a piece of peace ~my words ~

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育自も十何年目になりました。今の夢はかっこいいおばぁになることです。

Amebaでブログを始めよう!
久しぶりにここに来た。
空が高くなるこの季節が好きだ。

兄ぃは17、ちびおは14になり、
日々訥々と過ごしてます。
何も変わらず兄ぃは家におりちびおは特支クラスにおり、母さんは忙しく仕事を熟しております。

何があっても変わらないもの
誰が言おうと自分はこれと決めているもの
自分が良かったらそれが1番だ

それが自分らしさであるのかなと
アラフィフになろうとしてるあたしが
思っている事です。

当たり前でなく有り難いことばかり
そんな幸せに包まれながら毎日生きてます。

年々このジメジメが苦手になってっとる

職場の一部もジメジメしておる
女性あるあるである

感情の生き物故に
冷静に仕事をする人が多くなく
更に理性の生き物に対しても攻撃的

じゃぁどうしたらいいの
ここまでくるともう如何にも出来ず
はっきりいって
そこまで文句しか出ないのなら
此処での御縁はお終いじゃないですかと

仕事なんてさ
自分の思い通りになんてならないよ?
理不尽も飲み込んでのお給料でしょ
しがないパートの私たちが
上司や同期達に不満を抱いても
何の解決にもならないものよ

人手不足を恨んでも
その人手が至らなくても
あなたが評価する立場ではないからね?

出来ればお互い補い合って
楽しくできたら万々歳って方向に持ってった方が
自分も気持ちが楽になるとおもうけどな
色々色々

人生色々とりどり。

グレーな日々が続く時もあり
レインボーな日々もあったりで

カラフルな人生を送っております。

久しぶりです、此処にきたの。
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年の瀬が近づくと色々思いに耽る。
なかなか読み返す時間もないけど
きっと毎年同じ事書いてると思う笑


40年生きてると大体の経験をしてると感じるのだけど、それでもまさか自分が結婚生活を止めるなんて思わなかったし子どもが登校拒否したり特別支援学級に入るなんて思わなかった。

普通って何だろう、
普通普通って人は云うけど
全然普通じゃないじゃん、何を以てして普通と呼ぶんだろう、そんな事を考えるようになった。

若い頃からマイノリティ万歳だったし、大勢の中にいて独りが好いなどと思っていた。
でも支えてくれたり関わってくれたりする人達に巡り会えて、自分は独りじゃないと思うようになり、常に誰かが傍にいてくれる有り難さを感じられるようにもなった。

この一年、あたしは色々また出会えた事で、
絶対と永遠はないんだって思った。
この前書いた「刹那」然り。
何でも必ず終わりがある。
どれにも必ず限りがある。

でも、だから大切に愛でるし一生懸命生きる。

先のことを案じる時間より、
今の刹那を大切にしたい。

今年も残り僅かです。
この独り言も、誰も見ないと思うけど笑

あたしの近くにいてくれたあなたへ。

本当にどうもありがとう。
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刹那という言葉がある。
この言葉の意味をあたしはずっと長いこと
悲観的な意味だと思っていた。

極めて短い時間の意味故に、つい刹那的な物事に溺れるみたいな捉え方をすると思ってたのだけど、本来はその一瞬の時さえも貴重で大切にするという仏教用語なのです。

いつまでも気持ちは若いと思っていても、体は正直だし思考も変わる。いつまでも若さゆえ許される破壊的な考えではいられない、子ども達も成長していく。

こうして日々過ごしていき、相変わらず凸凹な道をどうやら選んで生きてるあたしは
最近その刹那を痛切に感じる事があるのです。

こんなあたしでも関わってくれる人がいて
こんなあたしに力をくれる人がいて
時々堕ちるあたしを掬ってくれる人がいて

そんな人に何で恩返ししようか考えると

過去を悔いることでも
未来を憂うことでもなく

唯の今を懸命に生きて
出来るだけ笑って
全身全霊でありがとうを伝えることだって

そう思うのです
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スープの話じゃありません笑

あたしは生まれながらの慌てんぼで
この歳になってようやく少しだけ、なんとなく、落ち着きが出てきたような。
…いやそうでもないな。

常にバタバタ、日々過ごしてるあたしに
周りの人達はとても温厚にいてくれて

そんな中で
この一年でさらに気持ちだけ焦って慌ただしくしてる自分がおり、子どもの事やら自身の事にいっぱいいっぱいな時間を過ごしてきて
身近にいてくれてる気を許してる人に当たってしまい

どうしよう
謝って済むことじゃないって程に
落ち込んだ時に
その人がくれた言葉が

「一個ずつやってこ?
焦らずじっくりコトコト、だよ。」

不安とか焦りとかが
すーっとなくなって
本当に有り難いなぁと思いました。

ともすれば
こんなあたしに関わりたくないと
去ってしまうかもしれない
過去にもそんな事はあったし
この後に及んで反省しても
時すでに遅しってこともあったし

それでもそうやってくれた言葉は
あたしを救ってくれました。

そんな大切な存在を失わないように

じっくりコトコト、
焦らずじっくり。

ありがとう。
半年振りの更新です。

リコンしてからの日々は本当に慌ただしくて
元々バタバタなあたしは更にバタつき笑
自身のダメ人間ぶりに時に情けなく思いながら
毎日毎日過ごしております。


独りで生きていく。


あれだけ学校を拒んでいた兄ぃ。
学年が上がり毎日登校しています。
彼の長い長い人生の中で、ほんの数ヶ月、それはきっととても短いけれど濃い時間だったと思うし、まだこれからもそんな時間は訪れるかもしれない。
でも母さんはね、時に理不尽と君が感じても厳しい事は云うよ、でも常に君の味方だよ、とだけ伝えてあります。

ちびおも高学年になり、変わらず頼りないお人だけれども、彼なりにゆっくりに成長はしている。

あたしだけ成長してない気もする。

それでも日々は過ぎていき、悔やむ時間もない位に子どもらは親離れしようとしている。

なんだろな

独りで生きていく、
そう決めてから自分の弱さが露呈してる感じがして。
おかしいな、あたしは強かったはずだ。
それとも若い故に強がれてたのかな。

自分の弱さや脆さと対峙して
大事にしてやらないと。

でもどうやって?


それを模索しながら生きていくこと

それが

独りで生きていくこと、かもしれないな。
前回のつぶやきから8か月経ってました。

バタバタしつつ日々は充実していて

というのは
不登校児と特別支援児を抱えながら
彼等から学ぶ事がとても多く
それでも笑っていられるのは
支えてくれる関わってくれる人達に恵まれていて

つまりは

あたしは如何なる時も

幸せなんだということ

ありがとうが沢山だということ

そうして笑って人生終えたいと思いながら
毎日暮らしています。

始まる時に、終わりが在るなんて考えていなかった。
始まれば永遠に続くものだと、信じて疑わなかった。

その想いは依存に姿を変えて、
いやもしかしたら其れは始めから
依存だったのかもしれない。



人は生まれる時も死ぬ時も一人だ。

人生を歩んでいく中で、
誰かと出会って
誰かを想って
誰かに寄り添ったりして
心を豊かにして
死ぬ時は一人でも笑って逝けるように
誰かと繋がっていく。



そんなあたしの人生の
一つのエピソード。




結婚生活にピリオドを打ちました。





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読書が好きです。

子どもの頃からわりかし本を読む人だった。
母もよく絵本を与えてくれたし、
父からの誕生日プレゼントは決まって図書券だった。
休日には家族で図書館へ行き、借りられる冊数分だけ借りては読み、
土曜日のみ開館する公民館の子ども文庫に居座り、学校の図書室でも本を借り。結構な文学少女だったかもしれない。

本を読み始めると、途端にその世界に入っていく。ストーリーと少しの挿し絵で、自分もその中に居て目の前で繰り広げられる展開にワクワクして。

日常の子どもなりの嫌な出来事が、その時だけ皆無になる。とても幸せだったなと思う。

中学に入ると物語よりは思想や幼い恋愛観、ミステリーなどを好んで読んだ。読書クラブにまで入り、生徒の殆どが昼寝タイムにしていた50分を読書という形の現実逃避に費やしていた。

暫く読書から離れていたものの、ここ最近また時間ができ、本を読みたい気持ちに駆られ、家事の合間に読書している。

オトナになると、無駄に経験を重ねてきただけに、様々な情報が頭の中を占めている為、つい斜めから物を見てしまうのだけど、矢張り読み始めると、ぐぃぐぃとその世界に入っていく感覚が蘇る。
其れと同時に、子どもの頃と、感動した部分、感銘したり驚いたりした部分が違う事が発見できて、また新鮮だったりする。


そんな中で
この三日間で読んだ三冊は、結構強烈だった、今の自分にとって。

向き合う、と決めた自分にピッタリ、と表現するに値する位に。


おおかみこどもの雨と雪。
告白。
重力ピエロ。


ジャンルもストーリーも全く違うのに、どの話の根底にも家族とか繋がりとか、簡単には言い表せないのだけれど、兎に角、共通点は、愛、だった。


まぁね。
捉え方なんだけどもさ。

自分が母親として生きて未だ十余年だけれど、24時間365日子どもの母親、というのは時として息詰まり行き詰まる。けれど其れにも耐えられる程の限りない愛を、子ども達は私にくれる。

じゃぁ、私は?
其れ相応の愛を与えてるだろうか?
自己満足の、己の感情のみで、この子達に接してないだろうか?
この子達の未来の一片を、歪んだ愛情で支える事にならないように、ちゃんと向き合わないと、自分自身と。


其処まで考えなくても、って思うかもね。
でも、この本達から、あたしは其れを読み取り、考えたわけなのです。


母さん、がんばるよ。



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