中学の頃から
急激に読み眺めるって事にはまっていったんだ
泣きながら読んだり
布団をかぶりながら夜の暗闇の中で小さな灯りの中で読む時間も好きで
たまり場で騒ぐ友達の横で読んだり
僕の本を読み眺める、その時間は
みんなが知ってくれている【自由】だった
大げさな言い方になるのを承知で言えばさ
なんていうか
死なないために、本を読んでいた
毎日の様に
誰かとぶつかっているか、あるいは本を読み眺めていたよ
拳を振り上げ
本を読み眺めることで
どうにか、気持ちを保っていたんだよね
暴力と読書
僕は
逃避しようとしているらしい、自分の気持ちを
この2つで繋ぎとめる事が出来ていたんだ
思春期を【遠い昔】と呼んでもいいようなこの年齢になれば
あの頃の自分がことさら、
死なないためには
なんて考えていた事を
可愛いようでもあり、情けない様でもあるのね
あの頃の自分に、もしも今の僕が会うことが可能であるなら
きっとこんな事を言ってやると思う
今のキミが勝手に【抱えている】と思いこんで、その為に自分をがんじがらめに束縛してしまってるモンダイよりも、
もっともっと
大きくてタイヘンな問題が、この後の人生にもたくさんあって
そりゃもう山ほどあって
途方に暮れるほど、ふんだんに用意されていてさ
人生って地雷が、びっちり埋められた平原を独りぼっちで歩いて行くようなものなんだと、今の僕は思うんだ
そんな地雷平原の中で、人間の命はホント儚くて、ちっぽけなもので
そりゃ今のキミが死にたかったら勝手に死ねばいいけれども
地雷平原の中の儚くてちっぽけな【いのち】が
ちっぽけだからこそ、
どれだけ大事か、
とそのうちきっと判るはずだよ
と…。
色々ね言う人はいるし
優しい言葉もたくさんあるけど
自分ひとりの、自分だけの生を生きているのであって
そこのところは人々、皆たいして変わる事はないと思うんだ
話し合い
個人主義
自由と平等
人間は対等
多数決
僕はあの頃から、これらが
一つの絶望から生まれた手続きと感じていたかもしれない
人生は絶望の連続であって
それは積まれた山ですらなくなり散乱していて
自分の上に降り注ぐ綿屑の雨の中で
半狂乱になって拳を振り回す
そんな行為の連続のような気がするんだ
窒息寸前の状態で
それでも拳を振り回すのが
人が生きていく事なのかもしれない、とさえ思うんだ
突然
強烈な陽光にさらされて
自分がね
もう【新しいモノ】でないと素直に受け入れられる事が
嬉しい
そんな時が来た時は
綿屑の結晶の中で穏やかに横になりたい
きっと笑えると思うんだ
それまでは
朝、目が覚めたら
おはよう
そう自分自身に声をかけて欲しい