなものや、空手チョップを何度か放っている。木村はコーナーに追い詰められ、両手で防ぐ所作をし、隙をみて、胴タックルをかませ、体を入れ替えて力道山をコーナーに押し詰めている。
ここで、ロープブレイクとなり、レフェリーは木村に「足の爪先で蹴るのはだめだよ」というジェスチャーをしていて、それを見る木村… 下記に続く…
(ゴングが鳴るのは、2分20秒から。昭和29年12月22日 蔵前国技館)
『 1954.12.22 プロレスリング日本選手権 "昭和の巌流島" 』13分26秒
と、その木村に間髪入れず、すぐ元のリング中央側に戻った力道山は、なおも木村に押しつけ、前蹴り、押し付け、前蹴りと、何度か攻撃をいれる。その直後に空手チョップの直撃を受けた木村は体がガクンと崩れる
リングにしゃがんでしまった木村に、真ん前から前蹴り(これが効いたと思われる)、更に前蹴り。リング中央に引っ張り出し、踏みつけ(ストンピング)、空手チョップ
コーナーに詰まった木村を一度は見るも、レフェリーは試合続行。力道山は、左・右・左(張り手)を放ち、木村はダウンする。
ん~、、、もしもこれが一発でKOされたのなら、後で“ブック破り”やなんだかんだと、色々言うのもわかるんだよー。でも、キレて来てからが、かなりの時間経ってるしなぁ、何発も手数が有るしなぁ
“ブック”があったとしたと仮定しても、なぜ木村はキレてきた相手に何もしないのか、なぜ安易に何度も何度も攻撃を受けてしまうのか、なぜそんな攻撃でのされてノビてしまったのか…
非常に申し訳ないのだが、「木村が“実戦”の人でなかった」というのが、感覚的に一番しっくりくるのだ。裁判ならば、物的証拠と状況証拠という2つのものがあるが、状況証拠を見ていくと、おいら的にはそうなる。
リンク~ウィキペディア 昭和の巌流島~
まったね~ばっははーい! ヾ( ´ー`)