あれま!昨日、家に帰ってきたらタコがいました
旦那さんが下ごしらえをしてくれてて「後は頼んだ!」って言われたけど、若干まだ動いてて、わたし切れないんですけど
こういう時に命をいただくって実感するけど、小さな頃からこういう場面は、未だに全く慣れない偽善者な私
まだ動いてるのに包丁で切るってすごい勇気いりますよね
動かなくなるのジワジワ待つのもむごいし、一気にいってあげた方が良いんだろうなぁ~などの葛藤もあり
ごめんなさい、ありがとうって唱えながら、ありがたく命をいただこう
旦那さんの下ごしらえで、もうかなり弱ってるんだけど、なんか包丁を入れるのって・・・微妙にまだ動くと、痛いのかなぁとか思って躊躇してしまいます
かなり時間がかかってしまいました
小さく切れなくて、全て同じ大きさで大き過ぎてしまったけど、とりあえずできました
もう動かなくなって、なんか、ほんとに胸が詰まる思いというか、もう30代も後半のいい大人なんだけど、こういうのは慣れないもので・・・涙が溢れてしまいます・・・
でも、私達はこうして、たくさんの命をいただいて生きているし、生きてきたし、たくさんの命によって生かされてるわけで、今までいただいた沢山の命のぶんまでも、自分を大切にし、自分の命を大切に生きないといけないな~なんて思います
今では自分の手を一切汚すことなく、スーパーで手軽にパックに入ったものを買うことができます
命をいただいてるわけなので、必ず、誰かが命を殺めるお役目、お仕事をしてくれている人がいます
誰だって、なんの罪もない動物や命ある生き物を、自分の手で殺めるのは嫌ですよね・・・
そういうお仕事の人にも感謝だなぁって思います
(お魚も1匹1匹、命があるので、卸市場なんかでも魚供養というものを、きちんとしているみたいですよ)
包丁を刺して蛸がムニュっと動くと、すごく嫌がっているように見えるし、痛いだろうなって思います
人間のような意思や意識なんてあるのか分かりませんが、1つの命であることには変わりませんから、私達の血となり肉となり栄養となる為に、とても申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました
もしかしたら映画ニモのように、海の中には海で住んでるものだけの世界があるのかも知れません
この蛸にも家族がいたり、子供がいたり、でも網にかかってしまって私達に食べられちゃうんです
スーパーで、すでに頭顔を落としてくれていたり、切り身になってあるパックを買うのと、自分の目の前で自分の手で命を殺めていただくのとでは感謝の気持ちが何倍も違うな~って思います
残してはいけないなぁ・・・ありがたくいただかないとなぁ・・・
「いただきます」この言葉の重みを感じながら、美味しくいただきました
作ったのは4品、たこ飯、蛸の唐揚げ、お刺身、蛸のガーリックソテー
キュウリあったのを思い出し、酢の物もしたら良かったなぁ~と後から気付いたけど、4品で充分お腹いっぱいになりました
娘は大きな声で「たこさん!ありがとう~美味しかったよ!」って言ってました
いっぱいの命をいただいて大きくなるんだもんね
たくさんの命に、ありがとう
今日10日は父の月命日・・・
今日はお休みをいただいておりますので、実家へ行き、ご先祖様と父のご供養へ行ってきます
私達、人間も限りある命、いつどうなるか分かりません
自分を大切に、自分らしく自分の人生を、のびのび自由に、ワクワク楽しく謳歌したいものですね