前記事の続きです。







そんなふうに
術後しばらくは、足の親指の痛みと格闘してたみっくんです。


ハムストリングの術後よりも、
10倍くらい辛かった日々。




術後ちょっとの後遺症だよ、って言われてたのに
年齢制限ギリギリだったからかなかなか、本当になかなか、よくならなくて。

なんか真っ赤なシロップの内服薬もらったけど(主治医から)
効いてる感じもしなくて、
ひたすら怖くて、
このまま一生だったらどうしよう、
私異常だ、ってことを9歳なりに悟って
死にたくない、って本気で思った。



足に
普段感じないような少しの風が当たっただけでも、
電気が流れてるみたいなビリビリ。
靴下なんて履けないし。


泣くの堪える、とかそういうのできるレベルじゃなくて
毎日泣き叫んでた。


もう充分なのに
それでいて緊張と過敏も強くて。
もう何が何だか、わかんなかった。


本も持てる余裕なかったから、
ひたすらテレビ。
でも眺めてるだけだった。
夏特集とかみても、ね。





外は夏休み。
なんでもないような外の世界が羨ましくて、でもすごく遠く感じて。



なんで私がこんなことを経験しなくちゃいけないの?
もう頑張ってる、
もういいよ、
ホームランなんて狙わなくてよかったのに

そんなことばっかり考えてました。





家は神奈川で、病院は東京。
県外入院だと、友達や親戚にも会えなくて。



お母さんは、往復4時間かけて毎日面会。
途中からは私と一緒に泊り込みしてくれた。

毎日家事をこなして、面会来て、私を笑わせようとがんばってくれて。

でも、ロビーから帰ってくるお母さんの目は、だいたい赤かった。ちゃんと気づいてた。


あの時、弟は4歳。
それなのに、弟は自分の親に甘えられなくてストレスで泣かなくなって、笑わなくなって。4歳ってほんとなら1番甘えたかったね。ごめん。




お父さんは、仕事場が東京で、
残業帰りに寄ってくれた。

そのころはまだ傷が痛かったし、
私の筋力も落ちて 座位がまたとれなくなって 縦抱きができなくなって お姫様抱っこだったな。

痛み止めとお友達してました。



懐かしい。


このころが入院生活の中で一番辛かった時期です。

まだ小さかったからかはわからないけど、本気で死ぬかも、と思ってた。

でも、死にたいとは思わなかった。
むしろ、死にたくない、って泣いた。



家帰りたい、
お母さんのご飯が食べたい、
学校行きたい、
逃げたい、

そんなことをずっとお母さんに言ってたなぁ…

人生で一番、マイナス思考。




私はただ、ふつうの生活だけを望んでた。



だけど実際は
泣いてた記憶しかなくて、
本当に出口のないような日々だったけど、
それでも少しずつ 光が見えてきました。



がんばってみるもんだよね。


続きます。


長文読んでくださって
ありがとうございました(´◡`๑)