ちらほらと聞こえてくる話と
自分の目で見た内容を統合する。

にわかに信じがたいのたけれど
あっちゃ~、そうきたか。
そこまでする?!
怖すぎる。

申し訳ないけれど、無理です。
もはや、不快感を通り越して
恐怖でしかない。

その情熱、他に向けた方がいい。

その距離感も、その思考回路も
ただただ怖い。
ついでに言うと、
一緒にいると
何故だか不思議と
良い巡り合わせが起きる相手と
そうでない相手がいる。

そうでない、というのは控えめな表現で
はっきり言ってしまうと
良い巡り合わせの真逆だと
思ってもらって差し支えない。

何だか判らないけとれど
その人と関わりが増えてから
どうも調子が狂い始めたり
体調を崩したり
心を悩ます厄介ごとが
頻繁に起きたりする。

最初は仲が良くても
一時的にすごく楽しくても
関わるとどっと疲れていることに気づく。

長く関わると
情緒が不安定になるし、
気力も迷子になるし
頭痛がひどくなったり
眠れなくなったりするし
とにかく常にしんどいのである。

その人と関わるときは
天気まで悪かったりするから不思議だ。
(私は晴れ女である。)


時間も気力も体力も精神力も
何もかも奪われていく感じ。

思い返すと、
そういう“私にとって厄介な相手“と
接触した時は
いつも、何故か相手が一方的に
こちらを慕ってきた時だった。

私が仲良くなれそうだな~。
波長が合いそうだなと思って
少しずつ仲良くなった相手に
そういう人はただの一人もいない。

そして、その“私にとって厄介な相手“とは
必ずいずれ縁が切れるようになっている。

厳密にいうと
疎遠になったり
縁が切れるというよりも
切っているのだけれど、
そのことに対しての後悔はない。

もちろん、いきなり
人間関係を閉じる訳ではない。

ちゃんと、こちらから
何度もシグナルは出しているし
イエローカードも切っている。

理由も説明しているし、
改善するための
時間的猶予も与えている。
相手の言い分も時間の許す限り
再三に渡り聞いた。

ただ、イエローカードを何枚も
切るはめになった相手は
そんなことは気にしちゃいない。

こちらの都合なんて一切構わず
自分の都合だけを押し付けてくる。

一時的に改善したように見えても
ほんの数日自分の欲望を我慢しただけで
何かと理由をつけて
また同じことをしてくる。

そうなってくると
後はもう、言うまでもないであろう。

何枚目かのイエローカードを切る時
私はもう相手に
何の期待もしていない。

ただ粛々とその時を待っている。
少しずつ連絡を減らし
関わりを減らしながら。

相手にも納得せざるを得ない
誰が見てもわかる
「本人の落ち度」を
認識させるためである。

でもでもだっては通用しない。

私は、相手に嫌だと感じている理由も
説明しているし
これを続けているようでは
友人付き合いは出来ないことも
既に伝えている。

相手への期待も関心もなく
微かに残る情で
辛うじて繋がっている。

それも、時間制限つき。
何度も何度も時間を
延ばした泣きの一回の猶予。

制限時間が来るまでは
それでも念のため、
改善の余地が見れるかどうかも
一応待っている。

その上で、
まだ同じことを繰り返すのであれば、
それは、相手が私のことを
一人の感情のある人間として
認識していないことに他ならない。

そういう付き合いは私は要らない。

悲しいかなイエローカードで
踏みとどまってくれた人が
未だかつていないのが難点である。

なぜなら、私が大切にしたい人は
私にイエローカードなんて
そもそも出させないから。

私がイエローカードを出す時は
よっぽどの時で
イエローカードを出すと決めた段階で
ほぼほぼ近いうちに
レッドカードを出すだろうことは
分かっている。
関係を切っていい、そう思っている。

いうなれば
レッドカードありきの
イエローカードだ。

もうこの人には耐えられない。
後何回かだけは我慢するけれど、
それで改善が見られないなら
終わりだな。
そう自分をなだめすかしながら
その時を迎える。

そして、その時は大抵
意識して延ばしに延ばした
こちらの予定よりも
早くやってくる。

その時。
私の中ではもう結論は出ており
何度も何度も検証した結果の
関係性の断絶なので
至って冷静なものである。

ああ、またやってるな。
この人、やっぱり変わってない。
何もわかってない。

この調子じゃ
きっとこれからも苦労するだろうな。
でも、もう教える義務もない。
何の縁もないただの他人だ。
もはや知人ですらない。

何度も何度も伝えたし。
もう次はないよ、とも言った。
どういう意図でその忠告をしたのかも
きちんと伝えてある。
茶化したりせず、
大真面目に。
ゆっくりと時間をとって。

私にも私の幸せってものがある。

この人がこれから困ったところで
それは私の預かり知らないところ。

だって私は少しも困らない。
関係ないもの。

ここまで親身になって
口酸っぱいことを言う人は
多分あまりいないと思うよ?

まあ、それでもわからないなら
本当のところ
必要ないんでしょう。きっと。

もう遅すぎたんだよ。
困るって言われても困るんだ。

自分の周りから
人が去っていくことが多いなら
一度ちゃんと自分の行動を
振り返ってみた方がいい。

でも、もう私は説明しない。
教えないよ。
自分で試行錯誤して
見つけてください。
私には一切関係ないんで。

私はプラスにならない関係はいらない。
メリットのないものは要らないの。

お金や知識じゃない
心のメリット。
何よりもそれが必要なの。

対等な関係性を
育めない人もいらない。

相手の都合なんて
お構い無しの人も、
一方的な人もいらない。

だって疲れるから。
楽しくないから。

面白くないんだもん。
不快だし、
ちっともワクワクしないから。

その相手、私じゃなくてもいいでしょ?
「私」が必要なんじゃなくて

かつての私のように
自分にとって都合よく
何でも聞いてくれる人が
ただ欲しかったんでしょう?


私もね、人間なんだ。
感情だってあるの。
疲れてる時だってあるし
嫌な時もある。

それを認めてくれない人のために
割く時間は、
生憎一分一秒たりともないの。


突き放すだなんて、愛がない?
そう思うなら
どうぞお好きなように
仰ってください。

愛がなくて結構。
酷くて結構。

私の愛は誰に対しても
無制限に沸いてくるものではないので。

私はそんなに出来た人間じゃないし
そんなに暇でもない。

壁打ちのコミュニケーションに
付き合う義理はないんだ。

どうぞ他をあたってください。

ふと何かを思い、
当初の予定から行動を変えたり
思い立って
何かをしたりすることがある。

私自身が判断したのではなくても
一緒に行動する予定だった人の
都合に合わせて
「何故か」急に出来なくなったり
することがある。

いつもの私だったら
しない選択をする時が、その時。

昔からこれが結構当たる方で
その無意識の知らせを無視した時は
何故かあまり良いことが
起こったためしがない。


そして、何かを避ける、
そういう流れ(直感のようなもの)に
従った時は
不思議といつも
その「避ける選択」が正解なのである。

事故や事件に巻き込まれなくて済んだり
小さなトラブル
(とはいえ私個人としては厄介なもの)を
最小限で食い止められたり。

科学的な根拠なんて
何にもないんだけれど
そういう経験から
自分のそうした直感を信じている。