ダメとバカの違いについて、冨永昌敬監督が話していた(ことが『エクス・ポ』に書かれていた)。
ダメな人には理由があって、しかもそれを自覚してダメな自分を演じているけれども、バカには理由がない。だからバカのほうが楽しくていい。というような話だったと思う。
「自分はダメだ」から「自分がダメなのはなぜか」になって、「こういう理由だから自分がダメなのは仕方ない」となる(こうしてみると太宰そのものだ)。
だから、冨永監督の映画に出てくるダメな男はかならず出奔して「バカな男」になって帰ってくる。最近観た『乱暴と待機』でも浅野忠信がそんな感じだった。でも死んだ。そんなものだ。世の中にはダメでもバカでもない男もいっぱいいるのだ。
理由(行動原理)があるからダメな男は面白くない。バカな男は面白い。でも、理由があるからこそダメな男は変われるわけで、だからまあ、現実にはダメな奴でもいいのだと思う。
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その稿にも出てきたことと、浅野忠信つながりで、青山真治『サッドヴァケーション』を観た。
いろいろ(というかほとんど全て)省くけれども、母親の石田えりが最後の方に言う「死んだ者のことも生きている者のことも忘れて、これから生まれてくる者のことだけ考えましょう」というのが印象的だった。とはいえ、この母親は多分死んだ者のことも忘れないし、生きている者のことはなおさら忘れていない。
最後の「みんなで待っとうけんね」という言葉や、「それでも健次を待つのか、受け入れられるのか」と問いかけられた継父の「それも縁ですたい」という言葉に、結局健次(浅野)は引き込まれてしまうのだろうなと思った。この親は強い。
舞台になっている運送会社もなんだか印象的な場所だった。ゆるく強いつながり。宮崎あおいやオダギリジョーの出過ぎない存在感とかも良かったなあ。
ダメな人には理由があって、しかもそれを自覚してダメな自分を演じているけれども、バカには理由がない。だからバカのほうが楽しくていい。というような話だったと思う。
「自分はダメだ」から「自分がダメなのはなぜか」になって、「こういう理由だから自分がダメなのは仕方ない」となる(こうしてみると太宰そのものだ)。
だから、冨永監督の映画に出てくるダメな男はかならず出奔して「バカな男」になって帰ってくる。最近観た『乱暴と待機』でも浅野忠信がそんな感じだった。でも死んだ。そんなものだ。世の中にはダメでもバカでもない男もいっぱいいるのだ。
理由(行動原理)があるからダメな男は面白くない。バカな男は面白い。でも、理由があるからこそダメな男は変われるわけで、だからまあ、現実にはダメな奴でもいいのだと思う。
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その稿にも出てきたことと、浅野忠信つながりで、青山真治『サッドヴァケーション』を観た。
いろいろ(というかほとんど全て)省くけれども、母親の石田えりが最後の方に言う「死んだ者のことも生きている者のことも忘れて、これから生まれてくる者のことだけ考えましょう」というのが印象的だった。とはいえ、この母親は多分死んだ者のことも忘れないし、生きている者のことはなおさら忘れていない。
最後の「みんなで待っとうけんね」という言葉や、「それでも健次を待つのか、受け入れられるのか」と問いかけられた継父の「それも縁ですたい」という言葉に、結局健次(浅野)は引き込まれてしまうのだろうなと思った。この親は強い。
舞台になっている運送会社もなんだか印象的な場所だった。ゆるく強いつながり。宮崎あおいやオダギリジョーの出過ぎない存在感とかも良かったなあ。