妻夫木聡と竹内結子主演、三島由紀夫原作『春の雪』という映画を見ました。

 

主人公は自分の人生を生きているようで、自分ではない人間に踊らされている。

 

それはまたは作者の三島由紀夫に踊らされているということでもある。

 

それで思ったのは、私たちの人生も、自分自身ですべて選択しているようで、本当は神が定めた運命のレールの上をなぞっているだけかもしれない。

 

そして、人間にできるのは畢竟、この運命の列車中で、見えるものに思い切り泣いたり笑ったり感動したり、苦しんだりすることしかない。

 

この運命を体験し感覚すること。

 

人間とは感情の生き物なのではないか。

 

主人公は恋に苦しみ抜いているようで、どこかそれが幸せそうでもあった。

 

苦しみを苦しむ。自分という運命の劇の主人公に浸りきり演じる喜び。

 

私は小説を書いているから、いつも感情に浸りきれない、熱い役者としての自分だけでなく、冷静な物語の作者としてのまなざしをもっている。

 

傲慢な神の視点といっていいかもしれない。

 

この人生は神の遊び・暇つぶし――神々の戯れにすぎないのではないか。

 

と、醒めた目で自分の悲哀・喜びすべてを感じてしまうときがあるのです。

 

一切は空という思想に似ているかもしれません。

 

もちろん、生きている限り欲望に振り回されたり、苦しんだりは人並にするけれど。

 

時々、そんな自分のすべてを可笑しく、そして空しく感じてしまう。