皆さま、こんにちは。みさとです。
いつもありがとうございます♢
スピリチュアリズムにおいては、
自分を傷つけることができるのは自分しかいない
という大前提があります。
ここを忘れると、傷ついた過去の記憶を
自分以外の何かに投影して、
その投影がまた更に自分を傷つけるという
負の連鎖に入ってしまいます。
例えばわたしは結婚を、自由を奪う鎖のように
感じていたことがありました。
しかしそれはエゴの自己投影で、
自分が結婚を鎖にしただけなのだと
本当に腑に落ちて理解できたとき、
素直な謝罪と、気づけたことへの感謝が
わいてきました。
現行の結婚制度は確かに
様々な問題や改善点はあると思うけれど、
そもそも私たちの結婚に対する
解釈や認識が歪んでいたり、
ふたりで生きるにあたっての
繊細な取り組みを軽視しているところも
あると感じています。
結婚を、互いの手足を鎖でつなぐものにするか、
互いを純粋な愛で満たす神聖な誓いとするのかは、
自分が決めること。
二人の在り方として、
カリール・ジブランの「預言者」にある
「結婚について」がとても美しいと感じています。
依存のない関係性、互いに自立していると聞くと
経済面のことを思い浮かべるかたが多いのですが、
本質はそこではなく、
日々の意図、ことば、行動に、
相手に対する愛と尊敬があるかどうかなのだと
思います。
以下に引用しますので
ご興味あるかたはぜひご一読ください^^
預言者 カリール・ジブラン
仲むつまじくても互いに距離をおきなさい、
そして二人のあいだに天上の風を吹かせよう。
愛し合っていなさい。
しかし、愛で束縛しないように。
むしろ二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、
波立つ海をあらしめよう。
互いの杯を満たし合いなさい。
しかし、同じひとつの杯からは飲まないように。
互いのパンを分け合いなさい。
しかし、同じひとつの塊を食べないように。
一緒に歌い踊り楽しんでも、
互いを独りにしておくこと。
同じ音楽に震えるリュートの弦でさえ
互いから離れているように。
互いに心を与え合っても、
それを仕舞い込まないように。
生の手だけが二人の心を納められるのだから。
一緒に立つときも、近くに寄りすぎないこと。
神殿の柱は離れて立っているのだから、
樫も樅も互いの日陰では育たないのだから。




