大根役者でした。グループホームに、できれば自分から辞めて欲しいと言われた。

 

ブログを書くこともせず、仕事一筋に頑張ったけれど、ダメだった。

 

今回もやっぱり同僚に嫌われた。優しいと、はじめ思っていた人は、今では私に辛く当たる。嫌がらせや中傷、無視。それでも使用期間の三か月内は、頑張って働こうと思っている。今後は条件の悪い特養で、より貧しいお年寄りのために、働くつもり。介護は人間関係だから向いていない?人間関係のいらない仕事なんてある?自分で働いて生きていきたいのに、それが、迷惑なのだとしたら・・・。

 

優しさはお金で買うものなんだなぁ。

 

もし、私がお金を払っている利用者さんだったら、みんなは私の自己主張も、頑固さも、生き方も、すべて優しく受け止めてくれたと思うから。

 

逆に言いうと、利用者さんも、お金がなくなれば、追い出される。

 

施設で生きる高齢者は、働く能力もなく、家族に捨てられ、お金で買った優しさの中で、暮らさざるを得ない、どこにも安らげる居場所がない人たちだ。

 

自分が生きていることが迷惑で、自分が死ぬことが予定調和な世界で、なお生きている肩身の狭さ。

 

自分を施設に預けた家族を身勝手だとは思いながらも、本当にお金さえ出してもらえなくなったら、自分はどうなるのか?

 

どんどん認知症が進み、体が言うことをきかなくなり、自分は更に寄る辺なき存在になっていく・・・。

 

根無し草だ。人間はすべて。

 

愛という儚いものに頼って生きている。

 

働く能力がないかもしれない、家族にも呆れられ見捨てられそうな、精神病に苦しむ私には、少しだけ利用者さんの気持ちを理解できる。

 

それでも、私はまだ恵まれている。まだ歩けるし、一人で排泄できるし、きつい・汚い・給料の安い仕事なら、短期間従事きる可能性もある。父もまだ一緒に暮らしてくれている。


 

余裕者のみなさん。自分の余裕を、助けを必要としている人のために、少し、譲歩することはそんなに負担ですか?

 

一生懸命頑張っても、物覚えの悪い、人付き合いの苦手な新人を、フォローして一緒に働くことは、仕事のできるあなたをイライラさせることかもしれない。でも、その負担を我慢してくれるなら、一人の人間が生計を立ててゆけるのです。

 

子供の塾、自分の飲酒を我慢して、マイホームを売却して、妻の共稼ぎを辞めてもらい、年老いたお母さんと一緒に住むことは本当にできませんか?もしくは認知症で目が離せないお母さんのために、サラリーマンを辞めて、借金して喫茶店を始めることはできないことでしょうか?喫茶店でいつもお母さんに座っててもらえば、安全です。

 

かつて自分のために命を懸けてくれた人に、それくらいの犠牲を払うこともできないのですか?

 

自分は何をしても働ける、生きて行けるけれど、お母さんはあなたしか頼れない寄る辺ない存在です。

 

施設に住むことは決して人間の幸福ではありえない。利用者はみんな寂しさを抱えている。どんなに介護者が優しくても、それは愛する人のくれる、無償の優しさとは質が違う。

 

私は、父のためなら、どこでも働くことを拒まれたら、売れるものなら体だって売ろうと思う。父はもう、体さえ売れないのだから。40になって、体さえ売れなくなり、肉体労働もできなくなったら、もう生きていく術を失って、どうしようもなくなったら、その時は父を殺して私も死のう。娘を見捨てて、極貧の中、老いて、苦しんで死んでいくより、泣きながら自分の娘に殺されることの方を、父は選ぶだろうと、長く父と暮らした私には思えるから。たとえ、それで自分が地獄に堕ちることになっても。

 

余裕者が負担を負うことを厭わないこと。余裕者の譲歩が、優しい世界をつくる。

 

税金の負担でも、高齢者の介護でも、会社でも、教育でも。

 

あなたは今、仕事ができるけれど、明日、重い障害負い、働けなくなるかもしれない。今、金持ちでも、いつ破産するかわからない。親に愛されて守られていても、親は死ぬかもしれない。大地震が、戦争が、すべてを破壊する可能性だってある。人間は誰も、儚い、薄氷の上の存在。

 

人に優しくしておけば、自分が優しくされる。自分のために、救いを必要としている人のために、少しの犠牲を払う余裕は本当にないものでしょうか?

 

母親

 

荒川の葦の間に分け入り、大人に隠れて泳いだ

悪友は遊泳禁止の立て札につかまり笑っている

夕方、遊び疲れ、お腹をすかして帰る俺を

家の前で、待っている母

俺を泣きながら叩き、安心したのか笑いかける

下を向いて座っている俺の前に

ご飯と卵焼き

そして、部屋の隅に座り、内職を始める

チラッとこっちを見て、ご飯をよそい

針に糸を通す

この母親に俺は、親孝行できただろうか

 

(ビートたけし詩集『俺は馬鹿になった。』より)