一般的な死というのは肉体がその動きを完全に停止した時である。
だが、概念的な死は物理的な現象とは別である。
例えば、インターネット上のアドレスを振られたエンドポイントでこの 文章を書いている私が前置きも無しに今後文章をアップロードしなくなったとする。
物理的に死んだかもしれないし、単にブログに飽きたからかもしれない。
閲覧する側から見れば観測出来ない事象は確定しないわけで、SNSの閉鎖等で空間自体が消失したとしても死んだとは言えない。
これは仮想空間に限った話ではなく、ある時を境に何となく会わなくなった友人や知人でも同じ事が言える。
数多ある記事から形作られた「私」や、印象や言動から生み出された「友人や知人」という他者は「あなた」の中で生き続けているということだ。
自己にとっての他者はその記憶が存在する限り生きていると言える。
結局「死」は突き詰めると一種類しかないのだ。
自分の死だけである。
他者の死は自己の内側に存在しているイメージ上の他者が完全に消える、つまり自分の死をもってしか完結しないのである。