藝術とは何か (中公文庫)/福田 恆存

¥620
Amazon.co.jp

評論家、福田恒存による60年前の評論。古いものですが、ここにある問題意識は現在にも確実に通底していると思います。

古代、演劇という形態がはじめて出現しました。そこでは<タカシ>とか<ユミコ>みたいな「だれでも良い」人物ではなく、たとえば<アキレス>とか<オイディプス>といった、「彼以外の何者でもない」英雄たちが演じられました。
それは、「ありのままの自分」を見つめた上で、それだけでは駄目だと感じたところ、「ありのままの自分」を許せないと考えた罪の意識によって発生しました。発生の必要があった、というべきかもしれません。そうして演じられるのが、人間の罪を取り扱ったギリシア悲劇でした。「人間は美しい」というのがギリシア人たちの根本概念です。

現代と古代ギリシャの違いは、真理という概念にある、と福田は言っています。

科学は「真理」というものを持ち出してきた。すなわち、「実地検証」によって現実にそぐわないことが舞台上でも許されなくなりました。シリアスドラマであり、私小説です。そのことによって、喜劇と悲劇がはっきりしなくなってきました。

ジッドの言葉を引用すると、「ギリシア悲劇では素面を隠すために仮面がかぶられた。しかし現代では素面がそのままで仮面になっている」。ギリシア時代、人は自分が任意の運命を持った「なにものでもない」者であることを公言できたけれど、現代は神の後ろ盾を必要とするのです。

もっと簡単に言うと、芸術はカタルシスを求められます。人間を「ゼロの平衡状態」に戻すこと、そして「なにものでもなくな」った自分を見て、人は「なにものにもなれる」自分を見出す。でも今は、人が芸術に求めるのは逆に「自我意識の確立」です。それは、カタルシスではなくもはやナルシスムにすぎないのです。

――
文明と芸術のかかわりについて述べています。初めのほうの古代的呪術のあたりの話も面白かった。他の本も読んでみようかと思います。