2022-23シーズンのベストプロ10 | カラフルトレース

カラフルトレース

明けない夜がないように、終わらぬ冬もないのです。春は、必ず来るのですから。

こんにちは。もうすぐ「氷面鏡」第3号を刊行予定の柑橘類です。
春と言えば氷面鏡、BOI、そしてシーズンのお気に入りプロまとめの季節。
そういうわけで例のごとく、今年もやっていきましょう。

書きながら自分で「曲で決めてないか?」という疑いが生じたのですが、どんなに曲が良くても、その曲を使っている必然性が見出せないプロは、当アカウントのお気に入りとしては計上されない仕様です。逆にそこまで思い入れがない曲でも、必然性があれば評価が上がるという。
とはいえ曲の趣味が偏っているのは否めないし、スケートで使われるクラシックは、もっと数も種類も増えてくれ。お困りの場合は当アカウントまでご相談ください。あれやこれやと湯水のように案を出します(怪しい者ではありません)


・⑩ミーガリSP「セカンドワルツ」


今シーズン、ロシアの試合は見る機会が乏しかったが、それでも「ミーガリがセカンドワルツらしいよ」の報せは、さすがにチェックせざるを得なかった。

ショスタコーヴィチの中でも軽妙さを特徴とするこの曲は、ワルツはワルツでもウィーンのような底抜けの華麗さはなく、かといってショパンのような繊細さもなく、どこか退廃的で、古い画質のテレビ映像みたいな懐かしい雑味がある。

表現するには人を選ぶ類のワルツだろうけど、ミーシナ&ガリアモフの二人には不思議とよく合っていた。彼らの大胆な勢いや、良い意味で洗練しきらない郷愁が個性として映えるのは、むしろこういう選曲なのだろう。

ボリショイでやってるショスタコものの作品(黄金時代とか明るい小川とか、そのへん)に通じるものがある。この路線をスケートで極められる貴重な人材。


・⑨三原舞依FS「恋は魔術師」


スケートファンが「舞依ちゃんらしい曲」として想起する曲調は、それなりに確かな共通性を有しているのではないだろうか。清楚にして滑らか、しかもその積み重ねの中で着実に変化の芽を育てている。こうして毎年試合に出ていることすら奇跡に近い状況で(演技の安定感ゆえつい忘れがち)表現のコンフォートゾーンを追求する方針に何ら異論はなかったが、まさかこんな「確変」のプログラムを持ってくるとは。

「恋は魔術師」はファリャが作曲したバレエ音楽。楽曲も筋書きも振付も、スペイン的を通り越して、アンダルシア的な風合いを帯びている。要はロマのフラメンコにかなり近い。

フラメンコに近いと何が求められるか。流麗さでも軽やかさでもない、拍を強調し「止め」を重視する、節くれだった動きだ。復帰後にパワーのついた彼女が、越えるべき表現のハードルとしてこのプログラムを課したのであれば、時期も内容もまさに適切な挑戦だった(なぜならわたしは、平昌シーズンのリベルタンゴを今こそ再演して欲しいと願っているタイプのオタクだったので)。

シーズン序盤は全ての動きがきれいに流れてしまう印象が拭えなかったが、試合を重ねるにつれ「あえて止まる」ことを恐れず、抑揚の効いた曲想表現になっていた。


・⑧宇野昌磨FS「G線上のアリア 他」


宇野昌磨のバロック、はその時点で既に名作の確定演出になる組み合わせなのだが、昨シーズンのオーボエ協奏曲よりもさらに、視覚芸術としてのバロックに接近したとすら言えるだろう。オーボエが彫刻とすれば、アリアは教会建築の性格も擁している。輪郭の重厚感のみならず、そこに装飾の曲線も充填されたというわけだ。

元来、重心が低く、どっしりとターンを描き出す「下向き」のスケートが彼の特徴だったが、ここ数年は軽やかさも増し、時折「上向き」の表現も織り込む多彩さまで身につけてしまった。結果としてプログラム中に入る動きの種類が増え、それが従来のスケートのベルベットのごとき高級感に上乗せされることで「装飾性」に結実したのだろう。

弦楽合奏だけの1曲目から、カウンターテナーの入った2曲目に切り替わると軽やかな表現が存在感を増す、その表現の転換は出色である。これほど「カウンターテナー入ったな」と意識させられるプログラムは珍しい。そもそもそういう曲が珍しい、と言えばそれはそうなのだが。2曲目の終盤に位置するステップシークエンスがあまりに装飾的で、もはや極まっているな…と見とれてしまう。彼このまま、ロココの領域まで辿り着いちゃったりする?


・⑦トゥルベルFD「シューベルトメドレー」


ユーロの時に「好きそうなのあるよ」と紹介されて案の定好きになったプログラム。ピアノ曲だけで勝負されると好きになりがちなんだよ。仕方ない。

シューベルトの即興曲90-3で、ピアノ・ソナタ第20番の4楽章を挟んでいる。変ト長調でイ長調を挟むというなかなかの無茶のはずなのに、違和感なく曲が接続されていて、ただでさえシューベルトという珍しい選曲で評価爆上がりなのに、さらに好感度が高くなってしまう。ありがとう(ありがとうって何?)

皆さんご存知の通り、アイスダンスでピアノ曲を使うのって難しいんですよ。普通にシングルでも難しいだろうけど、特にアイスダンスだとリズムやテンポの変化がプログラムの規程要素なわけで、ピアノ曲でビートが効いてるなんてことは普通ないはずなので(シューベルトともなると殊更だ)競技プログラムとしての要件を満たすのが難しい。

トゥルベルのシューベルトが良いのは、そうした制約を背負いながら、変なビートを加えるという蛇足に手を染めず、あくまでも原曲のサウンドだけで、これでもかというほど楽曲の構造を抽出しては強調する振付になっていたところだ。それを象徴するのがソナタ部分のローテーショナルリフト。あまり安直には言いたくないけど、あまりに曲と一体化しすぎていて驚いた。使いやすい曲でなくてもやりたいことをやってみせます、という強い創意工夫が感じられた。


・⑥リムクァンFD「死の舞踏」


ジュニアのアイスダンスでこんな名作が誕生するとは。国別でも好きになった人、結構いるんじゃないですか?

(この記事を書きながら、今シーズンの裏テーマって実はワルツだった?って思い始めました。ここから3プログラム、ずっとワルツの話することになっちゃうから)

サン=サーンスの死の舞踏、個人的にはれっきとした三拍子のワルツなんですよ。ものすごくテンポが速いタイプのワルツ。フィギュアで「死の舞踏」が使われることはあっても、焦点が当てられているのはあくまでも曲のスピード感やクールな雰囲気であることが多く、彼らのように三拍子の舞曲であることに主軸を置くアプローチを見かけることは少ない気がします。

リムクァンの「死の舞踏」が面白いのは、ワルツとして曲を解釈しているだけでなく、さらにストーリーまで上乗せしているところ! もちろん標題の付いてる曲だから、もともと何もないってわけではないけど、いわゆる中世絵画の死の舞踏の世界観から大きくはみ出てはいないわけで。それを男女二人で演じるにあたり「命を奪うものと奪われるもの」という設定を付与し、しかもそれが見ている側に伝わりやすいというのは、とても明瞭な創造性があるとしか思えない。

この2人、顧みればジュニアにして既に、キャッチーなプログラムばっかりなんだよね。昨シーズンの江南スタイルなんか顕著な例だけど。次は何をやってくれるのかな? とどんどん楽しみにできるカップルじゃないかしら。


・⑤友野一希FS「こうもり」


シーズン序盤に「友野くんがこうもりだ!」と聞いただけで踊り出したオタクって何人かいるはずなんですが…え、いるよね? わたしをひとりにしないで!

友野くんってエンターテイナーなのはもう自明なんですが、エンターテイナーとしても稀有な資質の持ち主なんですわ。楽しんでるけど楽しませる方がメインで、コミカルだけど気品があって、役柄に入り込むけど演じ方は理性的。そんな彼が「上品な娯楽」の象徴みたいなウィーンのオペレッタですからね。合わないわけがない。

とはいえ彼のプログラムあるあるとして「プログラム内の要求が多過ぎる」が原因で、恐らく彼の意図した形にパフォーマンスが仕上がるには少し時間を要したかもしれないけど。さいたまワールドで演じたフリーは、文句なしのオペレッタに仕上がっていました。

作曲者がヨハン・シュトラウスなもんで、単に明るく華やかなだけでは曲の世界観を拾いきれない。あの序曲はオペレッタに登場するワルツとポルカの美味しいとこ詰めなので、ワルツならワルツの曲線性を、ポルカならポルカの軽快さを出すのが望ましい、はず。

よく「友野くんのこうもりは3つ目の4Sがカギ」って話をしていて、もちろん基礎点や次の要素への流れ、という点でもそこは重要なんだが、個人的には、曲がワルツに変わって最初に跳ぶエッジジャンプだから、あの4Sが決まると三拍子の円運動が途切れず続いていくのよ…(しみじみとワールドを思い出す)

そして毎度ながらコレオシークエンスの大疾走、を持ってくる配置が大正解ですよね。プログラムの終盤で印象に残りやすい、ってのはあるけどそれ以上に「コレオ爆走するなら曲のこの部分やろ」が解釈一致。今回も軽やかに躍動するポルカにあのコレオシークエンスですから。設計が完璧なんです。


・④パイポーFD「エビータ」


パイポーといえば皆さんはどんなイメージをお持ちだろうか。ユニークさ、は間違いなく多くの人が答えるだろう。独創性の発露に他ならぬプログラム(とオフアイスの挙動)が次々と思い出され、しかし時を経るにつれ、彼らがもはや「ユニーク」の枠に嵌らない、正統派の表現者となっていることを実感するのではないだろうか?

「エビータ」は彼らの独創性が不変のものであることも、彼らが真っ直ぐに伝わる捻くれない表現の持ち主であることも、同時に伝えてくる強過ぎプログラムである。アイスダンスでミュージカルを選ぶと、有名な曲でそれっぽいストーリーの振付を入れるだけでも、何となく作品の世界観をさらったプログラムができそうなものだが、パイポーはさすが、作り込みに余念がない。妥協とか「なんとなく」が全然ない。すごいんよ。

わたしがこの「エビータ」を象徴すると思ってる部分は2つあって、ひとつは中盤のワルツみたいなステップ、もうひとつがストレートラインリフト。

前者は彼らの創造力が光りまくってて、ただ「ワルツっぽい」の次元を凌駕し、これパターンダンスにまた採用されてもおかしくないじゃん〜〜ってなるくらい、動きも多彩、密度も高い、満足度は満点。

後者はねえ、パッと見は普通のストレートラインリフトなんだけど、一番盛り上がって欲しいところでこれでもかというほど訴えかけてくるから、ものすごく真っ当に感動させてくるやん…こんなのみんな好きだよ…となる。彼らが万人に伝わるパフォーマーになった、この数年間の積み重ねみたいなエレメンツだよ。ちゃんと見るとやり過ぎレベルで凝ったことやってるのも含めて好き。


・③千葉百音SP「シンドラーのリスト」


あの千葉百音さんがこんな風になるなんて誰が想像してたんですか!?の新鮮な驚きがシーズンが進んで薄れてもなお、毎度「めっちゃ上手いな…」と新鮮に堪能できる名作、シンドラーのリスト。

人間ってやっぱり初見の印象に引き摺られる生き物なので、わたしは例に漏れず彼女の印象は黄色いパリのアメリカ人だったわけですが、昨季からのバタフライラヴァーズコンチェルトを見たあたりから「なんか一皮じゃない剥け方してない?」みたいな兆しがありまして。そこでこのシンドラーですよ。

いや、もう、別路線じゃん…?

今シーズンの千葉百音さんに関して新たに判明したことは、ひとつは「濃さがあるタイプの表現者」。重厚感に近いオーラを出せるの、強いよ。このシンドラーはかなり濃密なターンで設計されてて、浮いてる部分がかなり少ない。

俗に言う「ステップするする詐欺」の部分なんて顕著な例ですが、彼女は細部を詰めれば詰めるほど味が出るタイプなんじゃないか? この春から木下に移籍ということで、こういう「味の出し方」に磨きがかかりそう。期待。

ちなみにもうひとつ判明したのは「オフアイスではかなり陽キャ」です。四大陸の時とか割とビックリしたもん。実は楽しい体育会系だったりする? いずれは踊りまくるタイプの、陽キャ丸出しプロも見せていただければ。


・②島田麻央FS「パスピエ」


DOIで見た時に凄すぎてひっくり返りましたこれは。体幹最強選手権開いたら優勝するじゃん…とシーズン序盤から怯えていましたが、最後までずっとそうでした。あまりにも隙がなさすぎる。

わたしは麻央様の3Aより4Tよりコレオシークエンスが大好きで、あの綺麗な円の一筆書きアラベスクスパイラル、からの曲に合わせた前傾姿勢、への変化を見た時に、たいそう不思議な気持ちになったんですわ。

不思議、というのが、彼女のスケートは過去に例がないくらい屈強でありながら、やろうとしてることが新時代!ってわけではなく、あくまでも表現の方針が、丁寧だし良い意味で古典的。適切な比喩が思いつかないのだが「シックスパックのバーレッスン」って感じの趣すらある。筋肉の発達したロイヤルバレエというか…。

そういう意味で、ショートに比してフリーは圧倒的に彼女らしさが輝いていたし、麻央様はずっとクラシカルな曲で強靭な四肢を誇示してくれ、とも思ってしまう。ライオンキングのダメ押し連続スピンはもちろん好きでしたが。どのエレメンツも容赦ないのがいいですね。

しかしこのプログラムには思い出が多いな。ジュニアワールドのノーミス演技は当然ながら、全ジュニの「この状態から降りれる4Tがあるんですか?(あった)」事件なんか忘れたくても忘れられない。


・①横井ゆは菜FS「ハンガリアンラプソディ」


まずは選手生活お疲れ様でした。と思ったらゴールデンウィークは元気に合宿に参加されていたそうで。やれるうちにやっておこう、のスタンス、わたしは激しく賛同します。

ゆはなちゃんのクラシックを切望していたマンとしては大満足の選曲だったのですが、相当に難しく情報量の多いプログラムを作ってもらったじゃないの…と半ばヒヤヒヤしながら、祈るように見ていたのも否めません。まあリストだし仕方ない(別に関係ないよ)

ハンガリアンラプソディ、ゆは菜ちゃんのこれまでのキャリアを総括するような選曲であり振付じゃないですか? トムとジェリーとの繋がり、はいったん置いておき(本人曰く因果関係は無いらしいので)「ゆは菜ちゃんってキャラクターダンサーだったんだな」と最後の最後にハチャメチャに納得させられたんですよ。

これまでも散々「あの人は真の喜劇女優だよ」みたいなことを言ってましたが、いざ民俗色の強い曲と振り付けになってみると、キャラクターダンサーと考える方が腑に落ちました。結構ハンガリーの民族舞踊っぽい所作が多かったからねえ。

どちらかといえばコミカルな役回りで、演じるのはお姫様でも妖精でもないかもしれない。でも、誰もが好きになる愛嬌と率直さに満ちていて、観客の想定を念頭に置いた、もはや観客を愛した外向きの表現が出来て、いないと寂しい、舞台に不可欠な存在。

ちゃんと書こうとすると切り口が次々出てきてしまい、掘り下げる余地がありすぎるので、なんらかの紙媒体で改めて論じることになると思います。対戦よろしくお願いいたします。