予定より早めに卒論を製本に出したので、今日は一日休暇。それはそれで、余裕のなかに不安を内包しながら、僕は渋谷で映画を観ます。うまくいっているような気がするときは必ず間違いがある。

僕は幸せ、だけど君は幸せ? 独り善がりの幸せは、他の誰かを確実に不幸にします。アニエス・ヴェルダ監督(女性ですね)の『幸福』。

全く同じ場面が、一人だけキャストを変えて演じられる事は怖い。しかも舞台上ではなく現実で。前の「役者」は自殺したのか事故なのか、映画では語られません。結婚ってそういうことなの、「掛け替えの無い」(とあえて漢字で書きます)幸せじゃなかったの、と僕らを揺さぶってくるわけです。

現実、掛け替えられた幸福がそこらじゅうに満ちているわけで。離婚率ってどれくらいあるんだろう。よく聞く3組に1組、ってあまり正確な指標じゃないよね。


もうひとつ、『ゴダールのマリア』は二本立て。ジャン・リュック・ゴダール監督の『こんにちは、マリア』のほうは、現代に処女懐胎を持ってきた話です。

マリアがバスケ選手でヨゼフがタクシーの運ちゃん。もとが羊飼いだし、そんなものなのかな。

現代における「オリジナル」の難しさを示している作品だ、とどこかに書いてありましたが、それはなるほどと思う。大塚英志が「ラノベの主人公なんて既存のものの換骨奪胎で何とかなる(要素の組み合わせの問題だ)」と言っていたのとちょっと似た話かも。

それを裏付けるかのように、ヨゼフにお告げをしにくる「天使」ガブリエルは台本を読んでいて、「台詞忘れた」とか言っちゃうのです。

マキャベリが言ったように、「どんな道でも、それは既に誰かが歩んだ道である」ということは、彼からさらに何世紀を経た僕らにとってはもっと切実な問題かもしれません。