あまりにも古い話で検索してもなかなか出てこないので、
こちらのブログ日記を参考にさせていただきました。
自営業の家に生まれて、父の兄弟も皆自営、
周りに会社勤めの大人がいなかったので、
都市対抗野球なるものがあることすら知らなかったけれど、
会社に入ったら都市対抗野球大会出場が常連で、
応援にも大変力を入れている会社だった。
本部の応援指導部は
1月から合宿して体力づくり、応援テクの練習など
1年間ず~っと活動をしていくのだけれど、
都市対抗出場が決まると、
あまり文句を言えない新入社員を中心に
各事業所から数名をサブリーダーとして招集する。
本部のメンバーが男性40~50名、女性が20名弱だったか…。
サブは女性20~30人?
男性は会場通路に立つため100人はいたはず。
1977年夏、私はサブとして錦糸町にあった会社の体育館に召集され、
そこで初めて都市対抗野球の応援の練習なるものを見た。
各回の攻めの時は男性中心のよく見る腕を振るような応援で、
守りの時に女子中心で、毎回違う曲で踊ったりする。
そのために有名な振付師を呼んで振りを付けてもらっていた。
そこで見たのが、フォーリーブスの「ブルドッグ」の振り付けをした先生で、弟子も一緒に来ていた。
私の記憶では前年にブルドッグがヒットしたので、
ゴムを使った振り付けをする、と言ったと思っていたのだが、
ウィキってみると、ブルドッグの発売は1977年6月だって。
え~~~?
翌年は私は本部応援部に入ってゴムの振り付けはやっていないので、
絶対にサブの時に見たはずなんだけど、
最高にウケてる時の振り付け、そんなところで使うかしら。
こんな野球ごときに考えるの面倒くさいって
ゴムを使った振り付けにしたのかしら。
なんの曲だったかも自分が踊ったわけじゃないから覚えてないけど、
有名な先生だけど、ちょっと女性っぽいというのと、
弟子がいつも一緒で、私たちは失礼にも名前ではなく、「弟子」と呼んでいた。
それが、参考にさせていただいたブログで見たら、
西条満先生と弟子の三浦亨氏らしい。
ほんとに????この人たちが???
私の記憶の目には、背の高い先生とちっちゃめの弟子が残っているけど、
写真を見ても、そうだ!とは言い切れない。
記憶なんてそんなもの。
もしかして、本物の西条先生ではなく、
普通の振付師が、ブルドッグのダンスをパクっただけだったのかしら。
だとしたら、こんな記事書くんじゃなかった(笑)
ああ~40年以上前の記憶…