多くの人が理解しながらも、
しかし絶対という言葉に振り回されるのが現実。

何が正解で何が間違いかも、すべてそれは非常に曖昧で
ありとあらゆるものは混沌として存在している。

すべては曖昧であるがゆえに、曖昧であることに恐怖し
人はすぐにそこに規範を求めたがる。
いや求めたがるというよりも、そこになにがしらかの
ゆるぎない規範を設けないと生活しにくいのもまた現実。

しかし絶対的に受動的にうけとるしかないと思われる時間でさえ
それは絶対ではなく、相対性で論じられる。
そして数字の「1」が「1」だけにあらずことも、あまりに有名。

物事は追求していくと、必ず絶対というものの不確かさに突き当たる。

物事は、何が正解で何が間違いで、何がよくて何が悪いか、
すべてはその時の状況や定義で変化していくものでもあるし
また見る角度によっても大きく異なるものでもある。

だからこそ、自分の主観だけで物事を絶対的に評価したくないものだ。
おこった事象を悲観することもしたくないものだ。

物事の、自らの行動の、他人の行動の
良否を問う事も確かに必要であろう。
ただそれに振り回される事は避けたい。
現実は現実でしかありえず、その事象の優劣・正誤でさえ、
いかようにも変化していくものであるのだから。

悲観すべき現実などというものはないに等しいのである。
そう自分への戒めとして心にとどめて置きたい。

絶対と呼べるものはどこにもないのだから。