そろそろちゃんと書きます。
今ではあの毎日暑すぎて、熱すぎたフィリピンでの日々が懐かしい><![]()
よく「ボランティアに行って価値観が変わった!」って聞くけど、本当にその通り!
ただ、私はそういう人とちょっと違うだろうな、とは思うけど。
行く前に抱いていた「フィリピン」とか「スモーキーマウンテン」とかの姿、行ってからは見事にひっくりかえりました。
そういう姿を思い描いていたのはきっと某監督の作品を見たから。(批判するようなことを言ってしまうので名前を伏せます。)
某監督が撮っていた1つのドキュメンタリーではパヤタス地方のスモーキーマウンテンが映っていた。
でも、あれは10年も前のパヤタス地方のもの。
この目で見たけど、今ではそれは「スモーキーマウンテン」ではなくて「緑の山」だったし、子どもがゴミを拾っている姿なんて見なかった。
行政が緑化活動を進めているから、緑で覆われていたし、子どもは立ち入り禁止になっているし、ゴミから発生するメタンガスも周辺地域の電力源になるような技術が施されていた。
その作品を見ると、誰もが「可哀想」という感情を抱くような作品に仕上がっているけど、私が見たパヤタス地方のスモーキーマウンテン周辺に住む人たちは決してそんな言葉で形容するような人ではなかった。
今その某監督は作品を編集して新しい作品を発表するみたいだけど、それは誤った姿を日本人に植え付けるものであるから、なんだか憤りまで感じてしまう・・・。
スモーキーマウンテンの周辺地域に住む子供を集めてフィーデング(パンを買って配る活動)をやらせてもらったんだけど、子供たちが可愛くて可愛くて![]()
パンを貰うとすーっごく嬉しそうに、そしてひょうきんに(笑)絡んでくる子供達![]()
並んでる子供たちの相手をしていた時に、ずーっと唯理の指を掴んで絶対離そうとしなかった子がいたんだけど、すっごく可愛かったなぁ![]()
(唯理の髪がとってもぐちゃぐちゃだってことはスルーで。笑)
服を着てない子とかもいたけど、みんな全然可哀想なんかじゃなかった。
可哀想なのはきっと、スモーキーマウンテンがなくなってしまった周辺地域の人。
パヤタス地方のスモーキーマウンテンは、フィリピンのいくつかのスモーキーマウンテンが一つの場所に統合されてできたものだから、スモーキーマウンテンを失った地域の人もいる。
その人たちは生活の術を失ったも同然。
スモーキーマウンテンは、確かにひどい臭いが立ち込めるし、衛生的にはよくはない。
でも現地の人にとってそれは「ゴミの山」なんかじゃなくて「宝の山」なんだよね。
私はずっとスラム街で生活していたから、スラム街の近くにも小さなスモーキーマウンテンがあった。
そこはパヤタス地方とは違って、緑化活動なんてされてないし、子どもがゴミを拾う姿もちらほら見えた。
ガラスの破片、瓶の割れた破片が多くて本当に危ないの。
それでも子供達は一生懸命働いていた。
私がいたスラム街はフィリピンで一番貧しくて、危ないと言われていたところだったんだけど、そこにいたいわゆるストリートチルドレンはとっても頼もしいの。
パンとかお菓子とか服とかサンダルとか、私達があげようとしても一度は絶対に断るの。ましてや物乞いなんて絶対にしない。なんでかって、「そのくらい自分で稼いで買うことができるから」って言うんだよ。
まだ6歳とか7歳の子が。
頑張ってゴミを拾っても1日1食食べるのがやっとなのに。
でもこれを「可哀想」って思うのは違う。
彼らにとってはそれが普通。
そのスモーキーマウンテンの写真がこれ。
ここでは、フィーディングではなく(受け取ってくれないので)、ファストエイドを行いました![]()
小さな傷でもここでは命取り。
その傷からバイキンが入ってしまうと、ひどくなるとその部分が壊死してしまう。
だから、スラム街を「シーノマイスーガッ(タガログ語で「ケガをしている人はいませんか?」という意味)」と言いながら歩いて、どんなに小さな傷でも消毒をして、薬を塗って、バンドエイドを貼るっていう活動。
この活動は本当に大切だと思ったよ。
でも、私達の活動を横目で笑っている大人たち。
フィリピンの大人たちの大半は、子どもに働かせて遊んでるの。本当にこれには驚いたし悲しくもなった。
スラム街ではそこらじゅうに鶏の姿を見て、鳴き声が朝とかはうるさいレベルだったんだけど、最初は卵を得るためなのかな、とか思ってた。
でも本当はチキンレースをやるためらしくて、それが一番ポピュラーな賭けごとらしくて・・・そのレースに自分の鶏を勝たせるために、子どもの食費などよりもまず鶏のエサ代にしちゃうんだって。
子供が稼いだお金を。
だから子供は親なんて頼りにしてない。
親からの愛が本当に足りてないんだなって思った。
だからね、私達が遊んだりすると「アテ(お姉ちゃんって意味)」って呼ぶんじゃなくて「マミー」って呼ぶんだよ。で、どんなに朝早くても、夜遅くても会いに来たりするの。
これには可哀想って思ってしまったな~さすがに。
とっても唯理になついてくれたアイアイ![]()
可愛かったなぁ><![]()
私がいたスラム街のお家はマスターっていう日本人が、地域の子に空手を教えていて、将来「ガードマン」になるという道をひらいてあげるっていう活動をしていた。
学校に行けない子供たちが手に職をつけるという道の1つ。
空手を習っている子達は本当に礼儀正しくて、優しくて可愛くて。(上の写真に写ってる現地の子はみんな空手をやっている子達)
途上国の子供たちの未来を拓くのは教育しかない!
と、勉強不足の私が考えているよりもずっと実用的で確実なものだった。
私も空手に参加させてもらって、空手の練習が終わった後は30人位の子供たちにチューペットを買ってあげたよ
みんな喜んでくれて嬉しかったなぁ![]()
ちゃんともらう時に「オス!」という子供達。
シャギーとメイジェイとアルジェ
と、拳くん。笑
空手やってる子たちとは仲良くさせてもらったけど、唯理が辛いな~って思ってる時は絶対に汲み取ってくれるの。「大丈夫?」って聞いてくれたり。まだ小さい子なのに、驚いちゃった!
いつだったか、足元がすごく悪いところを歩いている時、唯理のサンダルが壊れちゃったのね。それもいっぺんに両方!
その時「仕方ない!もう裸足で歩こう!」ってサンダル手に持って歩こうとしたら、ササッと唯理の足元に自分のはいてたサンダル置いてくれて、「僕は裸足で歩くの慣れてるから履きなよ!」って言って先に行っちゃって・・・なんて優しいんだって泣きそうになったこともあったなぁ(;_;)![]()
マスターは本当に厳しい人で、行った初日から「お前ら何しに来たんだ?半端な気持ちで来たやつは帰れ!」と、ガツーンと怒鳴られ、言い返そうにも正論を言ってるから言い返せず・・・
悔しいのと、自分の甘さに腹が立ったのとで、なんとも言えない気持ちになった。
安易な気持ちで来たわけではない。
でも結局、現地の人から見れば「ボランティア」ではなく「観光客」でしかなかったんだなぁって。
私達先進国人から見たら、フィリピンの貧民区の人は全て可哀想に見えてしまう。
でもそこにはそこの暮らしがあって、決して可哀想なんかじゃなくて、私達の価値観で「何かをやってあげよう!」って思ってもそこが本当にその人たちにとってプラスになることって本当に少ないんだなって実感した。
というか、下手をすれば逆なことをしてしまうっていうことも学んだ。
本当はマスターはとっても優しい人で、でも1週間くらい経たないとそれには気付かなかった。
営利目的ではなく、本当に心からボランティアスピリッツを持っている人で、歯に衣着せない人。
大切なことをいーーーーーーーーーーっぱい学びました。
毎日泣かされてたけども。笑
唯理は実は頭でうだうだ考えて、行動にうつそうにも「こうすればああなるかも」って悩んで行動にうつせず後悔するっていうことが多々あったりする。
人生の分かれ道に立った時にどうするかっていう選択肢には、ぱっと選べたりするんだけど、そうじゃなくて日々の小さなことね。
でも「頭で考えるのではなく、心で感じて、動く」っていうことを学んだ。
そして日本という国に生まれたことに感謝しなくてはいけない。
親に感謝しなくてはいけないっていうことを痛感した。
ホームシックとかじゃなくて「早く親孝行したい!だから帰りたい!」ってずっと思ってたなぁ。
食事の前に必ずする合掌。これをする度に親を思い出して、泣いてた気がする。
「18を過ぎた大人が、学費も生活費も親に出してもらって、お前ら何してるんだ!」って何度言われたかな?
最もだなぁって。自分なにしてるんだろうって思った。
結局、私ができたボランティアなんて何1つなかった。
フィーディングもファストエイドも、結局マスターたちが築いてくれた土俵で活動しただけ。
悔しくて悔しくて、ちかさんと一緒に2晩徹夜で人形劇を作って、英語とタガログ語で練習して・・・自分発信でできたのは本当にそのくらい。
自分がフィリピンに行くよりも、その費用を全てフィリピンに寄付した方が絶対に現地の人のためにはなる。そう考えると、自分がフィリピンにいるのが情けなくなったりもしたなぁ。
ただ、そう思っても何も救われないし、何が変わるわけでもない。
自分の甘さ、無力さを痛感して辛かった。
頑固だからそれを受け入れるのが嫌で、「自分には何かできるはず!」って思っても結局空回りで終わったりして。
私は2週間いたから、出入りが多い日本人の中でも気付けば一番長くいる日本人になって「長老」って呼ばれる立場になって、新しく入ってくる子はみんな私に色々聞いてくる。
ただ、今までサブ的な役割(生徒会の副会長とか、部活の副部長とか)が多くて、勝手にみんなをまとめる自信はあったけど、実際一番トップなのって多分今までなくて、フィリピンっていう土地で、全然長老として機能してなくて。
それもまたすっごく悔しかった。
そういう時に頑張れたのは、やっぱりみんながいたから。
というか、2週間ずっと誰かに支えられていた気がするし、日本人のみんなから学ぶこともすごく多かった。
まず最初に行ったときに既にいたメンバーで、
いつも面白くてムードメーカーな拳くん。でも沢山色々考えていた人。
静かだけど胸に熱い気持ちを秘めている亮太。
日曜大工の時は一緒にすごく楽しかった。
そして辛いバッググランドを持っていたのに、そんな風に全然見えなくて、最後の夜に聞くまでわからなかった。ずっと優しいお兄ちゃんみたいだった瑠くん。
私が何か失敗した時には「唯理ちゃんが○○してくれたおかげで、△△できたわ~ありがとう!」って絶対にポジティブに対応してくれて、本当に救われた。
一緒に行った豪くんは、最初から本当に仲良くて、5日で帰っちゃうっていう時は、「一緒に来たのに何で先帰るのよー?」ってふざけて言ったつもりだったけど、大泣きしちゃったっけ。笑
豪くんは立教ボーイだからいつでも会えるけど♪
とっても表情豊かでどんな場面にでも対応できるような子。最初は特に仲良くなかったけど、一緒にお皿洗いしてる時すごいぶっちゃけトークしてからはとたんに仲良くなって。
辛い時いつも相談してくれて、でも元気な時はすっごく面白くて。
はるかが帰った後、長老は継いだけど、うまくできなかった気がするなぁ。ごめんね。
で、なんといっても欠かせなかったちかさんとかっちゃん!
仲良いはるかが帰ってから、この2人がいなかったら本当やっていけなかった><
ちかさんは、私が現地の子となんとか教育と言うもので関わりたい!って思いに共感してくれて、一緒にマスターに挑んで(笑)、マスターに認められてからというもの、英語(ちょっとタガログ語)劇を徹夜で一緒に作ってくれたりして。
ちかさんはボランティアスピリッツのある人で、すごく考えてるなぁって感心しました!
私より全然年上なのに、まるで同い年のように仲良くしてくれて、弱音はフィリピンでは言わないようにしましょう!って二人で決めてからは、「帰国してから話そうね!3日はかかるね!」って笑いあったり。
何度ちかさんが私の肩で泣いて、何度私がちかさんの肩で泣いたか。
ちかさんの存在はすごくすごく有難かった。
そしてかっちゃん!
このかっちゃんの写真好き♪
初めはヤンキー顔で正直怖くて(笑)、仲良くなれなそうだな、とか思ってたけど、気付けばずっと一緒にいて、何か問題があるたびに、ちかさんと3人で「これはどうしようか・・・」って話して、悩んだね。
考えすぎちゃう私とちかさんの前で、わざと笑わせようと面白いこと言ってくれたりもする反面、すっごく熱い気持ちを持っていて、涙していることも多かったね。隠れてるつもりだったんだろうけど気づいてたよ!笑
唯理が帰る前夜、「唯理も帰るのか・・・」って言ったかっちゃんの顔が忘れられないよ。
そういえば帰る前夜は寂しいからって、わざわざ狭い場所で3人で雑魚寝したっけな。笑
雑魚寝っていうより、もうぎゅうぎゅう詰めで、寝返りすらうてない感じで3人で寝たんだけど、あれはすっごく幸せな時間だったなぁって今でもしんみりしてしまう(*´Д`)![]()
2人は本当に欠かせない存在でした。ありがとう!本当に!
ボランティアなんて本当に全然できなかった。
でも、とても多くのことを学んだ2週間だった。そして、自分の夢を見出せたのかなって。
自他共栄の精神を大切にしていきたい。
客観的に色々なことを見れた2週間だった。
そして、帰国したあとも考えることがすごく多かった。
全てのものに感謝。合掌。
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