絶滅節が話題の絶滅王子こと源さんと、百花繚乱プロジェクトリーダーのゆきさんと(2人のリンクは上の記事に飛んでね〜)
パートナーシップについて、皆んなでワイワイお茶しながら語り合おうぜーというお茶会イベント
光編の話は、とりあえずブログに書くより、続きはこちら〜ってな感じで、まずは、お茶会で光編の話になるかと思います
私からは
「パワハラやDVに悩まされる女性の問題解決・不可能な愛の修復法」
ゆきさんからは
「幸せな結婚ができる男を見つける方法・男の育てかた」
絶滅王子からは
「離婚から学んだ男目線のホンネ・彼氏旦那の男側の本音」
お茶会のテーマはズバリ「結婚」「パートナーシップ」
結婚について、ズバリ、こうでなければなないという枠も制限もないと思います
どんな在り方であっても自由で良いと思います
離婚もあり
一夫多妻制もあり
週末婚もあり
別居もあり
独身エンジョイもあり
シングルマザーもあり
結婚もあり
人の幸せは人それぞれ、その人なりの幸せがあります
人の幸せは、その人にしか分かりません、求めてる幸せが違うからです
人それぞれ幸せの価値観って違うから、一概に結婚するのが良いとは言い切れないのですよね
そして、結婚したから幸せであるとは限りませんし、結婚したからって幸せになれるものでもありません
結婚して幸せになるのではなく、自分で幸せを、創っていくもの、なっていくもの、築いていくものなんです
そして、すでにある幸せを感じる心、幸せであることに気付く心も大切です
初めから、理想のような結婚生活、お花畑の結婚生活なんて、ほぼないと思います
大多数の人が、初めは「こんなはずじなかった」の壁にぶち当たるんではないでしょうかね
結婚というイメージ
残念ながら、理想と現実とはまったく違います(そうでない人もいるかもなので、あくまで私が知る限りの多数派で話は進めていきますね)
想い描いてた結婚というものが打ち砕かれる瞬間が、たくさんあります
結婚生活って現実的な生活なので、そりゃあもう、嫌な所も見たくないような事も散々、目にするでしょうし、受け入れられない事もたくさん出てきます
しかも、結婚すると自分達だけでなく、もれなく、お互いの両親、親戚一同なども、もれなくプレゼント
結婚とは、育った環境、価値観のまったく違う2人が一緒になるということ
まったく違う価値観の両家が、家族になるということ
何を考えてるのか理解できない、分からない、許せない、受け入れられないことが、そりゃあもう、嫌というほど、納得いかないことも、たくさん出てきますよ
本人達の喧嘩だけでなく、親のことが絡んだ喧嘩なども出てきたり、子供のことやペットの事までも、もう幅広く盛りだくさん、喧嘩しても逃れなれない、同じ屋根の下での共同生活
とにかく、お互い、自分との違いを受け入れることが出来なくて「なんでそんな事するの?」「なんでそんな風に思うの?」「何を考えてるの?」「なんで?なんで?なんで?なんで?」のオンパレード
相手のことが、まったく理解できない平行線が、繰り返し続いていきます
「結婚って何!?幸せって何!?結婚なんか幸せになれない、結婚なんてしない方が良かった!!」
何度も何度も後悔の波が押し寄せます
頭にちらつく、離婚という文字
子供がいると簡単にはいきません
ペラペラの紙切れの重さ、効力を思い知ります
「子供の為に我慢?じゃあ私の幸せは???」
「自分を犠牲にしてまで結婚を続けるの???」
「結婚って、すごく辛くてしんどい」
「生き地獄!まさに試練!忍耐!我慢!」
「もう疲れたよ、死にたいよ、どうやって死んだら1番楽に死ねるんだろ」
「幸せになりたい!幸せになりたい!幸せになりたい!幸せになりたい!」
喧嘩のたび泣きながら絶望的に、そんな事ばかり思考は繰り返す
離婚という選択もありです
私も結局は出さずでしたが、離婚届を書いて判もお互いに押しました
私は病んでた時期は常に、死を連想してたけど、暗闇のトンネルを4年間ほど彷徨い、光を見つけて抜け出してからは、結婚という素晴らしさに気付くことが出来ました✨✨✨
ここ最近、私という魂の性質を思うのです
私の魂の要求はこれを多くの方へ伝えたい、私の魂の担当は、破壊からの再生、闇から光へ、愛の復活、すべてが愛であるということを、生きながら表現していくこと
ハッピーマニアyukaとして、今のhappyな愛に至るまでには、心の破壊なくして、今の私はあり得ません
人は傷付くたびに魂が磨かれていくのかなと思います
今では、旦那さんも、旦那さんのfamilyも、みんな大好きです
心の破壊、結婚してから名字が変わり、私の名前を数秘でみると、名前もやはり33になってるのです
生年月日でみても33、名前でみても33、結婚してから、より波瀾万丈な人生になる訳です
それでは、前作ダークマニアyukaの過去〜闇編〜からの番外編ともいうべき、ダークマニアyukaの過去〜心の破壊編〜、それでは、たっぷり闇の世界へどうぞぉ〜
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うちの父親が悪性の癌で8時間の手術、無事に生還し、嬉しくて泣きながら当時、同居してた旦那さんの実家へ戻ったら、皆んなお笑い番組を見て爆笑してて、私が帰ったのに気付いて第一声「これ面白いからちょっと見てみー」誰も、お父さんどうだった?と、心配して聞いてくれることなかった
それを言ったら、親の文句を言われて腹が立ったのか、そこから髪の毛捕まれ引きずられ殴られ蹴られ、旦那さんのDVが始まりました
父親の手術の日、身心ともにクタクタだった私は、心も体もズタボロになりました
同居してて、喧嘩してるの分かってると思うけど、私の味方なんていない、息子が可愛いのだと思いました
2年後、父親が癌の転移で、今日が峠と言われた日、今日が最後の日になると先生が言った事を1度帰った時に伝えると「お葬式のネクタイあったかな、後で買いに行きや」「後で買いに行ってくるわ」と、そんな話でもちきりに
お父さん、まだ死んでないよ、まだ生きてるよ、生死の間で頑張ってるのに、もうお葬式のネクタイの心配???と、なんだか悲しくなりました
「もう今日が最後やから、後で病院にきてな」と旦那さんに言ったけど「明日、仕事早いからネクタイ買いに行ってから寝るわ、1時に起きるから絶対に起こしてや!」と言われ、もう私も一刻も早く病院へ行きたいから私はそのまま病院へ
もう目は開いたまま、危篤状態のお父さん
もういつどうなるか分からないから、早めに起きてもらおうと、いくら電話しても出ない旦那
やっと出て「ちょっとでもいいから最後に来られへん?」って言ったら「俺が眠たいのが分からんのか!まだ早いから時間なったら絶対かけてきてや」と切られる
旦那の怒鳴り声が、電話ごしに病室に響いたので、お母さんが「こんな時に何してんの!お父さんに聞こえてるで」って怒られた
時間になって病室の外に出て、何度も電話をかけるも、なかなか起きなく出ない
もう起こすのやめとこうと思って病室に戻ったら
ピーーーー、という機械音と、家族の泣き叫ぶ声が響く
最後の最後、看取ることができず、私も泣いてたら
再び、ピッピッピッと戻った
お父さん、戻ってくれたんだと思った
けど、そこから何度も、ピーーーーと、なっては、ピッピッピッと、5、6回ほど、繰り返す
目はもうずっと開いたまま、ずっと涙だけが流れ続けてる
私が父の余命を知らされた、最後の父との1ヶ月は、父はもう、ほぼモルヒネで幻覚を言ったり、この最後の日も、ずっと何かを言いたそうなのだけど、話すことがもう出来ないでいました
最後はずっと目を開いたまま、ずっと涙だけが、流れ続けてました
お父さん、まだまだ生きてたいのか
それとも、最後の最後まで、お父さんに心配かけてしまった為に、死んでも死にきれない想いをさせてしまったままなのか
危篤状態でも、すべて分かってると思う
そこから、親孝行を何にもしてあげることが出来なかった自分を責め、最後の最後に嫌な思いをさせて申し訳なさすぎて自分を責める日々が始まる
朝、お父さんの遺体も実家へ戻り、お昼頃にようやく旦那がきた
旦那さんの実家へも報告へ
「なんで最後、来てくれへんかったん」と呟いた一言に、旦那さんのスイッチが入って「仕事早いんやからしゃーないやろ!眠たいのん分からんのか!」ってボコボコにされた
それを見てた旦那さんのお義母さんも加勢して「ゆかちゃん、あんたも悪いで、魚屋の嫁やったら寝かしてあげるのが当たり前ちゃうの!?なんで眠たいのん分かってあげられへんの!?嫁やろ!?」って言われた
それを見てた、お婆ちゃんも、見てるだけ
もう、私の心は、この時に完全に崩壊した
私は高校生、旦那は専門学生で、妊娠発覚、旦那さんのお義母さんは「なんとかしておろしてくれへんか?」と言ってきた
うちの両親は「命は大切やから産みなさい。守ったるから」と言ってくれた
まだ若い2人、結婚生活に必要なの買いなさいと、お父さんからお祝いだと沢山のお金をくれた
旦那にとって、うちの父より睡眠の方が大切なのかなと
友達とマージャンとかする日は寝ないで仕事に行くのに。。。
私は、姉と兄とは歳の離れた末っ子だったので、父は私をよく可愛がってくれて、いつも私の味方で、いつも見守ってくれてました
お父さんっ子だった私、父親が亡くなったショックと、
そんな心がボロボロな状態のところに、傷口に塩をぬるように、旦那さんからの暴力
そして、更に、旦那さんの家族からの言葉の暴力
もう私は、心をナイフで何度も何度も、斬り裂け続けられた感じで、ボロボロでした
そのうち痛みも麻痺して、心から笑うことができなくなりました
ある時は、旦那さんのDVにより、背中を蹴られた時に息が苦しくなったと思ったら声が出なくなり、背骨が痛くて、後日、整形外科へ行った時の先生からは、警察に訴えますか?と言われました
身体の歪みも酷くなるし、精神的なショックと、外傷的なショックと、もうね、いつ死んでもいいと思ってたので、お父さんにも早く迎えにきてとお願いしてたし、私の命なんて、この頃は、ほんとにもう、どうでも良かったです
早く死にたい殺された方がマシだったかもとか思ってましたし
でも、やはり思うのは息子のこと
私がいなかったら、あの子はどうなるのかと、それだけで、まだ生きる力にはなってました
2歳半の息子、私をかばうのに目の前に両手を広げて立つのよね
小さくても男の子です
蹴られてボールみたいに飛んでしまい、そこで私は離婚を決意しました
息子を連れて実家に帰りました
旦那から実家に電話あり、母にも「おたくの娘は、なんたらかんたら」と怒鳴られ、血圧の高い母親も倒れました
うちの両親は、私が実家へ泣きながら靴も履かずに裸足で帰っても、お嫁に行ったんだからと、人の悪いところじゃなくて良いところを見てあげなさいと、涙浮かべながらでも、私をまた旦那の実家へ送る人達でした
そんな母も、息子に手をあげたことで、もう離婚しなさいと初めて言いました
実家にいてる間に、友達が来てくれたり、母の友達がきたりで、話を聞いてもらえる機会がありました
少し落ち着いてくると、やっぱり息子のことに話はなります
離婚はいつでも出来る
息子の為に戻るという選択をしました
旦那が迎えにきて、母が「この子ら2人頼むな、幸せにしてあげてな」と、母も号泣しながら車のドアを閉めました
光編へは、まだこの先も色々あるので、まだまだですが、今日はこの辺で。。。
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私はずっと、幸せになりたい、どうやったら幸せになれるんだろう、幸せにして欲しい
そう、ずっと思ってきました
でもね、幸せって、人にしてもらうのではないのですよね
幸せにしてもらうのではなく、幸せは自分でなるもの、幸せは自分で掴むもの
人に幸せにしてもらうのではなく、まずは、自分で幸せになること、自分で幸せになれるのです
自分で幸せを創れるし、自分が幸せであることにも気づけるし、自分で幸せを築いていくことができます
自分で自分を幸せにするのです、自分で自分を幸せにできるのです
happyをひたすら追い求めてきた私は、ハッピーマニア
まだまだ闇は色んなことありますが、長くなりますので、この辺で
この1つ1つ思い出す作業、シータヒーリングが役に立ちました
退行催眠ヒプノセラピーを受けたことがあるので、真似っこで自己流セルフヒプノ、シータ波になり、見よう見まね手法で、数を数えて深く入り階段を降りて扉を開けて、1つ1つ記憶を呼び覚ます、ポッカリ忘れた記憶などもブワーっと蘇ってきたりして、久しぶりに泣きました
セルフヒプノ、手放す作業の時にいいかもね
まだ泣くってことは、まだ心の何処かに、ガラスの破片が刺さってたんだね。。。
今とても、幸せです
最後に、ギュッと抱きしめて、あの頃の私に伝えてあげる
もう、泣かないでいいよ
今月29日のお茶会コラボイベント
「幸せな結婚の見つけ方・作り方レシピ」ハッピーマニアyukaからは「パワハラやDVに悩まされる女性の問題解決・不可能な愛の修復法」の秘伝のタレを伝授させていただきますねぇ〜
(※↑こんなタイトルではありません。笑)
残席6名様です〜まだ大丈夫ですよん
長文、最後まで読んで下さり、ありがとうございます