恋や愛に違いなどない。


いや、完全に同じもの?
っと言われると肯定はできないのだけど。
されど明確に区別するようなものでもあり得ず。
よく「恋」と「愛」の違い等という題目で
語られる事も多いのだけれども
その差異の基準は人それぞれであって、
衆目一致するところにあらず。

まさに十人十色の「恋」であって、十人十色の「愛」


恋する者に愛はないのか?
愛するものに恋してる己は存在しないのか?


人の心はまさに万華鏡の如く、
彷徨い移ろうものなりて
一瞬たりとその心の揺れ動きは
休む事を知らずして常に千変万化の様相を呈す。
そこには確固たる「恋」や「愛」なぞ
どこにも存在しえない。

誰しもがその心に恋を秘め、愛を潜める。


人の心はあまりに複雑で、
様々な思いに揺れながら存在するものであって
単純な言葉ほどに
そこに詰められた意味も計り知れない。
「恋」の中には愛もあれば、
憎もあり、悦もあれば、哀も内包し
まさに「恋」とは何ぞ?「愛」とは何ぞ?


一言で簡単に言い表せる感情なぞ、
何一つとって存在しえない。
しかるに心とは、
超巨大なスーパーコンピューターに
無数の感情パラメータなるものが設定され、
常にそのパラメータのひとつひとつの値が
めまぐるしく上下しているような
ものなのではないのだろうか。

そして、その無数あるパラメータのうち、
その時々で一番色濃く表示されているものを
敢えてその時の気持ちとして
言葉に変えているだけなのではないだろうか。


だとするのであれば、
限りなく愛に近い恋なるものもあれば
限りなく恋に近い愛なるものも存在し、
その境界線なぞあってないがごとしであって、
両者に本質的な違いなぞ
明確に存在しえないのではないだろうか。


少々乱暴な結論付けではあるのだけれど、
だからこそ「愛」や「恋」なぞと
簡単に言葉にしてはみるものの
十人十色の「愛」や「恋」であって、
その言葉の裏側に秘められた
膨大な感情パラメータの値を探るからこそ
恋愛なるものは楽しいのであって、


だからこそ、人間って面白いんじゃないかなぁ。

まぁ衝撃的なタイトルなんですが、
ただ単に曲名なので、あしからず。


ここしばらくずっと中島美嘉をよく聞いてます。
昔から好きだったんだけど、
なぜか最近ずっとヘビーローテーション。


昨日の深夜2時頃、
がらーんとした自分の部屋でこの寒空の中、
窓を全開にして空を見上げながら繰り返し
「愛してる」を聞いてました。


んーやっぱり中島美嘉の曲は夜の寒空が良く似合う。
一人しんみりとしてましたとさ。


でもいい曲です、この詩。


あなたが居なくなるかもって
寂しさを感じる自分へ言い聞かせるように
あなたを愛してる、それだけがすべてで
それ以上でもそれ以下でもなく、

あなたを想える自分の幸せをかみしめてるような。
純愛の世界ですね。


相手に求めるんじゃなく、まず自分なんですよね。


求めることからの脱却。


この世であなたが生きてることに感謝しつつ、
あなたを想える充足感に満ち足りた
そんな愛って素敵だなってふっと昨晩考えてみたり





シモネタほど難しいものはない。


これほど、嗜好の違いがでる話も珍しいというほど
好き嫌いが極端に分かれてしまうものではあるのだけど。

さて、時々みかける「シモネタ得意です」っという発言。
これはもう何を言っているのか自分にはさっぱりわからない。
何をどう思い、何をしてそう言わしめているのか
人それぞれではあるのだけど、
いずれにしても意味がわからない。


そもそも、シモネタなぞというものは「ネタ」とつく以上
笑える話である事が最重要課題となってくるのは当然の事であり
クスっとも笑えないものをしてシモネタと称すは只の痴鈍。

基本的に人を笑わせる事自身が
非常に難しい事であるにも関わらず
さらに好き嫌いが激しく、人によってタブーの閾値が
極端に異なる話題となると、
非常に高度な会話テクニックが要求されるのは言うを俟たない。

自分のキャラクターを計算し、
相手の禁忌を把握し、場の空気を読み、
そこに適切な話題を提供することが
どれほど難しい事であるかを理解しなければ、
それはただの「猥褻」にしかすぎない。

まぁ間違っても、相手に直接なにかを及ぼす事を
連想させる話なぞやめておくに越した事はないであろう。
なぜなら笑いの本質が「滑稽」により得られる
優越感に他ならないのだから、
自らを滑稽の対象と貶められて悦ぶ者など、
そうそう多くはないであろう。

これらの事を汲み取り緻密に練られた会話ができる者は、
そもシモネタなんぞに頼らなくとも、ほぼすべての局面において
ウィットに富んだ会話ができるであろうことは想像に難くない。

ではなぜそれほどまでに難易度の高いシモネタを使用しなければ
ならないのだろうか?

もちろんシモネタを話す事に好き嫌いもあるのだろうが
それはやはり、誰でもが理解できる話題であることに
つきるのであろう。
なかなか万人が理解できる話題というものはそれほど多くはない。
だからこそ、シモネタは世界の共通語と言われるほどに
話題としては万能性を誇るのである。

共通認識を得る事が共感をもたらし、
円滑な人間関係を築く上で非常に
有用な手段だからこそ、シモネタを使うのである。

シモネタとは、そんな誰にとっても
非常に難しいテーマであるのだけれど、
それを得意とすることはほぼすべての会話において
秀でる事と同義であり
まずシモネタを得意とする前に、
別の何かも得意としているであろう事は想像に難くない。

それをして、「シモネタ得意です」といった身の程知らずな発言は
つまるところ私は非常に高度な会話テクニックをもった輩だと
吹聴しているに他ならない。

それもわきまえず、ただ卑猥な単語を羅列して
いっぱしのシモネタ巧者を気取るバカは、
今すぐシモネタ好きの猥褻でキモイ変態ですと改め給え。

まぁ時折見かけるどんなものであろうと
シモネタを頑なに拒み、卑しめ、唾棄する者もどうかと
思わない訳でもないが、それはまた別のお話。


なんにしろ、シモネタを制すものはすべてを制すである。
※ただしイケうわっくぁwせdrftgyふじこlp;@:「」