私の6才は人生の節目 〜大人になった今、感じられること〜
日曜日 ヒーリングを受けた。最初少し思考に入ってたけど、ヒーラーさんが「海の波打ち際のような、静かな感覚を感じてるよ」と伝えてくれて、ちょっと思考が止まった。この静けさの感覚は、私自身が持ってはいけないと切り離してるもので、ここにいても何も起こらない(イメージ)止まってる(イメージジャッジ)と思ってた。その下に、天秤に掛けていたことがあって、それゆえに、静けさを切り捨てて、社会のペースに合わせるか、社会と切り離れるか をしていたみたいでも 私は私のままで良かったみたい。ヒーリング後半、子どもの頃のある体験を思い出してた。小1のとき、学校の友達に近所のスーパーに遊びに行こうと誘われた。私は物静かな子どもだったし、母にとっては初めての子育てで、慎重だったから、友達とお金を使うところへ、子どもだけで遊びに行くなんて、うちではあり得なかった。おこづかいを持ってく話になってて、私は母に言ったんだけど、お金は渡してもらえず、それでも待ち合わせ場所へ向かった。時間になっても友達が来ない……スーパーへ行ってみたら、約束してた2,3人の友達が、ジュースを片手に「かなえちゃーーーん、おそいじゃーん。ジュース飲むー???」(なんで 約束の時間になる前に先に行っちゃったの?)(私 待ってたんだよ)(スーパーに探しに行けたから良かったけど、来なかったらどうしてたの?)先に行っちゃってたことへの困惑、友だちの態度への怒りと屈辱、お金を持たせてくれなかった母への怒り、お金を持ってないことへの恥ずかしさ。(数百円でも渡してくれたら良かったのに!!!!そしたら、恥なんてかかずに済んだのに!!!!!!!)本当は恥ずかしさを感じてたんだ、私。あの時は色々にある感情を同時に持つことができなくて、何も言うことなく 差し出されたジュースを飲んだ。ジュースと一緒に飲み込んだ。そして、決めたんだね。このままじゃいけないって。当時、私は新しく妹が生まれ、慣れない小学校生活がはじまり、一気に押し寄せた環境の変化に 心が追いついてなかったと思う。学校では 母と離れる不安感と学校で学ぶことへの意味のわからなさへの混乱と それが誰にもわかってもらえない絶望と悲しみ、この世界への底知れぬ絶望、生まれてきたことへの後悔、怒り、憎しみ、殺意、嫌悪、が、学校という新しい世界へのわくわくや、ともだちと仲良くなりたいという純粋な想い、可愛い妹、お姉ちゃんになった喜び、誇らしさ、妹への悪意、そしてともだちの悪意への屈辱、妹が生まれたことで、私の存在を否定されているような屈辱…これらの感情が、大人になった今思い出される。大人になった今だから、感じられる今だから、思い出される。6才は人生の節目だった。もうね、妹も憎かった。友だちも憎かった。でも大好きだった。悔しかった。それを今、わけて持つ。平等に持つ。あの時 私は強さを切り離したし、静けさや繊細さを切り離した感情を抑圧して言葉を捨てた生きることが最優先だったでも、泣いてよかったし、怒ってもよかったし、ママや友だち、妹を憎むことがあってもよかった。6才の私にはその権利があった。大人の私が その権利を与えてあげたい。子どもの私と約束したい。そして、友だちを許したい母を許したい私も自由に楽になる〜〜〜〜〜〜〜〜〜最後まで読んでいただき ありがとうございました。子どもの頃には、言葉にできなかった想いを言葉にして、吐き出すことができました。あの時はジュースとともに飲み込んだけど、今日は吐き出しました☺️きっと 同じや似た想いを抱えている方もいらっしゃると思います。この記事を読んで 感じたことや思い出したこと、私に伝えたいこと、6才の私に言ってあげたいことがある方がみえたら、よろしければ私のためにコメントをください☺️