「心」とは記憶である。
人は思い出という記憶に働きかけることで心を持つ。
記憶が無いのであれば、
それはもう刹那的にただ反応するだけのオートマタに過ぎないのだから。
そして記憶があるが故に「死」を認識するのであろう、
其れは確かに生きていたと。
で、あるのならば
「生」も「死」も其れは私の心の中にあるものであって
ともに其れは私の心の中に存在し続けている事に違いはないのでしょう。
そしてそれらの記憶は私の心の一部として
私が息絶えるまで其処に在り続けるのでしょう。
だから私は君の「死」を悼まない。
共に私が朽ち果てるその日まで、
のんびりと穏やかに一緒にすごそうじゃないか。