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伊藤のアパートから帰ってからは、第三新効に行く頻度が増えていた。
都合の悪いことに、通学路の真ん中あたりに位置しているからだ。

学校帰りに寄るのは当然として、朝寝坊した時も確実に自動ドアに吸い込まれていた。

駐輪場で学校指定のYシャツを脱いで乱雑にバッグに入れ、足早に手前の自動ドアを抜けると向かって左側のシマへ歩いていく。
そこにはバイキングキッドというハネモノが1シマ並んでいて、この機種の釘を真っ先に見るのが習慣となっていた。
この台に限らず第三新効は寄り釘で調整することが多かったが、特にバイキングキッドは羽横の風車とその下の2本釘がかなり重要で、ここが開けられた場合はかなりやる気がある釘調整と見ることが出来た。

バイキングキッドはその名の通り、海賊をモチーフとした台で、役物内では海賊船が左右にゆっくり動いていて、45度傾くと一旦停止、1秒程度経つとまた逆方向へ動き45度傾いて停止を繰り返す。
その動きは、遊園地などでお馴染みのバイキングと呼ばれるアトラクションに似ていた。
上段ステージから玉がスロープを通じて落ちてくる位置が船の最大傾斜で停止した位置と重なっていて、停止直後のタイミングでうまく玉が船に乗ると、中央に位置している逆側の支柱に玉が当たって進路を変え、中央から手前に向かってVへ伸びる道を勢いよく走ってV入賞するのが王道パターンとなる。


これが相当気持ちがいい。


船が動いている時に玉が来ると、大抵は船のヘリに玉が乗ってしまい、そのままハズレ穴に落とされてしまう。
ベストタイミングで玉が乗ってもまっすぐ球が転がらず、斜めの軌道でハズレ穴に落ちてしまう台はネカセが悪く、虹のある街に設置されていた同機種なんかは相当V入賞率が悪く調整されていて、鳴きは良いがどうやったって出ない不人気台となっていた。どんな台でも店の使い方次第だ。
大当たり中は船が中央で停止し、支柱が降りてストッパーの役割を果たす。
船には最大3個の玉が貯留され、センサーが5カウントを感知するとストッパーが開放し、中央の玉がVへ直進する。
貯留のバランスが悪いとパンクすることもあるが、継続率は結構高めで15R完走することも珍しくはない。
賞球6&13で平均出玉は800個ほどだが、完走時は1200個以上程度の出玉になるため、波に乗れれば短時間で定量まで行けることもあった。


この日はバイキングキッドに良さそうな台があったので、とりあえず学校に行くのは後回しにして打ち始めた。
打つ台が無ければ学校に向かえるのだが、大抵後ろ後ろ髪を引かれる調整があるもんだから、寝坊したらもうそこで終わりの始まりなのだ。


逆側にはまだブンブン丸が設置されていて、いつもの背の高い男、性格の悪そうな女、背むし爺の三人組がたむろしている。
背の高い男がリーダーで、釘を見るポーズはしているが、大したことのない台を自信たっぷりに女や背むしに打たせていたのが滑稽に見え、内心バカにしていたのが透けたのか、釘を見ている高校生への鬱陶しそうな視線を常に刺していた。

得意のバイキングキッドは500円でVを射止め、出玉をみるみる増やし始めると、後ろから「まぐれだろ」とわざと聞こえるように言われる。
「まぐれのわけねーだろボケども」と心の中で悪態をつくも、表面上では無視を決め込んでいた。

他にも朝から見かける人は何人かいたが、大抵は大したことのない釘の台に座っていて、一番良さそうな台は空いている事が多かった。
バカばっかりだなと、見る事の出来る狭い世界のほとんどを下に見ていた。
汚れた背の高い自意識は既に花開いていたのだ。


ほどなくバイキングキッドが定量に達し、打ち止め札を持って来ていた店員に「この店は高校生に打たせるんか!?」と大声で男が騒いだ。
見知った店員は困った顔をして対応していたが、騒ぎを聞きつけたSさんが現れると途端に3人組が黙って騒ぎが収まった。

Sさんはギョロ目で無精ひげを大量に生やしたワイルドな顔立ちをしている。
雲のように捉えどころのない人で、年齢は30台前半と言ったところだろうか。
一発台を打っている「いかにも」な人たちとも交流があるようで、一体全体、何をしている人なんだろう?と不思議に思っていたのだが、どうやらテキヤの元締めらしかった。といっても、本来は奥さんの実家の稼業で、当人はスポーツカメラマンをしていたのだが、北海道でスキージャンプの撮影をしている時に腰を痛めてしまい、それからは祭り時期のテキヤとたまに入る緩い撮影の仕事を生業としているのだった。

テキヤの仕事や撮影のアシスタントをバイトとして手伝うようになるが、それはまだ後の話である。

とにかく、その場はSさんの登場で収まり、店での立場は悪くならなかったが、そのまま留まるのも気が引けたので、大人しく学校へ向かうことにした。


学校に行っても授業に対し何の興味もわかなくなっていた。
情報処理の授業はCOBOLという金融システム系の言語を学んでいたが、見た目に動きの無いこのCOBOLという地味な言語が大嫌いで、中学の時に独自でBASICのプログラミングで遊んでいたためか、授業自体がとても低レベルに感じて学ぶ意義を見出せなかった。
強制で受けることになる情報試験は、言語選択を習っているCOBOLではなくBASICにして1級まで取得した。こんな簡単なものに何の意味もないと鼻で笑った。
その後、2種試験という上級試験を受けるも全く歯が立たなかったが、こんなもの必死に勉強してまで取ったって意味ねーよと現実を受け入れなかった。

「俺はやれば出来るんだ」そんな勘違いのプライドを保持したいがために努力をしなくなっていた。
努力しなくても人並み以上に何でも出来るのがそれを助長した。

何より自分に対する期待まで裏切られるのが怖かった。

 

 

 

濃い緑を茂らせる木々ではセミが騒ぎ始め、最後の夏休みが始まろうとしていた。