リゾトミーの記憶。



私が9歳の時に受けた脊髄のオペです。
難しく言うと、選択的脊髄後根遮断術、だそう。

詳しくはこちら
→東京女子医大ホームページより



詳しくは割愛しますが、
難しいオペだったんじゃないかと思ってます。

うまくいけばすごく効果のあるものらしいから。


私は年齢制限ギリギリで、
ホームランをかけてリゾトミーを受けました。



もうあれから7年が経つのに、
いまだに記憶が鮮明なところがあります。


自分でこうして振り返るのも初めてのことで、

思い出したくないくらいの闇の記憶なのに、こころのどこかでは忘れてはいけないことのような気もしていて。


この経験をして強くなったのも事実です。


だから、覚えてることを
ちょっとずつ、書いていきます(´◡`๑)


でも、ダークエンドにはしません。絶対。
ただの暗い記事にはしたくない。


ちょっと、お付き合いください(´・ω・`)











入院1日目。

私が入院したのは、小児脳神経外科病棟。私の他には、難治性てんかんの子とか、脳腫瘍の子とかがいた気がする。
大学病院なのに、小児病棟なのに、薄暗くて地味で、市民病院みたいでした。なんでだろ。院内学級もなかったし。嫌だったなー


初めての病院、初めての先生、初めての看護師さん、初めてのPTさん。
初めてづくし。



当時の私は、
生意気なほど余裕をかましてました。"前も切ったし怖くないよー"って。
2週間だけの入院といわれていたから、やる気満々でした笑





そして、ちょっと飛びますが
オペ前日。

その日の夜は、特別に泊まりで狭いベットにお母さんが添い寝をしてくれて。
やたらぎゅーされた。

私はわりとあっけらかん、って感じだったんだけど。

お母さんに、点滴しばらく外れないからその前の記念、と言われた記憶があるんですが、絶対それだけじゃなかったよなぁーと今になって思います。



私は隣にお母さんがいてくれたし、私の前では笑顔だった。
だからすぐに眠れたけど
あの時
お母さんはちゃんと眠れたのかな。泣いてたのかな。



今になって思うことがたくさん。




とうとうオペ当日。

細かいことはもう覚えてないけど
手術着に着替えてオペ室前で待ってる間。

お母さんの目が、潤んでいたのが忘れられません。
我慢してたんだろうけど、私のお母さん不器用だから。

それを見て、私は泣かない、と決めました。
私が泣いたら家族が泣くと思った。





家族みんなにベット囲まれてオペ室に入って…
そこからは記憶が飛んでます。







それからの私の記憶は覚醒してからだいぶ経った時のものです。

例のごとく、身体に管がいっぱいついてました。
The 挿管してました、って感じの喉。それは慣れてたからいいんだけど。



それから、私は泣き叫んでた。
痛くて、
点滴入ってるのにこんなに痛いのか、って怖くなったのも大きくて。


傷そのものもだけど、左足の親指も痛くて…なんか電気が流れてる感じ。脊髄いじったからね。

術後ちょっとの間に起こる神経の感覚障害だったみたいですが。




当時は、
切ってないはずのところがなんで傷より痛いの?って怖くなって。


麻酔から覚醒したその日から泣き叫ぶなんて、どれだけ家族が不安になっただろう…と考えると切ないです。


私も辛かったけど、正直家族の方が辛かったんじゃないかな、とか思ってしまうのです。


痛いしか言ってなかった。心配ばっかかけて、ごめんね。

でも、
そばにいてくれて、ありがとう。







次は、術後のこと書きます。
明日になるかな。




最後まで読んでくださり、ありがとうございました(๑′ᴗ‵๑)



2015.8
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