図書館の人気本にランクインしていて、我が家は2人の娘がいるので、読まないとねと借りてきた本。父親目線娘目線の書き方なので、母親の私は、どちらかと言うと自分と父との関係を思い出しながら、楽しんで、懐かしがって読んだ。


娘は父が自分にしてくれることの中にではなく「父が妻にしていること」の中に「男の理想」を見る。


明るい不屈の精神を身につけるには、少女期の自我をうまく刈り込んでやらなきゃならない。このためには父親が妻をきっぱりと優先する。他ない。娘を持った以上、男は妻を決してないがしろにしてはいけない。未来の娘に、男性を信じ切る力と明るい不屈の精神を授けてやるために。


父の悲しみが、自尊心をくれる。娘の痛みを、娘以上に悲しんでくれる、大きな男。父を悲しませたくないという思いから



妻や娘にいきなり5W1H系の質問をしてはいけない。脳を戦闘モードに入れる。

問題解決の対話ではなく、心の対話をする。

心の対話は話の呼び水、こちらの話から始める。自分が感じたこと、自分に起こったことをちょっと話す。相手の変化に気づいて言葉にする。相談する。すると相手の言葉が溢れてくる。それを楽しむのがコミュニケーションである。最初の一言でどんなふうに相手を和ませよう。という画策。

頼りにしたり、弱音を吐いたりするのもいい。日常の小さな不幸はいい話の呼び水になる。


親が漏らす弱音は自分の存在が親を支えているという自負となり、子の自尊心になり、心の奥行きにもなる。 


勉強は何のためにするのか

学問というのはすべて、客観性を獲得するために学ぶ

いろいろな教科はこの世の見方を学ぶこと。いくつもの見方を学校は教えてくれる。やがて、そのうちの一つか二つで世の中を見ていく。けれど小さいうちはどれがその人に合うかわからないから、学校はすべてを教えてくれる。ものの見方を豊かにすること。勉強はそのためにする。誰かに勝つために、誰かに認められるために、誰かに褒められるために、ましてや要領よく偏差値を上げるために勉強するわけじゃない。ものの見方を広げるためなら、理解しにくいこと、苦手なことにこそ好奇心を発揮できるし、興味を持ったらいくらでも立ち止まっていい。


お受験問題

「学問」を競争や存在証明のためのツールにしてしまうと、男の子は競争や責務に駆り立てられ本質を見失う。女の子は、客観性を手に入れるチャンスを失う。お受験の問題はそこにある。

人生のあまり早い時期に、日頃の勉強を受験勉強に変えてしまうと、勉強をものの見方の広がりにつなげることができない。もちろん日頃の勉強を楽しみ、ものの見方を豊かに広げながら、そのついでに受験して合格する子もたくさんいるのだろが、勉強が競争のツールにしか見えなくなる子もたくさんいると思う。

公立でのびのび⇄エスカレーター式の学校に入ってのびのび。後者は競争社会の中で、最初に勝ち組に入れば後が楽と言っているだけで、学ぶという行為を競争の論理にしてしまうことからは免れない。

子どもの勉強をそんなに早く競争の道具にしてしまうことは胸が痛い。


何かに勝たなくたって、誰よりも優れていなくたって、きみはきみでいればいい。きみが笑えば、お父さんは生きる力をもらえるんだ。そのことにうんと価値があるし、その価値をお父さん以上にわかってくれる人たちに、君は出逢える。人生はそういうものだよ。

世間で娘を評価しない。


思春期。生殖ホルモンで縄張り意識や攻撃性が強くでがち。反抗期。

お父さんは臭い。遺伝子の型が大きく違う相手に惹かれる。父親は自分と合致するため、この世で最もありえない男子で、その体臭はこの世のどんな男性よりありえない匂いがする。

お父さんにとっても娘にとってもツラいこの時期は終わりが来る。思春期はこういうものとしてうまく乗り越える。叱ったり怒ったりしても逆効果なので、娘の暴言には、悲しそうな顔で絶句する。が一番。

しかし母親は、言葉は相手のために紡ぐものであって、自分の気持ちを垂れ流すためにあるものではない。たとえ家族であっても思ったことすべてを口にしていいわけがない。それは伝えていく。あなたのことをあんなに可愛がってるお父さんにそういう態度をとるのは悲しいと。


親子で社会的事案を語り合う。


思春期のダイエットは命をかけて阻止しよう。

完全脳食と呼ばれる卵を食べる。肉や魚も。

栄養が枯渇すると、やる気がなく、だるそうにしてて、突然キレる。

甘い朝食は人生ってを奪う。朝食は、サラダ、野菜の味噌汁、タンパク質、ごはん。時間がないときは卵かけご飯。


素敵な自分を目指して生きると、失敗したらこの世の終わりである。目指すはプロフェッショナリティー。


こんな女性は

自分のことを延々と話す

被害妄想が強く、愚痴が多い

持っているものより持っていないものに意識が集中して悲しむ

ちょっと失敗しただけで過剰に落ち込む

自分の意見が受け入れられないとひがむ

ちょっとつまずくともうやらないと投げ出す

自慢話が多いので自信満々かと思えばひどく傷つきやすい

雰囲気のいい静かなバーやカフェで大声でしゃべる

話し出すも夢中になって周りが見えなくなる

自分に与えられた時間の尺がわからない

相手の話を取ってしまう

急に怒ったり不機嫌になる

これらはすべていい子ちゃん症候群のもたらす弊害。本人が生きづらいだけでなく、関わる人もつらい。本人は周囲に認めてほしくて、一生懸命生きてるのに、自分が望むように周囲に認められていないという飢餓感に苛まれている。

幼い頃から親の期待に応えて生きるうちに、褒められる素敵な自分が人生の目標になってしまうから。


あなたが、あなたじゃない人のふりをしていたら、あなただけを愛する人は、どうやってあなたを見付けたらいいの?


娘を理想像に押し込めたがる

母親の自我に呑み込まれるのではなく、自分らしさを素直に愛せるようになるには、父親が十分に、無条件で娘を愛する。何か特別なことがなくても彼女を見つめて、嬉しそうにする。彼女のことばに耳を傾けて、共感して、カワイイ、愛してるよと告げたらいい。いくらでも。

娘への愛は無条件でなくては意味がない。そこに娘がいるだけで愛おしい。その気持ちをただ言葉や態度にすればいい。


次に娘が一番ではないことを知らせる。この家の一番は妻であることをきっぱりと知らせる。自分が一番ではないこと、両親が仲良しであることが娘の肥大する自我を刈り込んでやれる唯一の方法。


世界は私だけのものじゃない、世界中が私をみてるわけじゃない。もっとリラックスして世界を楽しめばいい、とわかるには、この世に自分よりも尊重されている人間がいると知ること、そしてそのことを素直に喜べることが大切だ。父親が母親を大切にすることは効果がある。


コンプレックスの根本には完璧主義。私なんか全然だめと尻込みする人は本来の自分はもっと素晴らしいはずだという思い込みがある。理想の自分が受けるべき敬愛を自分は受けていないと感じるため、周りからの反応や評価にいつも不満で、常に飢餓感を抱えることになる。


妻の悪口は娘の男性観を卑しくしてしまう。娘は無邪気に夫を信じられなくなる。


生まれた日の話をしよう。いつからでも愛はやり直せる。親から自分が生まれてきた日の喜びを語ってもらうというのは存在そのもの、丸ごとの肯定感だ。誰かに勝たなくても、何も証明しなくても、ここにいていい。


父親は、無条件に娘を愛し、妻を尊重し、そして、悲しんでやる。娘が大事なあまりチヤホヤするだけなら、それは娘の自我を肥大させ、自己愛を育てるだけだ。父親がかなしむことはしない、が、人生のガイドラインになる。