セフレなんてものは存在しない。

ずっと前にも一度語ったこともあるのだけど、それじゃセフレといったものが
いったい何を意味しているのか自分なりに改めて考え直してみることにした。

結局のところセフレだとはいえ、そこにはお互いの意思が
必要不可欠なものであり、不可分なものであることは間違いないであろう。

どちらか一方の意思でなされるのであれば
それはもはやレイプ以外の何ものでもないのだから。

そこにある種の好意が存在していることは明らかであり、
セックス自身が生殖行為であると同時にスキンシップを
兼ね備えている事をかんがみても、そこに相手とのつながりを
求めている事に相違はないであろう。

わずか短期間のなりゆきの交わりであるならば、一時の快楽行動と
言って差し支えはないのかもしれないが、セフレというものが
ある一定の継続した人と人との交わりであるならば、
そこになにがしらかの恋情の存在を否定できるものではないであろう。

往々にしてセフレといった関係が、どちらかからの独占と嫉妬によって
破綻していくさまをみれば至極当然であるべきか。

恋する者が異性に求める基本的な欲望が、
「会いたい」「話したい」「寝たい」であるならば、
実のところセフレと恋人との違いはどこにあるのだろうか。

いや、あくまでも本質的な心の情動を見る限り、
その両者に明確な違いなどないのであろう。
セフレに対する欲求と恋人に対する基本的な欲求は
あまりに等質なものといわざるを得まい。

それでも敢えて、その違いを述べるのであれば
もうそれは契約の有無でしかないのであろう。

恋というものがやがて嫉妬と独占を誘発し、
基本的な欲求と結びつくとき、人はその関係性の維持をもとめて、
相手との関係の閉鎖性を望み、相手の情動に束縛を求める。

これが契約の正体だと僕は考える。

自分の情動に束縛を強いる代わりに、相手情動にも束縛を強いる。
自分自身の自由な感情の揺れ動きを犠牲にしてまでも
繋ぎ止めたい人がいる時、人は契約を交わす。
それが恋人とセフレとの違いなのではないだろうか。

そして浮気とは、この契約の反古であり、約束違えになるのであろう。
であるから、浮気の定義自身もその二人間の決め事であり
恋人同士の数だけ浮気の定義も変化するのが普通であろう。
そういう意味では、契約を交わすときに浮気の定義についても
決め事をしておくべきではあると考える。

そして結婚とは、口頭でのなんの法的拘束力ももちあわせない
交際という契約に、拘束力を付加させるものに他ならない。

恋情とは、嫉妬や独占などというものとはあきらかに別物であり、
嫉妬や独占から生じる契約の儀式の有無が恋情の有無と
重なることはまずあり得ない。

恋する心に、嫉妬や独占から生じる契約など必要はない。
恋自身にはなんの拘束力も存在しないのだから。

であるからにして、本来セフレとは恋人と
本質的にはなんら変わらないものであり、
そういった意味においてはセフレといった存在などありえようハズもなく、
ただそれは、便宜的にフレンドといった言葉をもちいているだけの、
嫉妬や独占を押し隠した、またはそれらが発生していない
ある恋するもの同士のいち関係状態であるにすぎない。

恋とは、ただ純粋な心の揺れ動きであり、かように儚くも脆いものである。