書けば書く程、
ぺんちゃんのケースとずれる気が
しないでもないのですが(ごめん)
とりあえず思いついたことを

もう少し書ききっちゃいますね。


自分が体得した知識や経験、

持っている情報を

「教えたい」と思う人と、

「教えたくない」と思う人

その両方が世の中には存在するということ。


※思いついたら何か追記するかもしれません。



私は、どちらかというと
「教えたい方」の人間だと思います。


私は大変だったのにずるいなー、いいなー。
という思いもありますが(笑)
私でわかる範囲であれば
基本的には答えます。


ただ、そんな私でも
「教えない」ケースも幾つかあります。

それはどんなケースか。


・とりあえず聞いてみただけの人(ケース)


⇒とりあえず聞いてみただけの人に
労力を取られるのは嫌なので。
過去、気づかずに一生懸命時間割いて教えたものの
何の役にも立たなかったし、
経験を活かしてもくれなかったことが多々あり

そうした諸々が馬鹿馬鹿しくなったため。


・教えてくれて当たり前、
お膳立てしてくれて当たり前の人


⇒単純に私がそういう人が苦手。
当たり前の人には、それが当たり前じゃないってことを
理解する良い経験かなーと思う。
私は積極的に協力はしないけれど
(その代わり邪魔もしない)
当たり前なら他にもしてくれる人がいるでしょうから
他をあたってがんばってください。と思う。


・初めましての人


⇒相手に対して何かしてあげよう、
してあげたいという
こちら側の積極的な動機付けがない

(※初めてましての人でも、
知らないと困る内容であればもちろん教えます)


★つまり、初めましてでもこちら側に
《何かしてあげようという動機付け》が出来ると
このケースの場合クリアされる


・誰でもいいか教えて、解決してという人


⇒そちらが誰でもいいのであれば
私も答える義務も義理もないので
他を当たってくださいと思う。


とりあえず、今思いついたのはこの辺です。

何気にいっぱいありますね(笑)


しれっと思い出しついでに

一部文章を訂正したり追加したりしているかもしれません。

前回前々回 の記事の続きです。



自分が体得した知識や経験、

持っている情報を

「教えたい」と思う人と、

「教えたくない」と思う人

その両方が世の中には存在するということ。


※思いついたら何か追記するかもしれません。


今回の内容は耳の痛い内容となっています。

注意して読んでください。

(書いてて泣きそうになってきた……。)



「教えたくない人」


「自分がこの知識や情報や技能などを得るのに

大変な苦労をしたので簡単に教えるのは嫌だ」


「苦労せず与えられた知識などは身にならない」


「どうやってそういう知識を獲得したかという

試行錯誤の過程を得ないと、他での応用が効かない。」


「今ここで一つ一つ教えることは簡単だが

それでは自分で考えて学ぶ力が伸びない。

それでは将来的に困るのは本人である。」


「知識や技は『盗んで覚える』もので、そもそも

教えてもらうものではない。」


「教えてもらって、与えられて学ぶ時代は

学校教育で終わりだ。

それでは職業人としては生きていけない。」


「苦労して覚えた。身につけたものを

『教えてください。』といって

『はい。そうですか。』と教えるものではないだろう。

教えを請うからには

それ相応の努力をしたんだろうな。

まず、その努力の後、試行錯誤の後を見せてから

初めて話して欲しい。」


「そもそも自分も教えてもらわなかったから

教える必要がない。みんなそういうものだろう。」


「『教えてください。』と言って『ダメだ。』

一度断られた、説教されたくらいで

諦めるのであればその程度。


本気で叶えたい、知りたいのであれば

そこで何度でも聞いてくるべきだし

簡単に諦めずに何度でも頼めよ。」


「教えを請う立場なら、それ相応の対価が必要だ。

ギブ&テイクが成り立たないのであれば

教える必要はない。」


(業界の第一人者なり、有力者なり

お偉いさんなりなんでもいいですが)

「そういう『プロ』に無償で何かを教えてくれというのは

そもそも間違っている。


この人達はその技術なりサービスなりで

お金をもらっている人達。

つまり、その人の技術はお金になるもの。

それを無償で提供しろといっているのであれば

では、それに代わる対価は?

ということになる。


その対価がなくて、その『プロ』が

本来であればお金になる技術などを使って

時間を使って教える意味は?

一体何のメリットがある?


メリットがあるというのであれば、

ちゃんとそのメリットを提示して

納得させてもらわないと。」


「教えたくない人」の方は

概ね、"一人の未来の職業人"として

向き合っている人じゃないかなと思います。

だからこそ、厳しいんじゃないかなぁ。


単純に自分の栄光を振りかざしたいだけの人も

中には居るとは思うのですが

それだけでもないような。(そう思いたいだけかも)


突っぱねられるか

もれなく説教がついてくるかという感じで

あんまり有難くないのが難点ですね。


ただ、長期的な目線で見てくれているのは

案外こちらのタイプだと思います。


勝手に壁を設置されますけど(笑)

恐らく、その壁を自力で乗り越えてきてほしいんですよね。


「ああ、またダメだったか。」じゃなくて

「お。今回は骨がある。見どころあるじゃないか。」

って本当はそういう風に思いたいんだと思います。

(課された側からすると非常に面倒臭いけれどね)


根気とか根性とか見られてるかな~。

あ、でも才能とコネが大きくものを言う世界のことは

やっぱり全然わからないです。

あくまで想像なので。


ただ、一回断られたくらいで~っていうのは

その人に直接教えを請うたわけではないですが

実際にそういう類のことは言われたことあります。


私に対してではないですが

一回突っぱねた後どうするのかを見ていたという話を

聞いたことあります。

正直言ってめちゃくちゃ怖かった。


(こちら側に落ち度があったので仕方ないのですが)

実際立たされたまま1時間くらい説教されたことあるし(笑)

確実に半泣きでしたけど、私も引き下がらなかったので。

一応その人なりに目はかけてくれてるみたいです。

まぁ、でもいまだにものすごく緊張しますね。


この記事は前回の こちら  の続きの記事です。


自分が体得した知識や経験、

持っている情報を

「教えたい」と思う人と、

「教えたくない」と思う人

その両方が世の中には存在するということ。


※思いついたら何か追記するかもしれません。


「教えたい」人


「自分が知らなくて苦労したので、

そういう情報などは

みんなが知っている共有知識にすべきだ」という考えや


「自分が知っている知識や情報を披露するのが好き」

という性質の人


「自分が学んだことを仲間や後輩などが吸収して

どんどん成長していくのを見るのが好き」

という性質の人


相手の成長うんぬん抜きで

「教えるということが好き」という人


「自分だけ知っていても全体のレベルアップは図れないけれど

みんなが知っていれば全体のレベルアップも効率化も図れる」

という考えの人


「紹介したり仲介したり披露したりすることで

自分のすごさを相手に見せつけられる・示せるから好き」

という考えの人や


「賞賛したり、認めたり、尊敬してくれるなら教えても良いよ」

なんていう人もいるかもしれません。


そもそも、その情報や知識に対しても

「自分でも得られたものだから

誰でも知る・体得するまでにかかる時間の差こそあれ

そんな大層なものではないのだから

教えることに抵抗がない」

という人もいるかもしれません。


もっと単純に

「教えることで、相手の役に立てるから好き」

なんて人もいるかもしれません。


「教えるととで話題の中心になれる・関心を集められるから好き」

なんて人もいてもおかしくなさそうですし


(教えるということは、その相手と関わることなので)
「相手とコミュニケーションをとるきっかけ、

話題が作れるから嬉しい」

なんていう人もいるかもしれません。



「教えるという行為を通じて

自分の知識や理解度が整理され

不明点が明らかになるから好き」

なんていう人もいるかもしれません。


一口に「教えたい」人といっても

抵抗感がないレベルから、

積極的に教えたいレベルまで

きっと色々といることでしょう。