カラフルトレース -3ページ目

カラフルトレース

明けない夜がないように、終わらぬ冬もないのです。春は、必ず来るのですから。

拝啓 浅田真央様、
貴殿を不世出の大天才並びに当アカウントと解釈が完全一致している偉大なるオタクと見込んで、ひとつお願いがございます。
今井遥さんと山本恭廉さんが……今井遥さんと山本恭廉さんが滑る姿を……
あなたの手で、まだまだこれからも……見せてくださいッ……!

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先日、浅田真央さんプロデュースのアイスショー「Everlasting33」を見た。
一昨年から昨年にかけて開催されていた「BEYOND」の時点で、大変不敬ながら「浅田真央さんは当アカウントとキャストの解釈が一致した奇跡の同担」という認定を下していたのだが、果たして今回もその目論見が裏切られることはなかった。

こんな調子で始まる記事なので、各演目についてバランスの良い記述を期待されても応えられない。
そういうのは恐らく、わたしでない他の誰かが――つまり、複数回通った人か、全演目を満遍なく見られる席に座っていた人が、どう考えても適役である。

席の話をしたが、この点を掘り下げるとあまり機嫌の宜しくない文章になってしまう。
立川ステージガーデンと知りながら3階席に座った柑橘類にも非があるのかもしれないが、「見えにくい」を通り越して「全く見えない時間が続く」とまでは想定していなかった。
さすがに、観客個人の責任だけに帰せられるものではないだろう。
タップダンスが音でも楽しめるジャンルだったのは唯一の救いだ。

さて、気を取り直して。
サンクスツアーが試走、BEYONDが既存の浅田真央イズムの総決算、そしてこのEverlasting33は「新しい浅田真央」あるいは「実はやってみたかったシリーズ全部やる」という位置付けだろう。
スケートリンクではなく陸の舞台を用い、生のオーケストラを呼び、タップダンサーや陸上ダンサーと共演し、エアリアルまでやってしまう。


約2時間の中に、これまで浅田真央が滑ったことのない30曲が詰め込まれ、正直この内容を一本のショーで使い切ってしまうのは勿体ないとすら思った。むしろ各曲をもう少し長くしてほしいくらいだ。それで納まりきらなかったら分割すればいいのよ、Everlasting-n(nは任意の自然数)ってことで。


というわけで、このショーが一番向いているのは「新たな挑戦を続ける浅田真央」が見たい人や「浅田真央のポテンシャルに手加減しないで欲しい人」と言って差し支えない。
逆に、ひとつ一つの演目をじっくり咀嚼したい人は「まだ見せてよ!」と言い続けている間にショーが終わったような呆気なさを覚える可能性もある。

全て味の違う、手の込んだ小さなチョコレートが30個入った箱。
これがエバラスの印象である。

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以下は、浅田真央さんとの解釈一致っぷりについてオタクが大喜びしている文章である。
喜び方は順不同。しかも偏っている。

当アカウントの偏り具合については前回のBEYOND記事が耐えられた人だけ、先に進んでほしい。

①バレエ小品集
まずこの話をしないと始まらない。
それぞれどなたが演目選んだんですか?浅田真央さん?だとしたら感謝過ぎるのですが。

・小山渚紗さん 「眠れる森の美女」オーロラ姫のヴァリエーション
渚紗さんって本来はお上品属性の方だよね~とBEYONDの時から思っていましたが、どうやらハズレではなかったようで。

数あるクラシックバレエの演目の中でもとりわけ箱入り感の強いオーロラ姫。その役柄に全く気後れしておらず、気品がすごい。

あまりにも正統派のお嬢様で、確かにこれはヴァリエーション集の幕開けを飾るにふさわしいと納得させられる真っすぐな爽やかさもありました。

丈の長い衣装も素敵ね…とうっとりしていたら伊藤聡美大先生の作品でしたか。ありがたや。

・今原実丘さん 「コッペリア」スワニルダのヴァリエーション
続く今原さんはスワニルダ。前の澄ました渚紗さんとは対照的に、世俗的な健やかさが全身から満ち溢れています。

そう考えるとスワニルダが腑に落ちる。「コッペリア」のスワニルダは妖精でもお姫様でもない、恋に奔走する等身大の村娘です。明るい親しみやすさが持ち味のキャラクター。

同じ女性ダンサーによるヴァリエーションと言っても、ここまで鮮やかなコントラストが演出できるとはなあ。

競技プロの今原さんは、ジギハイにしろサロメにしろ、世俗的を超えて蠱惑的なイメージも強かったのですが、こういう親近感全開のキャラクターでも存分に魅力が発揮されるということを……浅田真央さん、いつから気付いてたんですか?


・エルニくん 薔薇の精
あなたが「薔薇の精」じゃなくて誰が演じるの!?とプログラム読んだ時点で暴れていたので、いざリンクにエルニくんが登場した瞬間は「そう!それはそう!」とはしゃぎました。
BEYONDで悠良ちゃんと一緒にキャバレーの踊り子を演じていた時にも、性別の枠を超越した夜の蝶のような役柄を与えられておりましたが、薔薇の精はより「中性」が強調されます。ニジンスキーが「薔薇の精」踊ってた時の写真とか見てほしいんですが、もう男性とか女性とか関係なく「薔薇の精」ですからね。
老婆心ながら、プログラム冊子に「薔薇の精」として曲名が載っていますが、あれ実際に使われている曲のタイトルはウェーバーの「舞踏への勧誘」です。
というのはさておき、彼の柔軟な美しさを主軸に据えた振付のみならず、舞台からの去り方が原作(フォーキン振付のバレエ)に忠実過ぎて良かったですね。あれフォーキン版だと、最後は一回の大きな跳躍で窓を飛び越えて部屋から帰っていく、という動きになっていたので。完全に「分かっている」人が振付をしている。
 

・小林レオニー百音さん エスメラルダのヴァリエーション
当アカウントは一時期、エスメラルダのヴァリエーション厄介オタクをやっていました。
あのヴァリエーションってタンバリンの使用が最大の特徴で、わざわざ音が鳴る楽器を使うのであれば、音ハメするところまで含めて表現だよね!?と圧をかけ、バレエ経験者各位から「それが難しいんじゃ」とお叱りを受けました。
という経緯があり、エスメラルダと聞けばつい厳しい目を向けてしまうのですが、バレエそのままではなく、でもタンバリンの存在意義もちゃんとある振付で「上手く調理されているな」と感心しました。タンバリン使っている部分はしっかり音ハメされていましたし。
そしてこの曲は、バレエの最後の振付を見ても分かる通り、本人に推進力がないと表情の無い印象になりがちなんですが、レオニーさんがグイグイ進むタイプの演技者だったので、曲の単調さが全く表に出てこなかったです。良かった。

・山本恭廉さん 「海賊」アリのヴァリエーション(助けてくれ~~)
あの、いや、すみません。これ見せていただいてよかったんですか?

競技時代はバレエプロを滑った経験がないらしいし、ご本人は「アリはワイルドなキャラクターだから自分では選ばなかったと思う」(パンフ参照)とお話されていましたが、なんかもうそんなの全て吹き飛ばしてしまうくらいの。

アリは「海賊」という作品のヒーロー……ではなく、ヒーローである海賊の首領コンラッドの忠臣です。が、踊り的にはコンラッドより何倍も目立って美味しいキャラクター。すこぶる舞台映えするのでコンクールでも人気ですが、躍動と野性と肉体美がこのヴァリエーションのテーマですね。

 

躍動と……野性と……肉体美……!!??!??

あ、浅田真央さんや。これを山本恭廉さんに選ぶなんて、

 

お主も悪よのう

 

いやこれご乱心にならずに見るの無理でしょ。

後述する通り、確かに我々は浅田真央さんの手によって、競技時代からは想像もできなかったような「光」の恭廉さんをたくさん見せていただいておりますが。より彼の未開拓な姿を深掘りしようと思っちゃったんですか!!??情緒や曲線美には収まりきらない、はち切れんばかりの彼の魅力を!?

山本恭廉本人も知らなかった山本恭廉を、ものすごく鮮烈にお出しされて、どうしたらいいですか。それも「新しいジャンルを開拓しました」みたいなぎこちなさが皆無で、堂々たるアリ。

 

バレエ基準で再現度の高いアリ衣装(盛大に察してください)で躍動する姿を見せていただき、内心、顔を覆う両手の指の間から見たいような気持ちでしたが、実際はずっと両目ガン開きで凝視していました。体は正直です。

 

 

 

・今井遥さん 「ジゼル」第1幕のヴァリエーション
遥ちゃんのジゼル自体は初めてじゃないんですよ。競技プロでも滑っていたことがありますが、曲が違うし、まず衣装が村娘風味じゃなかった。

 

 

斯くして「村娘衣装の今井遥が見たい」という長年の願望、ここにて結実ッ!超!エキサイティン!

 

あのですね、当アカウントの三大好き好きヴァリエーションのひとつがこのジゼル1幕でね、それを今井遥さんで見られるってだけでも至極ハッピーなんですが。ジゼル1幕、世の中で最も「可憐」を効果的に演出した振付のひとつでしょうこれ。素朴で純粋な恋の喜びが、一挙手一投足から溢れ出る。

 

 

なんですが、今回のショーを見る前にひとつ懸念事項があって。

ジゼル1幕といえば何ですか?そう、連続バロネですよね。要するに「スカートの裾を片手に、片足でぴょんぴょんと踊っているあの場面」です。ここをフィギュアスケートでどう処理するんだ?と。

あえてジゼル1幕Vaの曲を使いながらバロネをしないというのは承服しがたく、しかしスケート靴を履いてアレを再現するのは難しい(その点、中野友加里さんのジゼルはよかった)。

 

ええ、どうするん……と内心ヒヤヒヤしていたところ、

なんと!手に持った籠から!お花を!客席に!!!!!

ものすごい画期的な読み替えではありませんか?ジゼルというキャラクターの優しさや可憐さは一切損なわないまま、スケートとして無理のない動きに。

しかもテンポを崩さず流れるように進む音源を使い、お花を渡す動作を8分の6拍子の枠の中に収めている(実際バレエを見ていると、バロネに入るとテンポが落ちる事例も見る気がする)。

 

いやこれは発想の勝利だな。高めポニーテールの今井遥さん、可愛いの知ってるから今更ビックリしないつもりでいたけど新鮮にビックリするくらい可愛かったし。淡いブルーの衣装も似合う。似合わない色ないけど。ヴィースの巡礼教会に紛れ込んでても違和感ないよ。

・松田悠良さん&中村優さん 「ドン・キホーテ」より グラン・パ・ド・ドゥ
このメンツだとあまりにも疑いなく悠良ちゃんがキトリな件について。彼女は溌溂とした明るいヒロインが適役すぎる。優くんがバジルなのも「そりゃそう」って感じなんですよ。ソツのないイケメンなので。
そもそも論ですが、ヴァリエーション固め打ちからの最後はグラン・パ・ド・ドゥで締めるの、バレエのディヴェルティスマンの構成を熟知している人の発想ですよね。いや、本来はヴァリエーションじゃなくてキャラクターダンス固め打ちパターンが多いけどさ。
その中でもドン・キホーテは一番めでたい。まさにお祭り騒ぎです。


そして皆さん小道具捌きが巧みではございませんこと?キトリのヴァリエーションといえば扇子ですが、扇子ってタイミングぴったりで開閉するの難しいからねえ。殊に機敏さを求められるキトリにおいて、あのメリハリのある小道具使いは必須要件になるので、いや滑りながら使うの上手いな…って凝視しました。


②タイスの瞑想曲
エアリアルね。3階席ですら少々怖かったので、間近で見ていた人はより怖かったのではないか。「エアリアルやってみたい」というチャレンジ精神が前提で発生したプログラムだと推察しておりますが、だとすれば選曲がかなり絶妙なんですよ。


浅田真央さんの表現哲学の根底にクラシックバレエがある、という前提で話を進めますが、バレエの基本精神として「より高く、より軽く」が挙げられます。この精神はしばしば「天上性」とも換言されます。バレエの登場人物に妖精などの超自然的な存在が多いのも、無関係ではないでしょう。
その欲望が向けられる先は女性に限らず、まるで静止しているかのような高い跳躍で名声を博した男性ダンサーもいて、そう、皆さんご存知のニジンスキーです。
天上的であることに固執したクラシックバレエからすれば、エアリアルという手法はもはやチートに近いとも言えませんかね。システムを用いて天高く跳躍し、薄衣を垂らすことで幻想性まで付与される。

フィギュアスケートは、ある程度まではクラシックバレエに接近可能ですが、靴は重いし(普通なら)リンクに空を飛ぶ仕掛けはないし、天上性という点ではバレエに後れをとりがちなところ、エアリアルを使えばその辺の諸問題を一気に解決できるというわけですね。
もちろん、ファンタジーオンアイス常連のチェスナ夫妻然り、フィギュアスケートでエアリアルを用いたのは真央さんが初ではないので、新規性という点で掘り下げはしません。
当アカウントが主張したいのは、エアリアルを用いてまで天上性を表現した曲が「タイスの瞑想曲」なのがあまりに大正解ということです。

「タイス」はフランスの作曲家、ジュール・マスネ(最近だとゆまちさんの「ウェルテル」の人で有名かな)が手掛けたオペラで、タイトルになっている主人公タイスはエジプトの高級娼婦。
タイスは禁欲的な修道僧アタナエルの説得を受けて、最初は反発するも、瞑想を経て俗世から信仰へと生きる世界を変え、最終的には尼僧院に入り、天使の存在を信じながら息絶える。
この重大な転換点である「瞑想」で流れるのが、そうです、お察しの通り「タイスの瞑想曲」と呼ばれるあの曲なんですわ。


葛藤の末、享楽的な生き方を捨て、アタナエルの導きに倣い、精神的な愛と祈りへ身を捧げるという決心。まさに地上から天上へと、目指す先が変わったのです。

(忠実にオペラの筋書きを精査すればそう言い切れない部分があるにせよ)この演目での嶺くんの役割はアタナエル、真央さんがタイスと仮定して無理はないでしょう。

 

なぜなら「タイス」の真央さんは最後、他ならぬ嶺くんの手を取り天へ上って行くのですから。
 

 

③雨に歌えば
我々、山本恭廉さんのオタクが浅田真央さんから賜った最大級の贈り物が「光の山本恭廉さん」です。
以前にBEYONDの記事でも述べた通り、選手時代の恭廉さんってどちらかといえば陰属性、仄暗い情念をじっとり滾らせることに定評があったイメージで。
まさか女の子をナンパしてやれやれと去る軽妙な姿や、全身ではじけて明るく踊る姿が見られるなんて、しかもそれが想像以上にハマっているなんて、夢にも思わなかったわけで。真央さんの慧眼と手腕に恐れ入ったんですわ。

WSSなど、他にも光の山本恭廉さんを拝める要素はありつつも、今回のショーで最も「光」が凝縮されていたのはこの「雨に歌えば」ではないでしょうか。

「雨に歌えば」には陰りもなければ情念もない。明るく目立つ色の傘を片手に、可愛らしさすら感じさせるポップなミュージカルナンバー。それが何の違和感もなく山本恭廉さんに似合っているという、奇跡のような事実よ。一緒に滑っているのがエルニくんというのも、軽妙さを増幅させていそう。

 

しかもこの演目、単に明るい山本恭廉をお出ししますというのではなく、彼の特技であるスピンを曲想表現として完全に取り込んでいる。美しいポジションとぶれない軸を、不必要に見せつけているわけではないのに「これ必要なんですよ」とたっぷり堪能できる。ただただ、ありがたいことです。

 

 

④ゴッドファーザー
どれだけ名曲・名シーンであっても、擦られすぎてネタ性(ミーム性というべきか)の方が強くなる場合ってあるじゃないですか。
ゴッドファーザーのテーマもその枠に入れて差し支えない曲で、普通に使うと曲のキャラが立ちすぎて面白くなってしまうんですわ。
それが面白い方に転がらず、名曲として本来あるべき姿を提示できるのは、田村岳斗というカッコ良すぎる男の真価が発揮されているに他ならない。


BEYONDのロットバルトの時にも書いたけど、田村岳斗の「カッコ良さ」はフィクション的ですよね。
こんなの誰が演じたらサマになるん…なキャラクターや衣装を、デザインの意図通りカッコよく決めてくる才能がある。ありすぎる。
そういう点で今回のは、カッコ良さ分からせ選曲ですよね。ナイスすぎ。立っているだけで回りを黙らせられる存在感、って学んで身につく代物じゃありませんからね。この人にしかない強み、を浅田真央大先生は熟知されている。

これTwitterにも書いたし全然関係ないけど、田村岳斗は「カラオケ行こ!」の成田狂児にしか見えない時がある。顔の強さと表情が。


⑤死の舞踏
もっと長く見せてはくれんか!?すぐ終わったが!??
これに関しては(尺の都合なのを承知の上で)あんなに短時間で終わってしまったのが心底惜しいと訴えたいです。

浅田真央さんがBEYONDから続けている試みに「古典的な群舞の刷新」があると解釈しており(この辺りの話はまた別の場所で詳しく論じたい)、BEYONDではそれが幻想即興曲で、エバラスでは死の舞踏が該当するんじゃないですかね。
白の群舞と黒の群舞。見た目も曲のイメージも対照的ながら、試みの意図は「全員が違う動きでも群舞としての一体感を出す」で共通してはおりませんか。
幻想即興曲の時点で、コンテンポラリーダンスの要素を取り入れた振付はしていましたが、あれはまだギリギリ「バレエ的」と呼べる性格を残していたし、現に当アカウントはあの演目を「新時代のバレエ・ブラン」と呼んでいる。
これが死の舞踏になると、ベースの所作からもう斬新な動きが多く、依然として「群舞」の輪郭を保っているのが不思議なくらい。

よく考えると、サン=サーンスの交響詩の元ネタに忠実なんですよ。舞台の背景が墓場であったことにお気付きでしたか?
ピンと来ない方は「サン=サーンス 死の舞踏」でWikipedia参照していただきたいんですが、あの曲全体で「夜になると死神がヴァイオリンを奏で、骸骨たちが墓場から蘇って踊り、朝のニワトリの鳴き声と共に地中に戻る」という筋書きを表現しておりましてね。
となると、この曲で群舞をやるというのは、即ち「踊る骸骨たちを演じる」ことであり、そう考えれば、人間的なしなやかな動きだけでは成り立たず、不気味に角ばった不自然さが求められる(余談だが、高志郎くんの「死の舞踏」はこの点において非常に一貫したポリシーを持っていた)。
だからこそ、各スケーター固有の曲線性が不意に姿を現すとき、生々しさが強調されて観客の心を鷲掴みにするのかもしれないね。


ところで、千秋楽後にアップされた我らが山本恭廉さんの「死の舞踏」衣装でひっくり返ってしまった。黒レースの額飾り is so elegant and too sexy.


⑥ロミオとジュリエット
どうやら浅田真央さんの中に「遥ちゃんには悲恋が似合う」「優くんと遥ちゃんは雰囲気が近しい」というのがあるらしく、うん、分かるよ、大変よく分かります。
今井遥さんって大変かわいい、可憐の象徴みたいな人なんですが、どこか翳りを湛えた麗しさでね。
春夏秋冬でいえば間違いなく春だけど、それはヴィヴァルディが歌う陽気な春ではなく、エイナウディの綴る切なさを孕んだ春だったし、絵画ならボッティチェリの生命賛歌ではなくヴルーベリの憂愁なの。
中村優という男も疑いなくイケメン枠だが、迂闊に近づくと背負った暗がりに搦め取られそうな、本人もその暗がりの中にふっと消えていきそうな儚さがある。
その二人に……若き激情ゆえの危うさを演じさせる……純愛を添えて……!?

うむ(正解の音)

BEYONDのラヴェンダー遥ちゃんも悲恋エンドだったけど、あれはまだ客観視できる悲恋だった。ロミジュリの幕切れ、みんな我が事のようにドキドキしちゃったでしょ。
忘れがちな事実として「原作のロミオとジュリエットは二人とも10代」がありますが、アラサーとサーなに10代を演じて違和感のない、瑞々しさと切実さ
蝋燭を小道具にしても、コスプレ感より「中世!お嬢!ご子息!」の雰囲気が前面に出るのすごいし、ジュリエット遥姫が頭のてっぺんから爪先指先まで完成され過ぎている。ベストオブ姫かも。
遥ちゃん本人は、仮にジュリエットだったとしても「家同士の関係?気にした方がいいんですかそれ」と言いそうな豪胆さを秘めている(偏見)が、演じているときは全くその気配がない。
でもパンフレットのインタビュー読んだら「二人は上手く行かなかったんだなあと思っていただいて…」などと供述しており、漫才コンビの解散みたいなこと言うんじゃないよ。好き。

ちなみに最初、チャイコフスキーのロミジュリが使われていたので大興奮しましたが、途中でニーノ・ロータになりましたね。ニーノ・ロータ版に恨みはないが、あらゆるロミジュリの中で最もチャイコが好きな身としては若干しょんもりした。またチャイコのロミジュリがメインの演目も見たいな(圧かけんなよ)


⑦ボレロ
あなたのボレロはどこから?わたしはベジャールから。

徐々に高まる熱狂、居合わせる者すべてを呑み込む昂ぶり、まさに官能の祭儀。
その観点から言うと、フィギュアスケートにおけるベジャール的ボレロの究極の完成形がワリエワさんのボレロであり、再構築に挑んだのがエイモズくんのボレロなんですよね。


さて、ボレロという曲の本質は「ずっと一方通行のクレッシェンド」と言い表せると思いますが、それを競技プロの中で体現するには限界があります。ジャンプのこと、エレメンツのこと、バランスの良い配置、そういうものを考慮すると、競技の中でボレロになりきるのは難しい。

その点でこの浅田真央さんのボレロは、競技の制約という弱点(なお当アカウントは、本来は競技の制約は想像における足枷になるとは考えていない)を全て払拭し、誠実に「ボレロ」のクレッシェンドを氷の上で表現していた。

 

最初から最後にかけて一直線に盛り上がらなければならない、それなら最初はコンパルソリーから始めよう。これを思いつき、実現する勇気があり、コンパルソリーですら見所として成立させる。

本来であれば、スケーティングに強弱をつけること自体、難易度の高い要求なのですが、浅田真央のあまりに卓越したスケーティング技術であれば、何段階もスケーティングの出力を使い分けることができるんだ~~すげ~~。アイディアの巧みさとそれを実践に落とし込む圧倒的な技術に、ひたすら感嘆の声を上げることしかできなかった。

浅田真央さんは、感情表現か曲想表現かで言えばもともと曲想表現寄りの人でしたが、このボレロはもう純粋に音楽。確かに「今が一番上手」と評して差し支えないでしょう。

それでいて、淡々とした印象にはならず、ボレロ史に通底する高揚や興奮も取り入れられている。なんでそんなことできるん(素朴な疑問)

 

しかもこれ浅田姉妹の振付なんですか。ぜひ他にもいろいろな振付を見てみたいと願ってしまう一方で、誰もが浅田真央さんみたいに意図したデザインを意図通りに表現できるワケじゃないのよねという難しさも容易に想像できるのだ。

 

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結論としては、BEYONDからエバラスにかけて浅田真央さんが育ててきたチームが大好きすぎるので、頼む、物語の続きがあってくれ。

わたしはまだ、自分の大好きな今井遥さんや山本恭廉さんが、いやあらゆる曲やスケーターが、浅田真央さんというフィルターを通して出力される姿を、見ていたいんです。