母は郷里の親や兄妹姉妹とよく電話で長い話をしていた。
昭和の頃は家にあるのは黒いダイヤル式の電話一台きり、現代のように一人が一つの電話を持って好きな場所で話すなんて夢のまた夢だった。
科学の進歩は凄まじいと感じる。
インターネットだ、ドローンだ、空飛ぶ車の実用化もそこまで来ている。
数日前郵便局で綺麗な花の柄の切手を買ったが、手紙や葉書を書き切手を貼って投函するのは、やれLINEだメールだ、それショートメッセージだのの今の時代には高尚な趣味になるのかもしれない。
何せ遥か遠くの(その距離をただ「遠い」と言って良いのか?笑)ブラックホールの様子さえ写真に収められるのだもの、なんかもう着いては行けないがスマートフォンならまだ使える 笑
閑話休題
茶の間でテレビなどを観ていると
「リリリーン☎︎リリリリリーン📞」
と電話が鳴り、大抵母が受話器を取る。
相手が母の母だったり、姉妹だとわかった瞬間から母の声が一段上がり、言葉が東北弁に変わる。
東北といっても秋田や青森よりはまだわかりやすい宮城の方言だ。
「そうだね」→ 「んだぁー」「んだっちゃ」
「だよね」→ 「だからあー!」
「◯◯してね」→ 「◯◯してけろ」
その他色々 笑 だいぶ忘れた😅
普段は道東の普通の話し方なのに、電話でたちまち方言を話し始める母の姿は生き生きとし、表情が和らぎ、もうそこは私たちの家の茶の間ではなく母にとっては懐かしいふるさとの家になる。
話は延々と続き終わる気配がない。
子供の私が友達と電話で長話をすると怒られるが、母は好きなだけ話し良い加減なところで切ってお終いとなる。
その頃は分からなかったが、その時間は母にとって格好の息抜きであり、楽しみであり、今で言うストレス解消のいっとき(いっときじゃなかったけど 笑)だったのだろう。
母には7人の兄妹姉妹がおり、皆親元近くの市にすみ、一人は埼玉だったが北海道くんだりまで行って住んでいたのは母だけだ。
近くに親類縁者もおらず、帰省するのも簡単ではなかった当時、身内の者たちとしょっちゅう長電話していたのは母にとっては良かったのだし、子供の私にとってはすぐそばに居る母が少し遠くの人のように感じるものだった。
何をそんなに話すことがあったのかと今更ながらに不思議に思うが、今も昔も多分未来も女は誰かと話して情報交換をし、気持ちの整理をし、溜まった鬱憤を晴らし、何となくスッキリしてまた毎日の大変さを過ごして行ける生き物なんだろう。
母が電話でいつ終わるとも知れない長話の最中、父は黙って新聞を読みテレビの野球を観ていた⚾️
もしかしたらお父さんもちょっぴり寂しい気がしていたのかどうか。