twitterというものに関して、僕はこの前友人に喧嘩を売って、ある意味では見事に負けたのかなと思っているのだけれど、少しだけ言いたいことが残っているのでそのことを書こうと思う。

売った喧嘩の内容は、「twitterを匿名でみんながやるようになったら、それって2ちゃんねるだよね」ということで、だから「twitterを匿名でやるべきではない」ということだ。

2ちゃんねるの問題点というのは大きなところでは「釣り」と「荒らし」で、このことに関して彼が回答してくれている。

「釣り」に関しては、匿名かどうかではなく、情報元(ソース)が信頼できるかが問題だから、匿名かどうかには関係ない、というのが彼の意見で、それに関しては確かにそうだなと思った。140字で場合によってはきちんとソースを示せるのかという問題くらいかと思う。

「荒らし」については、個人でタイムラインと呼ばれる「見え方」が違うから問題ない、ということで、別の友人からも「匿名のほうがリムーブ(専門用語だが、その人を「タイムライン」から「見えなく」すること)が心情的にしやすい」という指摘があった。実名だと人間関係的にリムーブがしづらいというのもどうかと思うが、まあそういう事情もあるだろう。

だいたい以上のようなことを「情報リテラシーが高い人間が利用する限りで」という留保付きで匿名でも問題ない、というのが彼の主張だ。そして、以上のような理解で、僕は反論を見つけられなかった。


しかし、情報の信頼性、という点で「釣り」に含まれるのか、それとも「荒らし」に含まれるのかということで難しいのだが、「評価」をするときに匿名であることは良くないと思っている。

ネット上では当たり前になっていて、僕も思えば当たり前に使っているのだが、「〓〓は良い(面白い)」「〓〓はダメ(つまらない)」といった評価を匿名ですることに僕らは違和感を感じなくなってしまっているような気がする。肯定的な評価はまだしも、否定的な評価を匿名ですることは無責任じゃないかと思う。

匿名の問題は、「(言おうと思えば)無責任になんだって言える」ことにあって、それを「本音が言える」とか言う人もいるけど、僕は匿名でないと言えない本音ってなんだよ、と思う。その本音って個人的な誹謗中傷のことなんじゃないのか、と思ったりする。

こうやってここで書いている時点で僕も同罪だけれど(しかも本や映画の感想まで書いている)、そのことを考え始めてから、僕は「面白かった」とか「面白くなかった」とかそういうことをできるだけ書かないようにしよう、と思った。でも「面白かったです」とかときどき書いてしまっている。「評価」するのではなくて、自分がそれを読んだり観たりして何を考えたか、をできるだけ書こうかな、という。

僕がこのBlogを匿名でやっている理由は、家族のこととか、そういう個人的なこと(情報)を書くことがあるからで、あまり知らない人に見られることを当初想定していなかったということもあるけれど。


追記:twitterのように、なぜか「一見実名(というか個体識別ができる)な感じ」な場所で、実は書き込みが匿名でなされている、ということが僕の違和感の原因かもしれないと思った。うまく伝わらないかもしれないが、twitterは「匿名性が前提」でないと僕が思っていることが問題なのだろうか。

ネットを使い慣れている若い人たちの中で、僕は時代遅れの発想なんだろうが、現在が過去より確実に正しい(良い)、ということはないとも思っている。