娘が生まれたばかりの頃

縁あって出会った、お姉さんに会いに。

 

お互い生まれたばかりの娘を抱えて

同じ、シングルマザーという大きな壁と

初めての育児で完全ワンオペという不安の中

二人でいろんな情報を共有したり

助け合ったり、相談したりした戦友。

 

結婚して尼崎に引っ越してしまったけど

コロナ前までは毎年子連れで会っていたお姉さん。

 

いつも何事もとても丁寧で

それは彼女の生き方にも表れている。

器用なわけじゃないけど

ひとつひとつに、きちっと向き合い整理して

まっすぐに生きている人。

 

案の定、私の境遇をとても心配していて

私も出来るだけわかりやすく、娘と私の気持ちの経緯を話した。

彼女もまた、今の環境で孤独な闘いをしていた。

心を許せる人がまだ見つからず

ひとりで思い悩むことも多かったそう。

 

いろんな話をして

いろんな話を聞いて

いろんな意見を言って

いろんな気持ちを聞いて。

 

お互いめっちゃ手探りだけど

絶対、前に進んでいこうって約束した。

 

こちらも、あっという間の5時間。

3月末たっていうのに、冷たい雨が降り

ダウンジャケットを着ていなかったら凍えてた。

迷ったけど、ダウンにしてよかった。

 

また、すぐに会いに来るねって

だいすきな笑顔に大きく手を振った。

 

 

初発の癌から今年で早9年目。

お姉様と出会い、私は鹿児島の治療を選んだので

同じ年数を重ねており、お姉様とも9年のお付き合い。

 

出会った頃はお互いにまだ子どもが小学生。

何時もベタベタするわけじゃないけど

本当に心から何でも言える、大切な人。

 

弱さも、怖さも、強がりも、意地も

恥ずかしさも、みっともないところも

全部そのまま受け止めてくれる。

 

めっちゃ久々過ぎる再会だったけど

笑いあり、涙あり、成長あり、見守りありの

あっという間の6時間、弾丸トーク。笑

見守って貰ってる安心感と

まんまの自分を丸ごと受け止めて貰って

いっぱい愛を浴びてきました。

 

姉さんの言葉は、愛を浴びてるみたい。

私をいっぱい笑顔にしてくれて

いっぱいパワーチャージしてくれました。

 

実は行きのバスの中で、昔、娘と乗った高速バスを思い出し

いろんなことに思いを巡らせてしまい。

泣きながら、自分を抱きしめて励ましながら向かった大阪。

 

行って良かった、大阪。

私は恵まれている。

 

 

 

私の癌治療の、光となってくれた

お姉様に会いに。


会いたくなった時がタイミング。


自分の家族に

甘えられず、弱味を見せられず育った私には

全てを吐き出せる

大切で貴重な存在のお姉様。


過ごした時間の長さとかじゃなくて

人柄や温かさが

人との距離を縮めるのかもしれません。



それと

シングルマザー繋がりだったお姉ちゃん。

再婚して尼崎に引っ越して

ずっと毎年、夏に子連れでディズニーに行ってた。


コロナで会えなくなってるうちに

私が娘と別居に至り。


すごく心配かけているので

元気な顔を見せついでに、甘えてきます。



会いたい時がタイミング。

気付いた時が変わる時。


思い切り自分を解放して

甘えて、楽しんできます。


昨日は大好きなブロガーさんに会い
いっぱい、オーラとエネルギーを浴びてきました。

今日は
髪の毛のメンテナンスに。

前回、友達に紹介してもらって
絶大な信頼を持てるようになった美容院まで
電車に乗ってガタゴト。

メンテナンスがメインで
カラーは、何となくのイメージだけだったけど
結果、今日はカラーがメインになりました。

偶然にも、友達も今日
美容院に行く予定とのことで
予約時間を被せて貰っていて
顔を見て、話したかったから
ありがたい時間でした。


お互い、シングルマザーで
家庭環境にも問題があったもの同士
20年来の仲です。


私達は今、大なり小なり
娘との関係に問題を抱えている。

私達は、自分達が満たされたかった環境や状況を
精一杯、娘達に与えてきた。

それは、決して
満点ではないだろう。

そして、それを
誰も責めることは出来ない。

何故なら、私達も
満点の方法を知り得なかったのだから。

正当化するつもりで言うわけではない。
これは
あくまでも事実なのだから。


親不在の兄姉からの虐待下
親不在の自立せざるを得ない状況

少なくとも私達は
ここからは死守し
また、充分に意見を聞き
一緒に人生を彩る為に
全力を尽くしてきた。

その方法が不全であっても
私達は、それが不全であることすら気が付かなかった。
なぜなら、受け取ったことがないものだから。


ごめんね、娘達。
正しい愛し方ができなくて、ごめん。
私達も貰ったことがないから
与え方を知らなかったんだ。

今の娘達と同じ頃
私は、親もひとりの人間であることに
気付かなかった。

親は親であり
男性でも女性でもなかった。

何度も親の友好的ではない性交渉に遭遇してしまった私は
むしろ、そうであってほしかったし
そうでなければ嫌だと思っていたし
信じ込もうとしていた。



京都に居た時
自分が恐らくノイローゼになっていた時期に
幼い娘を、責めて泣かせたことがある。
幼い娘は、声を荒げたことよりも
心を痛めて泣いたと、明らかに思い出す一場面。

私はこれを
一生後悔し、懺悔し、生き続けるだろう。

断片を思い出しただけで
芋づる式に、数々の後悔と懺悔が溢れ出し
息が詰まり、胸が裂けそうになる。

なぜ、あんなことが出来たのか。
なぜ、あんなことが言えたのか。
なぜ、あんな無邪気な娘を傷付けたのか。


愛を伝える方法を
知らなすぎた。

愛の表現を
知らなすぎた。

人として
未熟過ぎた。



娘と見ることのない
2度目の桜が、満開になりました。

お久しぶりの皆様に

近況報告ができて良かったです。


変わらず見守ってくださる皆様

また、初めましての皆様

これからの成長をどうか温かく見守っていただけたら嬉しいです。



最近、時々

母とお散歩に出掛けます。

私は日課ですが、母は坐骨神経痛の改善の為。


ちょうど今日は

桜がいい感じに咲いてきて

気持ちの良いお散歩でした。


お茶しながら、少し娘の話や

近況報告をして。

こうして母とお散歩したり

いろいろな話が出来る様になったことは

娘からの贈り物だと思うことにしています。


娘のことがなければ

この時間はなかった。

今でも

歯を食いしばらなければ越えられない時間はあるけど

娘との別離がもたらしたものは

地獄だけではないと、確信できる。



今日は私の人生を

大きく変えるきっかけを下さった方と

何と、初対面してきます。

もちろんタイマンではないけど

ドキドキが止まらないw


パワフルでハッピーなエネルギーとオーラを

いっぱい浴びてきます!


いってきます!


長い間、アメブロをお休みしていましたが

今日、久しぶりにリニューアルしてみました。

 

本当にいつ死んでもいいと思っていました。

 

 

娘を追い詰め苦しめた言葉や出来事が

毎日寝ても覚めても浮かんできて

何をしていても何かしらの記憶に触れ

常に自分を責め続けました。

 

夢にうなされ、目覚めては絶望し

タオルを嚙みしめて嗚咽を堪えた夜明けが

何度も何度もありました。

 

家族に迷惑の掛からない自殺を

真剣に探した日々もありました。

 

死んでも見つからない

万が一見つかっても、家主や発見場所から金銭の請求が上がらない場所

救急で運ばれても、息を吹き返さないために

必要な時間と条件。

 

 

いろんな意見を恐れずに正直なことを言えば

この苦しみを味わうと

癌検査の末に「5年生存率8%」と言われた

あの時は断然、ちょろかった。

 

自分の存在を消してしまいたいほどに

自分の人生のすべてが

憎く、悍ましく、疎ましく、抹消したかった。

 

あんなに愛した、あんなに注いだ、あんなに

いつもそばにいて愛してくれた娘を

自分が壊し続けて生きてきたなんて。

 

 

 

癌からは逃れたのに

親しい人たちを見送ってきた私が

いちばん、そんなこと言ってはいけない。

 

親が自殺、という過去

娘にこれ以上のものを絶対背負わせてはいけないと、わかっていました。

わかっていたのです。

だからこそ、口に出せず

だからこそ、重すぎて耐えられず

本当に、本当に、本当に。

苦しかった。

 

今でも時々、とてつもなく苦しいです。

娘の夢も、毎日のように見ます。

夢の中で再会して

私は泣いて謝っています。

 

雨の日でも

晴天の日でも

雪の日でも

地震の時でも

いつもいつも、娘を想う。

 

こんなに愛していたのに

あの時の私は、それをわかっていなかった。

わかっているように思っていたけど

全然わかっていなかった。

 

娘のことがわからなくて

正直なところ、重かった。

だから、一緒に考えてくれる人が欲しかった。

ずっとそれを探してた。

 

でも、そうじゃなかったんだ。

 

私が本当に探していたものは

自分自身の愛だった。

足りないものは、パートナーが補ってくれるものだと思っていた。

でも、違う。

 

私の足りないものは

自分で補うべきだった。

それに気付けなかった40年間。

それでも気付けた、今。

 

 

結局

自分を助けたのは、自分だった。

前に進む方法を教えてくれたのも自分。

一歩を踏み出したのも自分。

 

 

 

ただ

私は運がいい。

私は、縁も引き寄せる。

 

絶望の淵で、もがいていた私が

絶対に立ち直ると信じて支え続けた親友がいる。

 

私の過去の思いと、今を受け止め

一緒に変わろうとする母がいる。

 

世界に羽ばたいて、世界はこんなに広いと

見せ続ける友達がいる。

 

だからこそ

私は一歩、また一歩と踏み出すことが出来る。

 

 

今の私は

今まで生きてきた中で

いちばん好きな私。

 

それを作ってくれたのは、もちろん「自分」と

感謝しかない、私の周りの人達と

最愛の娘の、勇敢なる決断だ。

 

あの時、娘が私を拒否しなかったら

今も私と一緒にいたのなら

今の私は居ないし

娘は今も闇の中に居たのだろう。

 

 

私はこれからも

もっともっと、自分を好きになる。

もっともっと、愛する自分を大切にする。

 

 

娘には会えなくても

必ず私の生き方は届くと信じてる。

娘どの思い出が溢れて
この家を引っ越すのが苦しい。

片付けるのがつらい。

でも、迫ってくる引っ越し日。

この家を離れたくない。
一緒に過ごした、あの時間。
一緒に笑った、あの時間。
ただそれだけで良かったのに

泣いても泣いても
もう戻れない。
わかっているのに
苦しくてどうしようもない。

アエナクテモ
ムスメガシアワセナラ
ソレデイイ

娘のカウンセリングの先生から教わった
魔法の呪文をひたすら唱えて
涙が止まるのを待つだけ。


引っ越しの為に荷造り。

娘と共に8年暮らしたこの家に
思い出がないわけがない。

むしろ
全てが娘のことを考えての購入。

思い出も溢れてるに決まってる。

泣きながら、片付けて
そのうち、手につかなくなって
呼吸が変になって
嗚咽が止まらなくなって
一旦、休んで。

わかってる。
しっかりしなきゃいけないのは。
前に進まなきゃいけないのも。

でも
足元が崩れて、踏ん張れない。
毎日、自分の涙に蓋をして
普通に終えることの積み重ね

1日、1日
薄皮を重ねるような
そんな毎日。
宝物を
失くしてしまった


もう、いつ死んでもいい