クォンタム・ファミリーズ/東 浩紀
¥2,100
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各所で話題のQFですが、これは小説として読むべきなのかね。小説として読んでも普通に読めます。
しかし、これは小説と言う体の批評である、というのが(ネット上でしか知らないけれども)通説のようです。なのに、そのほとんどが、僕が見た限りで「何に対するどのような批評」かは触れていません。なぜだろう。分からないから? 確かに、量子とかなんとか、僕には全然つかめませんでした。
村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が小説中に随所に出てきたり、35歳、という年齢についてこだわったりしています。35歳が終ると人生の折り返し、というような表現があって、ハードボイルドには生きられない、世界の終わりに向かって僕らは生きる、と登場人物がつぶやきます。
ハルキ的「やれやれ」みたいなモノに対してのアンチテーゼ、だったんですかね。そんな簡単な話、ないか。
でも、仮定法過去、ってまあありえた過去、ということですが、大人になるにつれてそれがどんどん増えてたまっていく中で、それにおぼれてしまわないで、「いま目の前にある現実」を肯定しよう、という話なんじゃないかと思いました。22歳の僕ですら、仮定法過去ありますからね、たくさん。
人生教訓みたいな話になってしまいましたが、今後の東氏の活動なんかを見ていれば少しは分かるのかな。それともそもそも分かる必要もない話なのか。
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各所で話題のQFですが、これは小説として読むべきなのかね。小説として読んでも普通に読めます。
しかし、これは小説と言う体の批評である、というのが(ネット上でしか知らないけれども)通説のようです。なのに、そのほとんどが、僕が見た限りで「何に対するどのような批評」かは触れていません。なぜだろう。分からないから? 確かに、量子とかなんとか、僕には全然つかめませんでした。
村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が小説中に随所に出てきたり、35歳、という年齢についてこだわったりしています。35歳が終ると人生の折り返し、というような表現があって、ハードボイルドには生きられない、世界の終わりに向かって僕らは生きる、と登場人物がつぶやきます。
ハルキ的「やれやれ」みたいなモノに対してのアンチテーゼ、だったんですかね。そんな簡単な話、ないか。
でも、仮定法過去、ってまあありえた過去、ということですが、大人になるにつれてそれがどんどん増えてたまっていく中で、それにおぼれてしまわないで、「いま目の前にある現実」を肯定しよう、という話なんじゃないかと思いました。22歳の僕ですら、仮定法過去ありますからね、たくさん。
人生教訓みたいな話になってしまいましたが、今後の東氏の活動なんかを見ていれば少しは分かるのかな。それともそもそも分かる必要もない話なのか。