モカのブログ

モカのブログ

ミュンヘンでの日常生活、音楽、一緒に暮らしているラブラドール犬 ラッキーについてなど、ごく身近な出来事や感じた事を 日記代わりに記録してみたいと思ってます。

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4月後半から 毎週必死にやってきた引越し作業も何とか終わりついに家を引き渡す時がきました。

空っぽになった家のを振り返って 思い出に写真を撮りました。


1998年5月より結婚と同時に住んでいだ家です。父ちゃんは22年住みました。

正面玄関





玄関&2006年より家族の一員となったラッキーの居場所。
下駄箱を撤去しました。家にみえる方、生徒さんなどがチャイムを鳴らすと必ず揉みくちゃの出迎えをうけました。(邪魔しただけか・・・(^_^;)

玄関



その玄関前のトイレ
トイレ1階




入ってすぐの食卓テーブルに いつもこんな風に殿方2人が座っておりました。





ピアノ置き場優先のモカ家、 ピアノが増えて場所に困ると この様にテーブルをひっくり返して置いてました。
T15




今となるとこの温度差が寂しいです。(T_T)
食卓テーブル







奥が居間。といっても我が家はテレビやソファの代わりにピアノを置いてました。
グランドピアノ3台、壁際周囲にピアノを6台は置いてまして いつか床が抜けるんではないかと心配しましたが・・・
地上階



この階段はラッキーの定番席 10ヶ月
ラッキー



この頃はもうすっかりおじさん貫禄がついて母ちゃんは晩酌させられてました
晩酌2




テーブルの奥のキッチン
食卓




頑固者の父ちゃんが1人で冷蔵庫を運び出し その場所がすっぽりぬけてます。
台所





ピアノ室には最後までグランドピアノを残していました。
電気とグランドピアノ1台だけだと広く見えます。
ピアノ室1





最後にここで生徒さん達とコンサートできたらよかったのですが。。
ピアノ室2





2階の父ちゃんの使っていた仕事部屋
父ちゃん部屋2


父ちゃん部屋




2階の洗面所
トイレ2階


トイレ2階2





ここは私が使っていた部屋 コタツも置いてました。
2階私の部屋1




片側はこの様にオルガンと夜中練習用ピアノとベットを置いていました。
練習部屋




After
2階私の部屋2





2階のベランダです。
ベランダ2



ドイツ人はベランダで太陽の日光を浴びるのが好きみたいですが、私達1度もベランダに座った記憶がないような。。お隣さんも真向かいの方も夏は時間のある限りずっと座って楽しんでいました。
ベランダ1





3階の屋根裏部屋
3階入り口




炭鉱作業して片付けた長細い物置
3階右



コピー機 PCを置く机を並べてました。
3階左




奥はソファベット置いてました。
3階 前




トイレと洗面所

トイレ3階




日本から両親や友達が来た時には この3階に泊まってもらいました。
トイレ3階 2




地下室への階段 ラッキーの餌が置いてあるのですが、本人は下へ降りずに おやつがほしくなるといつもここで待機していました。涼しく快適な場所でもあったのでしょうね。
私も洗濯に、食物を取りに 1日 何往復もしてました。
地下階段






地下の部屋にはもう新住人の荷物が置いてあります






洗濯室




Befor
こちらの地下の部屋、小物をぎっしり置いていた棚







After 全て片付けました。この2ヵ月半の週末だけ 普通に仕事もしながら 然も2人だけで よくやったと我ながらに思います。







当時 庭では 時々 ワンパク子供ならぬ、大型犬ラッキー40kg ソーコー50kg 大相撲夏場所が開催されてました。この後の土俵の箒掃きはモカ母ちゃんの役目。 呼出係りでした:
Soko Lucky 1


こちらは裏庭で水遊び。その後が 大男2人の付き人がタオルを持って大変でした。
Soko Lucky 2






今ではひっそりしている庭です。
私達がミュンヘン中心の生活になってからは 夏場の週末の天気の良い日しか食事できませんでした。
庭




ここはピアノ部屋から駐車場へ続く出入り口でして ピアノ搬入出をする通り道でした。
庭2



ですから ここのロードは夏はその周りを芝刈り 草むしり、冬は雪掻きしていたのです。
雪国の一軒家に住んだことがある方以外は 想像できない仕事でしょう。私も全く知りませんでした。




去年は雪の日は少なく助かりましたが、大雪の年は雪搔きは重労働でした。
こんなに雪が積もる事もありました


家の前にくる除雪機


庭はこの量の雪でもシャベルでせっせとどけるしかありません。ひどい時には2時間おきにしてました。







今はほんの短いひと時の夏、1番良い時期です。

お週末だけ別荘のようなお家滞在でな~んて優雅な生活!
とよく言われましたが とんでもありません。

湖畔沿いの豪邸に住んでいるような方は人を使って手入れしてもらっているのでしょうけど 庶民のモカ家は貧乏暇なしでしたので・・・。


は~ それにしても 土曜日の夕方帰宅して 洗濯機を回し、冷蔵庫に食品入れて 部屋から部屋へRumbaを回し、家の修繕は出てくるし 地下から3階まで 階段上り下り ピアノの搬入出して・・
月曜日午後3時までお稽古してからミュンヘンへ行き・・・

本当に仕事しに帰ってきているようなものでしたよ。
でもそれも懐かしく思う日がくるのでしょうかね。




最後に送別会を兼ねて 皆様にいらして頂きBBQをしたかったのですが 残念ながら 引越し作業以外にも週末は予定が一杯で叶いませんでした。
本当に残念。何とか時間ができたらと思い続けて 最後の1日までグリルの道具も捨てきれずにいました。

庭3





お勝手口 ラッキーの出入り口








最後の日、ラッキーの故郷のこの庭へ遺灰を撒きました。
庭



ラッキーが泳いだ家の裏の前の川へも・・
裏庭





日本でマンション暮らしだった私が ドイツに来て 初めて住んだ一軒家と 初めて飼ったラブラドール犬
これが最後となると感無量です。
時の流れ、歳を感じます。



長いモカ家の引越し記録 読んで下さり有難うございました。


これからはコンパクトな家で新しい生活を頑張っていきたいと思います。


引越しの時期と重なっておりましたが 15回目の日独発表会を終えました。


気がつくと2001年から15年も続いているとは・・・


今年も子供たちの演奏から沢山のエネルギーをもらいました。
本番の2週間前から 皆さん 集中して 演奏が変わってきます。

本番に向けてどんどん上達していく子供たちの演奏に励まされて 9日前にラッキーが逝った後も ここまでこれたという感じで 私にとって 皆さんの精一杯の心をこめた演奏を聴くことが どんな慰めの言葉よりも救いでした。
ちゃっかりと私の為のコンサートという感じに思えたりして 参加者の方に感謝しております。

1部の生徒さん達





2部 プライベートのお写真なので 少し暗くしました。



どの演奏も 奏者の心が伝わってきました。
何処を探しても同じ演奏は聴けない時の芸術ですね。

本番は1度きり、でも演奏した曲目は一生の宝物です。 
これからもずっと弾き続けてほしいです。


お忙しい中、沢山の方にご来場頂き、有難うございました。

荷物の仕分け、要らない物を捨てて、要る物をダンボールに詰めて 引越し先の2部屋のアパートへ運び込んだ後は、家具の移動作業が待っています。

家具運搬


持って行く家具も選ばなければいけません。
何しろ だだっ広い田舎の家から 2部屋アパートにコンパクトサイズになるのですから、最低限のものだけにしなくてはいけません。
地下の作業場の備え付けの戸棚や 安物の家具は全部捨てて、庭の掃除道具も処分しました。
まぁそれだけでは足りずに、結局 車庫まで色々いれましたが・・。
またドイツにはアパートでもお部屋とは別に地下に物入れの場所があります。ここもいっぱいにしました。
日本だったら場所がなくて 絶対捨てるしかないのに やはりまだまだ駄目ですね。
落ち着いたら、もっと捨てます、はい、必ず。

家具の搬入出ですが 日本では引越し業者に依頼するものですが、こちらの方 会社の転勤など時間が限られている場合以外は できるだけ自分でやるのです。
だからある程度は覚悟していました。





ところが父ちゃん 食器棚とコピー機(コンビニにあるような大きさもの)だけは友達とやりましたが、あとは全部自分1人でやるといって聞きません。
勿論、こんな事をお友達に手伝ってほしい!とは私も言えません。業者に頼んでよ!と強く言ったのですがそんな事は頭にないようでした。

ベットを2階から下ろす作業




冷蔵庫を出す時には 地上階にありましたが、運び込む場所はエレベーターのない階段だけの2階のアパートです。
これどうやって1人でやるんでしょう?



まず毛布をひいて その上に冷蔵庫をのせて 引っ張り上げていました。






この引越し作業の合間には 本業でグランドピアノの運搬3~4回もあり、私も借り出されました。
本体を横にして 足3本とペダルを取り、台車にのせます。




7月の毎日曜日は私も仕事が。
この午後3時から5時までは 力作業から解放されました。(・・。)ゞ
演奏




仕事が終ると また即座に土方作業に戻ります。
あの~この日は私の誕生日だったと思うですが・・ 
そんな時間はない! 父ちゃんに一喝されて終りました(ノ_・。)
コンサートが終わった会場に行き、ピアノを引き取りに行きます。




この日はWildbad Kreuthで有名なバリトン歌手Gunther Emmerlichのコンサートでした。
舞台には段差があるので ピアノはこの様にして移動させます。






コンサートと共に アウトドアのイベント展示会もしていたようです。
それにしても 後方で1つのテントに6人の男性がお片づけしてます。
350キロのグランドピアノを動かすのは私達モカ夫婦のみなんですが・・( ̄□ ̄;)!!





またある別の日曜日にも掛け持ち日程
これはホテル演奏
引越し荷物ゴチャゴチャばかり見ているので、広い空間がほっとします。
ホテル



湖畔沿いのリゾートホテルのせいか、宿泊客と一緒に大好きなワンコも沢山いて溜まりません。
ラッキーを思い出してしまいます。
ホテル2




この後はまたグランドピアノ運搬です。
こちらはTegernseeの教会横にあるリハーサルルームで フルートのLieberknecht教授のマスタークラスの講習会が開かれていました。プロフェッショナルを目指す才能のある若いフルーティスト達!音の切れが全然違う。 緊張感のある空間。
こういう生徒達をレッスンする先生も時間を忘れるほど熱心です。 
ピアノを片付けてもレッスンが終りません。
邪魔しないようにそーっと、そーっと 裏方裏方(^_^;)
講習会2


ゴロゴロ
講習会1




週末しかない引越し作業ですが、同時に色々なイベント、仕事があって(土曜日はピアノ発表会もやりました。これはまた別口で書きます。)黙々と予定をこなしておりました。

大変な忙しさでしたが 今振り返ると 引越し作業のみではなく、様々な分野の音楽イベントがあって 一線で活躍されている方と直に接する事ができ そういう場に居合わせられるのは何とも贅沢で幸せでした。

こんなに色々重なる事もなかなかないと思います。
きっと引越し作業を頑張ったご褒美ですね。


有意義な週末を過ごせました。


私達は4月後半にTegernseeの家を出ることに決め準備を始めました。

ファミリー用の庭付きの田舎家、断捨離作業第1弾
人生でこんなに物を捨てた事は初めてです。

先ずは3階の屋根裏部屋の物置から始めました。 
部屋の縦幅5mはある広さの左右2つの場所にはトランク、旅行用バック、レコードプレーヤー、昔の映像フィルム、クリスマスの飾り、チター、業務用の書類等が入っておりまして・・・
背の低いモカ母ちゃんが潜り込んで せっせと中身を出していきます。まるで炭鉱作業員。
奥に蜂の巣までありました。かお




そして3階の部屋のモカ父ちゃんの学生時代からの書籍。



ダンボールに入れて3階から地上階へ下ろします。




我が家のライトバンの車があっという間に一杯になりました。





上から外に流れる荷物作業の移動の聞き慣れない物音に何を始めたのかとラッキーもびっくり!




次の週末は地下室です。
リビングルームの真下の場所も広いのですが全部物置状態でした。
左半分はキッチン用品、雑誌、食品、ラッキーのもの



右半分はモカ父ちゃんのピアノの椅子数十台と修理用品 ピアノカバーなど業務用品。



ここは地下室のもう1つの小部屋。モカ父ちゃんの大工用品作業場で私は殆ど入った事もありませんでした。それをよい事に時々ビールを隠して持ち込み、完全な隠れ部屋でした。
オイルだのノコギリだの、戸棚に所狭しと道具が入っています。
先ずは中身を取り出して、作業机をだし、備え付けの戸棚を外します。こういう戸棚は父ちゃんが独身時代に1人で住んでいたアパートや彼の両親が不要となった物を運び込んでつけたらしいです。
壁際には郵便受の箱までついてます。
小さい部屋ですが子供部屋にもできる空間です。ここの片付けでも1~2日ではとても終わりきる量ではありませんでした。


地下の洗濯場です。
我が家、ラッキーの毛のついたものと分けていたので、洗濯機と乾燥機が2台ずつ置いてました。
まぁこういうものの移動は最後でしたが・・・




まずは其々の部屋の荷物を運び出した後、1つずつ戸棚や机を地下から地上へ運び出しました。
簡単な戸棚でも地下室からここまで運ぶのは大変です。
でも後日はもっと重い運搬作業が待っているのはこの時は想像せず 凄いね~と言いながら捨て続けまました。



庭の植木プランターなども一緒に。
地下室を空にするのにどの位かかったか 想像つくでしょうか?(モカ夫婦、週末にしかここにいないので日曜日に狂ったようにやっていました)




はい、次の週末は2階の2部屋です。
ここはベット以外のもの 洋服や靴類の仕分け、でもやはり書籍が重くて大変でした。




引越しの経験がないのですが、パッキングするにも重量があるものは小箱ですよね?それなのに小まめに行き来往来している時間がないからと父ちゃんはこんな大型の段ボール箱に一気に詰めてしまって ・・ガーン
2階から地上階に下ろすだけで重労働。未だに腰がボキボキいってます。


洗面所も小物がありました。この家、トイレが各階にあり3つもあったのです。
浴槽付き、シャワー付きの各洗面所、とトイレのみ。ここの荷物も出しました。



こちらは地上階の居間(モカ家はピアノを置いていた場所ですが この頃はピアノも移動させて数台のみ部屋の端にあり、真ん中はダンボール箱で溢れかえっております。



御勝手口横にも物置があってそこも芝刈り機など色々ありました。

本当に終わりの見えない作業で4月~6月中旬まで 毎週末にせっせとやっておりました。



随分長い事 ブログを放置しておりました。今年3月から色々な変化があり過渡期なモカ家です。
その中の大事な1つ この世の終わりかと思うほどの悲しい事がありました。

何時かは別れがくる、誰もが覚悟をしている事で それぞれの家族が その時の忘れられない辛い時間を背負っている事と思います。

私達のところへは 突然決まったTegernseeの家の引越し準備の時期にきました。

余り時間がなく 必死の家の断捨離の中 自分の居場所が段々なくなってきたのかと勘違いしたのでしょうか?私達の激変した生活が 一緒に住んでいるものとして精神的な辛さになって身体が参ってしまったという事ならと 今でも心苦しいです。

何からどの様にお伝えすればよいのかわかりません。
でも長年一緒に暮らしたラッキーの感謝と供養の思いを込めてこの事実を書き留めたいと思います。


引越し準備を始めてから(始める少し前から変化に気づいたとモカ父ちゃんは言っております) ラッキーの様子が変わってきました。

あまり散歩へ行きたがりません。呼びかけにもあまり反応せず、外からの訪問者が玄関でチャイムを鳴らしても 挨拶の1声も吠えなくなりました。




ミュンヘンの部屋は 断捨離の後、仕分けされて残った荷物を運び込んでいっぱいです。



5月 Tegernseeの家で。まだそんなに暑くもなかった筈ですが、いつも荷物運びの私達と一緒に はーはーしておりました。




この急激の変化に驚き 獣医さんのところへ何度も行きました。
ラッキーは段々と遠方へ歩くのも大変になってきて ミュンヘンの我が家から近い場所にあるお医者さんへ この日は雨の中 ゆっくり歩いていきました。これは5月20日の写真


病院の待合室 5月15日



レントゲン 血液検査などしても 決定的な病魔が見つかりません。納得がいかず お医者さんも3箇所にかかりました。
後ろ足、又は腰が痛いのか なかなか機械の上にのってくれず、出直して麻酔かけてのレントゲン。
こうして寝ていると痛みも感じないようでほっとします。





引越しの準備でTegernseeのピアノ作業場をミュンヘンへ移転させました。
新しい場所に 業務用エレベーターでせっせとピアノを運び込む父ちゃんについてくるラッキー
5月9日の写真





9年間、ずっとモカ父ちゃんのピアノ搬入出を見守ってきました。


新しい作業部屋。


広くてなかなかいい所だろう?ここが入り口なんだ!(父ちゃん)
うん なかなかいいよ。 (ラッキー)
1分たりともじっとしてられない性格のモカ父ちゃんのペースに忠実に付き合うラッキー。
この日も午前中断捨離作業と共に夕方はピアノの引越し 作業場の物件探しまで同時進行でする様子に ついていく母ちゃんのがヘトヘトでした。
5月9日16時半



モカ夫婦のジプシー移動式の生活についていく体力の元はこの食欲です。
限られた時間に急いでありあわせのものでご飯の支度をする母ちゃんのところにも顔だします。


歯も弱ってきて食べる速度が落ちてきましたが、それでも何でも食べる食欲健在なのが唯一のプラス材料でした。





Tegernsee Muenchenを行き来往来する私達とラッキー。
出発前に家の戸締りをしている父ちゃんが出てくるのを待つ場面。
この頃から階段の上り下りができなくなり、この台所からのお勝手口が自分では出入りできなくなっていました。




Tegernseeの家。毎週月曜日 お稽古の生徒さんが来る前の時間。
寝ている時は唯一 ほっとします。
何故なら この頃から日中夜問わず 常に室内を徘徊をするようになり、真っ直ぐに歩けず 家具や餌入れなど あちこちにぶつかるので怪我をしないかハラハラしていました。





左へ旋回したり、角へ行って頭を下げて痛みをじっとこらえている症状が出て 脳腫瘍の疑いがあるようだとのこと。


痛みを抱えて一瞬うたた寝。でも5分以内に起きてまたウロウロ歩き回ります。



こんな状態で家に居るより 少しでも気分転換になればと 最後の日まで散歩はしておりました。
これは5月9日なので、まだ元気があるほうでしたが・・・
5月9日10時20分


ある日 ふと気がつくとこの表情でずっと遠くを見続けていました。




どうしたの?新しい引越し先も一緒に行くんだよ。
何度も繰り返して言い聞かせたのですが・・・
この時 残念ながらもう無理だよと言われた気がして 苦しかったです。




6月30日。あんなに食いしん坊だったラッキーが とうとう何も食べなくなりました。
居た堪れなくなり 7月1日 少しでも楽になれるように痛み止めの注射でもしてもらおうと お稽古の生徒さんの開始時間を遅くしてもらい、モカ父ちゃんに無理矢理 車を出してもらい、ミュンヘンで1番大きい動物クリニックへ行きました。

薬の処方、治療にも 先ずは最初から精密検査が必要!と強く言うだけの獣医さんの言葉(今迄の検査結果のデーターも見せているのに)に ラッキーにそんな体力が残っているわけはなく 押し問答の末、断って連れて帰りました。 
一体何故こんな所に無理して連れてきてしまったのだろうと、今思い出しても後悔の山です。 



食べられない 夜は徘徊で眠れない状態なので フラフラです。
病院から帰宅してからも、1日中 歩き回ってじっとしていられないほどの痛みがあった様子。
水分を取らないとと思い、その夜は桃とスイカを1口ずつゆっくり口に運びました。



最後の日の朝の散歩は後ろ足が崩れて 5分間地面にうずくまってしまいました。抱えられる大きさでもないのでどうしようとその場に一緒に待機しました。
すると何とか奇跡的に立ち上がれたので急いで家に戻りました。
家に入ると、歩行もままにならなくなっても 再び徘徊しようとする様子に 何とか少しでも休んでもらおうと思い 睡眠薬を砕いて 大好きなスイカにまぜて投与しました。




それでやっと寝てくれた様子ですが 同時に呼吸困難が始まってしまいました。





大きな音を出したり、刺激してはいけない 起こしてはいけないと思い 息を殺して 只見守っているしかない情けない母ちゃんでした。でも もしここがミュンヘンのアパートでなく、Tegernseeの田舎の家だったら、きっと1人で裏庭の方へ行っていたかもしれません。そういう 寄り付けない感じに思えました。

午後からは 後ろ髪を引かれる思いで 下の階でレッスンへ行き、30~40分置きに様子を見にいきました。
生徒さんの皆様も 「こんな時にお稽古なんていいですか?」と心配して下さり 申し訳なかったです。

18時30分過ぎ モカ父ちゃんが帰宅し、私がレッスン終了後に自宅のドアを開けて駆け寄り ラッキーと叫んだと同時に息を引き取りました。


7月2日18時43分 お星様になれたラッキー。





力を振り絞って私達を待ってくれたラッキー、お空へ見送りました。



食いしん坊で太め、犬仲間より人間のが好きだったラッキー、ザルツブルク出身のモーツァルトとまではいかないけど何時も私達のピアノ業務に付き合ってくれたラッキー、ちょっと変わり犬でしたが 穏やかで優しい子でした。

こんなラッキーを可愛がって下さった皆様に厚くお礼申し上げます。




あと数日、何とか頑張って引越しを完了させたいと思います。



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