ところで、と急に始めるが、この連休は福岡と広島に行ってきた。

福岡も広島も別に住んだことはないが、親戚がいたり友人がいたりでなんやかやなじみ深い街で、親の次にお世話になっている親戚の小父さんや高校の友人、結婚して地元に帰った大学の友人などと久しぶりに会った。


至極当然のことだけど、現在の自分は過去の自分との延長にいるわけで、過去の自分の話を聞いたり、話したりするとなんとなく現在の自分が感じている違和感とかに気づいたりする。

環境が大きく変わったから、新しい自分になったような気がしていたけれども、やっぱり人間はそんなに変わらないものだなと思った。月並みすぎて泣ける。


あまり観光はしなかったが、門司港に行った。関門海峡の門の方。「放浪記」という喫茶店で林ライスを食べたり、大道芸を見たり、地ビールを飲んだりしてぶらぶらしただけだが、あ、あとは九州鉄道博物館にも行ったか。

まあどこにしろ、行ったことのない土地に行くのは面白いもので、それなりに。

話が飛ぶけれど福島から避難した人たちがやはり住み慣れた福島に住みたい、という気持ちは確かに分かる。でも、たぶん僕はそれならそれで新しい場所に居着くような気がする。長崎ですら、10年程度しか住んでいないわけで(まあ寮生時代を含めれば16年くらいになるか)、東京、名古屋、千葉と引っ越したから、ほとんど根っこがなくなってしまっているのだろう。


それで、この旅行の最後に名古屋に寄った。よくおじゃましていた喫茶店に行って、お茶を飲んで帰っただけだが、「名古屋」という土地と「工場研修」は強烈にリンクしていて、その場所に立っただけで初心のようなものを思い返せる、という場所があるということは幸せかもしれない、と帰りの新幹線の中で考えた。