目の前の現実とは・・


自分の中身=実:みを

あらわす:現す 


それが目の前の現実。


いくつかの断片的な体験・体感で

ようやく理解しかけてきた。


無意識に逃げても、

目の前の現実からは逃げきれない・・。



少し前までの自分は、

恐れを

怒りを

嫌悪を

抱えながら時間を過ごしていた。



ほぼ全てネガティブなのは、

何故なのか?

それすらわからないまま・・。


間違いなく、その感情の大元は

自分の内側にある。

いくら目を背けても

ごまかそうとしても

ごまかしきれない。


「ある」んだ。

そのネガティブが・・。

 

あなたにもきっと、

そんなネガティブがあるのでは?


そのままスルーしても

心のモヤモヤは消えないし、

何に反応しているのかすらわからない。



何故、悲しいのか?

何故、憤慨するのか?

何故、気が向かないのか?



様々なコンプレックスがある。

それはある程度は自覚している。


顔や身体の容姿

望まなかった離婚

望むレベルには届かない収入


そして、もがいた結果、

作ってしまった借金

競馬でだけどね・・。真顔



嫌々ながら

そこにそのままでいる事を選んだくせに、

理由もわからないまま感じる怒り。


しかも、メンターには、

好き好んでそこにいることを選んだのだと

グサリ刺された。


仕事上の考え方

ただ与えられた方針

会社と上司の態度


全てに納得がいかないままだ。


ここにいるのは嫌だ。

もうおそらく成長もなく、

退屈だから・・


そう感じていることだけは確かだ。


そして明らかに度を越したわがままな客と

やりたくも無いソイツへの応対。


それらの現実を

しっかり見るのは怖い。


怖かったんだ・・。

嫌だったんだ・・。


自分の恥を

見られたくない思いを

晒すようで・・。


だって、全て目の前の現実に

映し出されているんだよ


アイツらも自分が登場させている。


自分も度を越したわがままを

言いたがっているのだ。


だけど、今はそれに気づける。

それを許そうとも思える。




今まで培った、処世術としての考えとも

ほぼ一致していた。


全てあって良いんだ。

良いも悪いも、

キレイも汚いも・・。


反対から見ることもできる。

俯瞰して見ることもできる。


対立には相互理解を

怒りには立場の変更と俯瞰を

自己嫌悪にはその手放しと俯瞰を・・


視点や立場は変えられる。

自分の意図一つで変わるんだ。


できるかどうかは別として・・。


そうできることが、理解できた時、

絶対的な価値や重要性も

正解も間違いも

正義も悪も

キレイも汚ないも

実は存在しないことがわかりかける。


もちろん簡単にできることではない。


ようやく理解と体感がすこし重なった。



目の前の現実を見て、

自分の内面のあらわれと認識する。


そしてその目をグリンと反対に回して、

自分の内側も見る。

何が目の前にあらわれた?


自分にそう問いかける。


初めのうちは残念だけど、

相変わらず・・と感じるほど

ほとんど感じられる返事はない・・。


そんな時がずっと続くのではないかと

思ったりもした。


それでも続けて来たんだ。

無駄かもしれないと思いながら。


あなたも取り組んでみる価値はきっとある。

それほど時間はかからないかも知れないよ。


今のところ、

他にもっと良い方法はなさそうだ。


自分に合いそうな

しっくりきそうな方法を探しながら

自分への声掛けを続けてみて欲しい。


返事がきたり、

意図がわかったら、

それをきっかけに

どんどんあなたの本心に繋がり始める。


そうなると、あとは時間の問題だ。


その反応が確認できた後の差は

コレほど大きいのか!

と思うことは保証するよ



コレが自分だ!!と

そうなったら時は

元々周りに空気があったのだと

気がつくように

一気に認識が変わるよ


その後の現実の変化は

自分もいま体験中。

コレからどうなって行くのか

楽しみでしかない。


自分に期待するのは久しぶりだ。

今はそれがたまらなく嬉しい。