発病当初に比べれば、格段に良くはなったといっても、治らない病。

 

病というより、心の在り方が他人と違うということ。

 

笑顔で明るくを意識して、当たり障りなく人の中で生活する術は、年の功で身に着けはしたけれど、今でも人の輪の中に入れない。

 

考えることが違う。話すことが違う。何となくあの人は変だね。おかしいね。

 

人が拒む前に私が拒む。嫌われる前に距離を自分で置くこと。

 

そういう在り方が身についてしまった。

 

孤独が私を狂わせたのか、狂っている故に孤独だったのか?

 

どうしてこのように生まれてしまったのだろう?

 

一生懸命働いているつもりなのに、3回もリストラされてしまった。

 

イベントコンパニオンの仕事も呼ばれなくなってしまった。4回目のリストラ?

 

個性だと思おう!私には人にない発想ができるのだと。

 

みんなが輪の中からはみださないように必死な中、私は一人で生きる自由な人間なのだと。

 

孤独を楽しむ術を最近は身に着けた。心から信頼できる相手といるのでなければ、一人の方がいっそ心地良い。自然の美しさは誰にでも開かれている。

 

いらない友人は病を得たことで向こうから消えてくれた。病は良い試金石となる。

 

私たちは病のおかげで本当に信頼できる人だけを選べる。現実の世界が全てではないと、異なった視点から世界を眺められる。苦しみを知っているから、人に優しく振る舞える。苦しいからこそ、生きるということに必要以上に執着しないで、自由に生きられる。

 

いつ死んでもいいのだと、思って見る世界は、案外まだまだいいところがたくさんあるということに気づく。

 

死にたいという女の子に、メッセージを送ろうとして、何も書けなかった。

 

長く生きていれば生き慣れてきます。あなたが死にたいのはまだ慣れていなくて、まだまだ世界を新鮮な驚きでもって見つめているから。生きる意味について真剣に考えているから。

 

それは何の意味もなく生きていることより、遥かに尊い、意味のあることだと思う。